「市民は守ります。でも市役所は守りません!!」
ダブル選挙のときに、有権者に向かって、こう絶叫する映像を何度かみた。
「市役所は守らない」ということは「市の職員は守らない」という意味なのだと思って聞いた。
当選した橋下市長による職員に対する、とんでもない「アンケート調査」が行われている。
「あなたはこの2年間、特定の政治家を応援する活動に参加したことがありますか」・・・「自分の意思で参加したか、誘われて参加したか」「誘った人は誰か」
「誘われた場所、時間は・・」
これが、思想信条をふみじる憲法違反の暴挙でなくてなんだろう。
「特定の政治家」を応援するかどうか?
それは、個々人の「思想信条の自由」に深く関わる。
思想信条を、自らの意思で表明することも自由だが、圧力をかけて「表明させる」ことは「絶対にしてはならないこと」だ。
それを「選挙で選ばれた自分が民意だ」と言って、強行しようとしている。
「市民と職員を対立させる」ことが間違っている。
住宅リフォームで近江八幡に視察に行ったとき。
「市民にお礼を言われた仕事は初めて」という職員さんは、生き生きしていた。
社会保障の制度などについて、他市、あるいは全国の都道府県の担当課に直接電話させていただくことがある。
「胸はって自慢できる施策」を語る職員さんは、やはり生き生きしている。
そう、他市の例ばかりではない。
市民の署名、請願が実って、介護保険料の減免制度ができたとき。
せっかくの制度を活かすために、担当課の職員さんは、親切丁寧に知らせることに懸命だった。その結果、減免の適応件数は近隣市に比べてもダントツだった。
子育てに悩む母親を支え、子どもへの虐待を未然に防ぐために深夜まで動き回る職員さんも見てきた。
多くの公務員のみなさんは、住民の喜びを自分の喜びとして、働きたいと思っておられるのだと思う。そうあって欲しいと思う。
公務員の皆さんが「全体の奉仕者」として働くことで、住民の幸せが守られる。
「市民」と「市役所」は、対立関係にあるものではないはずだ。
市の職員にかけられた憲法違反の攻撃は、市民にかけられた攻撃だ。
憲法19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
ダブル選挙のときに、有権者に向かって、こう絶叫する映像を何度かみた。
「市役所は守らない」ということは「市の職員は守らない」という意味なのだと思って聞いた。
当選した橋下市長による職員に対する、とんでもない「アンケート調査」が行われている。
「あなたはこの2年間、特定の政治家を応援する活動に参加したことがありますか」・・・「自分の意思で参加したか、誘われて参加したか」「誘った人は誰か」
「誘われた場所、時間は・・」
これが、思想信条をふみじる憲法違反の暴挙でなくてなんだろう。
「特定の政治家」を応援するかどうか?
それは、個々人の「思想信条の自由」に深く関わる。
思想信条を、自らの意思で表明することも自由だが、圧力をかけて「表明させる」ことは「絶対にしてはならないこと」だ。
それを「選挙で選ばれた自分が民意だ」と言って、強行しようとしている。
「市民と職員を対立させる」ことが間違っている。
住宅リフォームで近江八幡に視察に行ったとき。
「市民にお礼を言われた仕事は初めて」という職員さんは、生き生きしていた。
社会保障の制度などについて、他市、あるいは全国の都道府県の担当課に直接電話させていただくことがある。
「胸はって自慢できる施策」を語る職員さんは、やはり生き生きしている。
そう、他市の例ばかりではない。
市民の署名、請願が実って、介護保険料の減免制度ができたとき。
せっかくの制度を活かすために、担当課の職員さんは、親切丁寧に知らせることに懸命だった。その結果、減免の適応件数は近隣市に比べてもダントツだった。
子育てに悩む母親を支え、子どもへの虐待を未然に防ぐために深夜まで動き回る職員さんも見てきた。
多くの公務員のみなさんは、住民の喜びを自分の喜びとして、働きたいと思っておられるのだと思う。そうあって欲しいと思う。
公務員の皆さんが「全体の奉仕者」として働くことで、住民の幸せが守られる。
「市民」と「市役所」は、対立関係にあるものではないはずだ。
市の職員にかけられた憲法違反の攻撃は、市民にかけられた攻撃だ。
憲法19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。