じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

アイランドピーク山頂

2014-12-12 13:49:25 | ネパール旅日記 2014

 11月17日 月曜日 快晴

午前1時半起床。 
テントから顔を出し外を覗くと風が納まり満天の星が見えていた。
寝ている間は快適で熟睡したのだが気温は低かったのかコッヘルの水は完全に凍っていた。
また寝袋の顔の周りも自分の吐く息がバリバリに凍り付いていた。
しかしアタックの朝で興奮しているのか寒さは感じなかった。
もっとも起きると直ぐに水を作るのにガスが焚かれるのでテント内はあっという間に暑くなるのだったが。

ラーメンを少しとビスケットを食べ身支度をする。


外はマイナス10度くらいか?靴もテントの中で履く

今日の出で立ちと装備は・・・
半袖の速乾性のシャツに薄手の純毛の長袖シャッ。
暖かくて速乾性と言う登山用のシャツに中厚手のフリース。
その上に薄手のダウンにゴアテックスのジャケット。
下は、パンツの上に薄手の純毛股引と、厚手の裏フリースクライミングパンツ。
その上にゴアテックスのオーバーズボンにスパッツ。
手袋は薄手のインナーに裏フリースの防寒グローブと、万が一にオーバーミトンをザックに入れた。
頭は、目出し帽の薄手の物を被りヘルメットにヘッドランプ。
靴は、スカルパのモンブランGTX。
アイゼンがグリベルのG12クラッシックとピッケルがグリベルG1。
サングラスと万が一風が強い時の為のゴーグル。
ユマール1個・ロックカラビナ2個・カラビナ2個・スリング2本・エイトカン1個。
お湯で作ったポカリをテルモスに500mlと、1ℓの水。
アーモンドチョコ1箱とソイジョイ2本。
カメラのバッテリーやら小物の入った袋。

以上、大したものは持っていないのにザックを背負うとそこそこの重みを感じた。
ふと、昨年のピサンピークアタックでは水までドルジが背負ってくれたっけ、などと思ったりしたが、自分の物は自分で背負って当たり前と気持ちを切り替える。

既に幾つかの隊がテントの脇を抜けて往く音が聴こえ気持ちが急いて来る。

3時00分出発。
外に出ると登って来るヘッドランプが幾つか見えている。
驚いたのは、自分らの下の棚にテントが二張り張られていた事だった。
昨日寝る前に外に出た時には無かったので暗くなる頃にやって来たものと思われる。
未だ起きては居ない様子で静かだった。


ヘッドランプを頼りに岩場を行くのは緊張する

登っている時には真っ暗でヘッドランプが照らす足下しか見えず何とも思わずに登っていたのだが、下山時に見た岩場のルートはそれなりに危ない所も有って驚いた。
真っ暗な時に登ると足下に集中し、下手に先を見ないで済むのが良いのかも知れない。

ひたすら、ただ次の一歩を踏み出す事を続ける。
時々危ない箇所でラムさんが足下を照らして教えてくれる。

薄らと夜が明けヘッドランプ無しで足下が見えるようになった頃岩場が終わった。
ここでトレッキングポールをピッケルに持ち替えアイゼンを着けた。
ラムさんはトレッキングシューズで登って来ていたのでクライミングブーツに履き替えていた。

私のアイゼンはワンタッチでは無く、今時珍しいベルトで締めるタイプだった。
東北の冬山では幾つかの登山靴を使い分けていたのでワンタッチでは履けない靴も有った。
だからベルト式のアイゼンなのだったが、その後、どれを見ても全てワンタッチでベルト式は見掛けなかった。
靴についても、シングルのクライミングブーツは少なく、ゲーター付の二重靴が多かった。
そして、ヨーロッパのクライマーのファッションは格好良くて、まるで山岳雑誌の広告ページの写真のような出で立ちが多かった。

自分の姿はと言えば、日本の東北の冬山を登る時の装備と格好そのままで、ヨーロピアンはクライマーであったが、自分は旧いタイプの登山者であるなとしみじみ思った。


前方の雪面に蟻のように人が連なっている

アイランドピークが人気な訳がまたひとつ分かった。
岩場が終わり雪面に上がると、のっけからナローリッジ(狭い橋のような尾根)や小さなクレバス、そしてロープを使う急斜面と、ヒマラヤの雪面満喫コースが幕の内弁当のように詰まっているのだ。
しかも、それらの箇所は全てが初心者が楽しんで丁度良いサイズで用意されていて難行苦行には成らないのだった。
言い換えれば、ベテランのクライマーには物足りないだろうとは思うが、そう言う人はここは足慣らしで、本番はアマダブラムやロブチェ・イーストに行くのだろう。
そして、最初のヒマラヤ気分を楽しんだ後は、アイランドピークの山頂を見据えて広い雪原を詰めて行く。
この緩い登りがまた堪らない。
雪原から続く雪壁には取りついているクライマーが蟻のように見え、自分も早く登らなくてはと気が急くのだった。


最後の詰め しかし、狭い山頂は混んでいた

雪壁と言われた壁は、正直に言えばなんと言う事も無かった。
最後の稜線に出る部分では70度くらいになっているが、毎日大勢が踏むのでアイゼンが気持ち良く刺さるステップが完璧に出来上がっている。
万が一滑ったらピッケルで止められるかと言うと、滑ってしまってからでは遅いと思うが、斜面が急で目の前に壁が有るので一瞬でピッケルを刺せる。
なので滑り落ちる前に止めるのは簡単だと思う。
しかし、せっかくフィックスロープが張ってありユマールも持って来たのだし、何よりも万が一の為にと言いつつ、ロープを引っ張ってゴボウで登ったのだったが。

そこそこ距離が有るので途中で休む人も居て追いつくと渋滞する。
自分も先行者に追いつきスノーバーの継ぎ目で隣のロープに乗り換えて追い越した。
その時、踏み跡も無い脇の斜面をロープ無しのダブルアックスで優雅に登って行くクライマーが居た。
こう言う人はこの山が狙いでは無く、ここで高度順応をして他の厳しい山へ行くのだろうなと思って見ていた。
ヘルメットにサングラスで良くは分からないが、あの馬力は恐らく未だ若いクライマーなのだろうと思った。

稜線に上がる所は狭くて登る人と降りる人が交錯し、自分は中々登れずに困っていた。
するとラムさんが裏側からヒヨッコリ顔を出しこちら側にステップを切ったので安心して乗り越して来いと言った。
セーフティーロープをフィックスから外し自分のピッケルを打ち込み、確保して稜線に上がった。

 8時30分 頂上


6189mの山頂で満面の笑みだが、髭面が汚い

狭い山頂は5~6人でいっぱいになる。
タルチョの掛かった山頂に座った人はうなだれたまま動かない。
疲れ切った様子の人もいるし、余裕で記念写真を撮っている人も居た。

ラムさんと私は陽当たりの良い東側の斜面にピッケルを刺してロープを繋ぎ座り込んだ。
真っ白いヌプツェとどっしりとしたローツェが見事だった。
ラムさんが、あれがメラピークだとと奥の方を指差し、そして、来年はあれが良いんじゃないかと言った。

ラムさんがビスケットをくれたのでまだ程良く温かいポカリを飲みつつ食べた。
自分も嬉しかったが、無事に登頂まで案内できたラムさんも同じくらい嬉しかったのだろうか、写真を撮ってくれと言ってスマホを差し出した。


陽当たりの良い斜面では手袋無しで平気だった

ラムさんがボチボチ行きますかと言うので時計を見ると9時になっていた。
30分も座り込んでいたのかと驚いたが、降りないわけにはいかないし、風も出て来たので後ろ髪を惹かれつつ腰を上げた。


腕力勝負 下降器無しで握力ブレーキで降りた

降り口でエイトカンをセットしようとしていると順番待ちをしている外人が薄ら笑いを浮かべて何かを言った。
言葉は分からなくても何を言ったのかは大体察しが付くものだ。
このシロートが何をもたついてやがる、的なことを言ったのだと思う。
好きでもたついているのでは無い。
ロープには先行者がぶら下がっているのでテンションが掛かりっ放しでエイトカンにロープが掛けられないのだ。
そして、ロープは短く切ってあるものでは無く、1本が100m以上も有って何人かがぶら下がっているので緩むとすれば全員が下のスノーバーを超えるまで待たなければ成せなかった。
ラムさんが状況を察して自前のロープを張るからと言うのだがこの程度の斜面はゴボウで降りるからと言ってセーフテイーロープを形だけ掛けて腕力勝負で降りて行った。

ラムさんが張ったロープは先程の嫌な奴が勝手に使って降りて来ていた。
しかし、そのロープは中途半端な所で終わっていて別のロープに乗り換えないと下まで降りられなかった。
やがて奴は別のロープにATCを架け替えようとしてテンションが掛かったロープに手も足もでない事に気付いた。
自分は奴の隣を降りながら腕を指差し、片手を開いてロープを握る仕草をして笑ってやった。


後にパックリ口を開けたクレバスが・・・

降りるのがもったい無かった。
せっかく登ったのにもうお終いかと思っていた。
いくら簡単なアイランドピークとは言え、本当に楽に登れてしまった。
昨年の、涎と鼻水を凍てつかせながら登った雪壁の辛さが嘘のようだった。
今日は寒くも無く暑くも無く、雪面は凍りもせず、融けてもいず、何かもかが快適だった。

雪原に寝転んで、ロープを回収して降りて来るラムさんを待った。
大の字になり紺碧の空を見ていたら笑いが込み上げて来た。
これが高度順応の出来た身体なのかと自分の内に漲る力に驚き、もっと高い所に登ってみたいと思っていた。
これが最後のヒマラヤかと思いつつ来た事も忘れて慾が湧いていた・・・来年は本気でエクスペディションか、などと。


明るくなった岩場では結構危ない箇所が見えた

岩場まで降りてアイゼンを外しピッケルをトレッキングポールに持ち替え下山を続けた。
真っ暗で足下しか見えなくて知らずに登った岩場がそこそこ危ない箇所があって驚いた。

ラムさんが用心の為にロープを結びますと言うのを、こんな所で落ちる俺じゃないよ、と言って断った。
するとラムさんは、今まで皆さん下山で転んで怪我をしているのでロープを結びましょうと言った。
うんうん、その通りだ・・・ここで気を緩めて怪我をしたのでは元も子もない。
猿回しは格好悪いと思ったがショートロープを結んで降りた。

岩場の途中でラムさんの知り合いのガイドが休憩していた。
多人数の隊らしく、下のキャンプからキッチンボーイがテルモスに熱いジュース持って来ていて自分らにも勧めてくれた。
熱くて甘いジュースは美味かった。
この様な点も超人気で人の多いアイランドピークならではの事だと思うと、人が多い事は欠点と言うよりも利点であるなと思えて来た。

自分は山登りに厳しさや悲壮感求めるきらいがあって、手軽に登れると評判のアイランドピークに向かう事に少し抵抗が有った。
お膳立てされて登る山なんて恥ずかしくってやってられるか、と、言った心境である。
しかし、今日の登頂の楽しさは今までに無い充実感を伴って脳裏に焼き付いた。
アイランドピークは6000m峰入門の山だが、その味はヒマラヤ登山の幕の内弁当として価値あるものだと思った。

11時00分 ハイキャンプ到着。
登り5時間半、下り3時間と好調だった。
もしも、ロープがあんなに混んでいなければあと一時間は早く登れたな、そして、30分は早く降りられたな、などと倒れ込だテントの中で勝手な空想をしていた。

午後からまた風が出て来て強く吹いた。
結局、自分らの行動中だけ続いた好天だった事になる。
ラムさんがしきりに運が良いねぇ、を連発し、カンニさんも喜んでくれた。

明日はロッジ泊で非常食も行動食も気にしなくて良くなった。
自分は持っている食料を全部出したが結局はネパールラーメンとビスケットの夕食だった。

カンニさんはラーメンを作る時に添付のラードを入れなかった。
脂でコッヘルと食器を洗うのが大変になるので控えていたのだが、明日の朝お湯を沸かしてお終いだからと小さな方のコッヘルでラードを入れたラーメンを作ってくれた。
それがとても美味くて殆ど私が食べてしまった。

ラーメンとジャガイモの夕食で満腹、満足して18時頃就寝。


 11月17日 酸素濃度 データー

 アイランドピークBC(5400m)80% 心拍数105 (PM12:00 下山後)




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アイランドピークBC~ハイキャンプへ

2014-12-12 10:53:56 | ネパール旅日記 2014

 11月16日 日曜日 曇天(強風)ベースキャンプからハイキャンプへ

力の有る人ならベースキャンプから頂上を狙うのだが、それだと標高差1200mを一気に攻める事になる。
自分もやってやれない事は無いとは思うが、しかし、ハイキャンプを設置して刻んで行く手が有るのだから無理してきつい方を選ぶ事も無い、と、慎重な手段をとった。
故に本日は、標高4970mのBCから5400mのハイキャンプへ、2時間と少しの移動だけとなった。

トレッカーの中にはアイランドピークには登らないけれども、氷河や氷結した氷河湖やモレーンの谷を見る為にキャンプを張っている人もいた。
それらの人も少し高台のハイキャンプ方向に登って来るので登山道は思いの外に人影が有った。



テントを撤収するとおこぼれが無いかとライチョウが来る

標高5000mには生き物などいないと思ったら大間違いだった。
神様の鳥とラムさんが言うライチョウやクチバシが黄色い九官鳥のようなカラスが見られた。
中でもライチョウは神様の使いなので捕獲したりイジメたりされないので足下まで寄って来る。
高山でも深海でも適応してしまう生き物は居るのだな、と、感心する。
そう言う自分も10日も有れば標高5000や6000メートルに慣れるのだから生物としての適応力ではまずまずなのだなと思うが、8000mは行っているかと思う高さまで舞い上がるカラスには敵わない。


右奥の白い頂が目指す山頂

BCからは山頂は見えないのだが少しハイキャンプ方向に登って行くと山頂とそれに続く尾根が見える。
しかし、それはとても遠く、そして険しく見え、意気が上がると言うよりは、自分としては意気消沈的であった。

太古の昔は一面が氷河で、氷が少しずつ山を削ったのだなと思わせるモレーンが丘になっている。
日本の山でも鋭い岩峰の多くは氷河期に氷が山を削って鋭くなったと言う。
そんな事を思いながら歩くと何でも無い岩屑から氷河期の匂いがするような気がする。


イムジェ氷河湖 美しいか?神秘的か?

標高5010mにあるImja Tshoと呼ばれる氷河湖はダムになって水を支えている氷河が後退していて決壊するんじゃないかと言われているらしい。
これが決壊してイムジェコーラに鉄砲水として流れたら大変な事になると言われている。
風の噂では、日本の研究機関が観測を続けているのだとか。


ハイキャンプのテントが出来上がった

6時半起床 7時半頃ビスケットと紅茶の朝食。
8時半出発 10時00分 ハイキャンプ到着。

5450mのハイキャンプまで、標高差で500m、距離2キロ。
これをのんびりと写真を撮りながら登って1時間半・・・余裕であった。

途中で日本人の単独の男性と行き会った。
降りて来る時間からして少し早いなと思ったら登頂は断念して戻って来たそうだ。
この他にも既に数名が下山していた。
ヒマラヤの6000m峰の登竜門と言われるアイランドピークだが、それでも、やはりヒマラヤの6000m峰なのだなと、少し緩みかけていた褌の紐を締め直した。

昨年のピサンピークのハイキャンプがやはり5400mであったが、自分はBCからハイキャンプに登り着いた時には完全に参っていた。
高山病に因る倦怠もさる事ながら、BCの4500mから一気に900mを直登に近い急登で登った事による疲労だったと思う。
高山病対策としては一日に上げる標高を300m以下にするのが最善と言われていて、登っても400mまでとされている。
昨年のガイドのドルジは平気で一日に1000mを登っていたが今年のラムさんは400mルールを忠実に守って高度順化してきた。
そして、二日の滞在をした日に早朝出発で700~800mも一気に登り降りて来る。
その後は半日のんびりと日向ぼっこの休養になっていた。
今回のトレッキングやキャンプは昨年に比べるととても質素で可能な限り節約されていたが、ここまで来てみると、ラムさんの計画は完璧であったと思える。
ポーターが一人しかいないので食料も水も最小限しか持てなくて如何にも貧相な物であったが、それが却って、これぞヒマラヤのキャンプだろうと言う雰囲気を醸し出していた。
昨日は俺の食料はどうしたんだと憤ったが、食料の貧しささえ楽しく思えた。
キッチンテントまで従えての大名登山を横目で見て、晩飯はジャガイモで良いだろう、と、嘯く程に体調は出来上がっていた。


明日のアタックに備え取って置きのご飯を食べる

ハイキャンプを作った方が楽だと分かっているのに、特に欧米人の隊は何故にベースキャンプからアタックするのか?それには大きな理由が有った。

欧米人の登山形式は単独や少人数の人をひとまとめにして6人程度の登山隊にする。
そうする事で様々な経費が安く済み、結果的に個人の負担が軽くなる。
例えば登山許可を得るには350ドル掛かるのだが、6名までが同じ料金なので欧米人は一つの隊を6名で組むのだ。
因に私は350ドルを支払っているのだが、登山隊の隊長はメキシコ人でサーダー(登山ガイド)もラムさんでは無かった。
これはツアーデスクが融通し合って6名の隊で申請し、私のように350ドルを支払った分から浮かすのだ。
この事は登頂証明書に隊長名とサーダー名が記載されて来るので読んで推測すれば分かるのだが、そんな事まで気にしない人が多いのか、あまり話題にはなっていない。

さて、ハイキャンプには水が無い。
下から担ぎ上げるか、往復一時間以上も掛けて氷河の末端まで行って氷を取って来て溶かして使うしか方法は無いのだ。
私たちのようにたった三人で、しかも食料はジャガイモとラーメンとフリーズドライと言う身軽な隊は氷河の氷も少なくて済むがキッチンテントを背負って来る大きな隊では実質的に不可能なのだ。
だから欧米人の隊はハイキャンプを設置せず、午前1時頃出発して来るのだった。

昨日の午後から天気が崩れ強風が吹いていたのだが、日没近くになりそれは益々強くなり烈風と言って良かった。
時折テントの下に風が入り込み浮き上がる感じさえしていた。
私はラムさんに、この風が止まなかったらアタックは中止かな、と問うと、今これだけ吹くと風も疲れるから明日は吹かないです、と気休めを言った。
もしも停滞になっても俺が非常食を持っているからもう一日延ばそうと言うと、ラムさんが、カンニさんが下に行ってジャガイモを貰って来るから心配ないです、と、言って笑った。

たった4本しか持って来ないガスカートリッジで間に合うのかと心配していたが煮炊きをしないので未だ2本残っていた。
ガスが有れば水も作れる・・・明日が駄目でも、と思うと気が楽だった。

17時30分就寝 (未だ薄明るかったが)

11月16日 酸素濃度 データー

 アイランドピークBC (5000m)82% 心拍数63 (AM7:00)
 アイランドピークHC (5400m)83% 心拍数90 (PM5:30)



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チュクン~アイランドピークBCへ

2014-12-11 13:37:43 | ネパール旅日記 2014
 
 11月15日 快晴 チュクン~イムジェ チェ(アイランドピークの本名)へ

 6:00起床 7:00朝食 8:30出発

チュクン(4700m)からイムジャ チェ ベースキャンプ(5100m)まで、標高差400mを約7キロで登る。
右手にアマダブラム氷河・チュクン氷河、左手にヌプツェ氷河・ローツェ氷河を見ながらそれらの谷間のモレーンを行く。(モレーンとは氷河が削った岩が堆積した丘陵地)


チュクンの夜明け 東面の高い山から陽が当たる

一昨日、エベレストBCへ行き山好きには有名なウェスタンクームの氷河を見たのだが、自分としては規模は小さいがこの辺の氷河の方が好きだ。
氷河なのか万年雪なのか判断も難しそうだが・・・たぶんスノーホワイトが綺麗なので表面は雪だと思うが、学術判断は抜きにして、文句無くこの辺の氷河が美しいと自分は思った。


左側の尖った峰は6200mも有るのに地図では無名峰

ラムさんに名前を聞いても分からない山も幾つか有った。
イムジャ・ツォ(ツォは湖)の湖畔に聳える6200m前後の先鋭な峰は地図で調べても名前の記載は無かった。
休憩しながら山を眺め、東側の稜線から攻めて中央の本山に行くルートで登れそうだね、と言うと、アイランドピークの3倍は難しいね、と言った。
テクニカルではエベレストのノーマルルートよりも難しいかも知れないよ、とも言った。


馬が二頭急いで駆けて行った

歩いている道はアイランドピーク・トレック・ルートで、終点はアイランドピークの頂上になる。
アイランドピークBCから南へ向かうとマカルー・トレックに抜ける事も出来るが、ロッジやバッティー(茶店)が無いのでテントと食料を背負って行かなくてはならず現実的なルートでは無いらしい。


カンニさんは荷物が重いのか遅れ気味だった

カンニさんを待つ間に、今日はテント場に着いたらクライミングの練習をするのだとラムさんが言った。
しかし自分は、ヒマラヤ流と日本式は違うけれども慣れない事をすると余計に危ないから練習は要らないと断わった。
ラムさんも自分の装備を見て判断したらしく、普段から慣れている方法で大丈夫でしようと、練習は無しになった。
結局はテント場で余りに暇だったので自分でロープを張って登る真似事をしたのだったが。


アイランドピーク 何処から登れるんだ、と考え込む

カンニさんがいつに無く不調の様子で良く休む。
ゴラクシェプより低いので高山病と言う事は無いでしょう?とラムさんに問うと、カンニさんはクライミングシェルパだから7000mオーバーでも無酸素で荷物を背負い上げると言う。
ただ単に荷物が重いのだとラムさんは言うが、カンニさんはいつに無く大汗をかいていた。
後で分かった事だが、カンニさんは昨日の35キロに茹でたジャガイモとチベットパンで更に5キロ程増えていたらしい。


朝に掛けて行った馬はクライマーを2名乗せて降りて来た

アイランドピークが人気な訳は様々だと思うが、一つには、レスキューのし易さから重大事故が少ない事が上げられると思う。
アイランドピークBCからは馬でもヘリでも降りられる。
BCにはレンジャーが常駐しており、24時間無線でレスキューを依頼する事が出来る。
そして、チュクンの宿まで降りれば酸素とガモフバッグ(人を入れて加圧出来るチューブ)が常備されているので高山病にも対応出来るのだ。
もっとも馬に乗って下れる程度の高山病はチュクンまで下れば治ってしまうと思うが。


アイランドピーク・ベースキャンプ(3つ有る内の一番下)

カンニさんを待ちながらのんびりと来たのだが11時30分にBCに着いた。
高山病対策にはゆっくり歩くのが良いと言われているが既に5550mに登って順応が出来ているので何ともなかった。
今までは標高を上げる度に疲労感が伴っていたが今日の行程は本当に楽だった。
5000mの高地を歩いている気がせず、走れと言われたら走れると思う程に身体が軽かった。
完璧な高度順応が出来た事で、アイランドピークは貰ったな、と、確信していた。

好事魔多し、である。
テントを張り、ラムさんとカンニさんが水汲みに行き、さて昼飯をとなって問題が起った。
私の分の食料は予定していない、持って来ていないと言うのだった。
私は平仮名なら読めると言うラムさんにツアー会社との契約書を見せ説明をした。
ほらね、3食用意する事になっているでしょ、と言うとラムさんは困った顔をして、でも無いものは無いし有る物しか食べられません、と、至極もっともなことを言った。
そして、私が持っているフリーズドライの食料を正確に覚えていて、これから3泊のテントでの食料がそれで概ね間に合う事も知っていた。
ラムさんはディンボチェで私のクライミングギァーを点検した際に相当量のフリーズドライと行動食を見て私はこれを食べる物と思ったようで自分達の食料しか手当てして来なかったようだ。

これがネパールなのだ。
これがヒマラヤトレッキングであり、格安のツアーデスクで組んだクライミングなのだった。
どれほど綿密に相談しやり取りを重ねても、当事者以外の第三者に話しは伝わっていないのがネパールなのだ。
これに驚いたりましてや怒っていたのでは折角のトレッキング台無しになってしまう。
ここで私は自問自答する・・・何故にキャンプの日数分のフリーズドライを持っているのか? 何故に余る程の行動食を持っているのか? 心の何処かでネパール人気質を疑って居たからだろう? 想定内じゃないか? と。

昨年のガイドのドルジは有り余る程の食料を担ぎ上げていた。
だからポーターが二人必要でその分料金が高かった。
今年はやけに安いと思ったらポーターは独り、テントも最初から一張りで、キッチンテントも無い。

私は直ぐに意識と表情を明るい方に変え、ラムさんに、心配無いね、問題は有るけれども、と言った。
するとこの言葉が面白いと言ってカン二さんに通訳して三人で大笑いをして一件落着となった。

後日、登頂に成功し自分の機嫌が最高潮の時にラムさんが、ダイヤモックスと食料の件はツアーデスクのミスだけれども、登頂できたし、総て楽しく事が運んだので忘れてもらえたら嬉しい、と言うようなことを言って来た。
そうだな、ラムさんが忘れたのかも知れないし、ツアーデスクのミスかも知れないが、どっちにしても終わった話しで問題は起きなかったに等しい訳だ・・・うん、黙っておくよ、と返事をした。

昼飯の後余りに暇だったので空いた斜面にロープを張りユマールとアックスで登る真似をしてみた。
そして下降の時、エイトカンの使い方が変だと言うラムさんに、普段はATCでしか下降しないからエイトカンは苦手だと言って、万が一の時にはカラビナで代用して降りるから、と言うと、それが出来ればOKです、と言った。

しかし、実際の下降ではエイトカンもカラビナも使えずに軍手でロープを握って腕力下降だったのだが。


ラーメンを煮て、お湯しか湧かさない食料計画

夕食は茹でたジャガイモとネパールラーメンだった。
自分はフリーズドライのピラフと野菜たっぷり味噌汁とサラミが有ったのだが、それらを三人で分け、ネパールラーメンでビラフおじやにして食べた。
茹でジャガイモはコッヘルの熱で温められとても美味かった。
カンニさんが、ジャガイモなら他所のテントからいくらでも調達出来るからどんどん食べろと言った。
ラムさんに話しを聞くと、ここにはガイド仲間が沢山いてキッチンテントを持っている大きな隊が二組もいるので食料は必ず余るから心配ない、との事だった。

5時頃、夕食を終え明日のポカリを作り、他にする事も無いので無理矢理就寝。

 11月15日 酸素濃度 データー

 チュクン       (4730m)83% 心拍数80 (AM6:00)
 アイランドピークBC (5100m)81% 心拍数80 (PM3:30)






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ディンボチェ~チュクンへ

2014-12-10 15:15:52 | ネパール旅日記 2014
 11月14日 金曜日 快晴

6時00分起床・・・ゆっくり朝食。
標高が4400mだとパン生地の醗酵が容易なのか?ゴラクシェプの煎餅のように堅いパンと違ってトーストが美味かった。

9時00分出発・・・アイランドピークを見ながらのんびり行く。
本日の行程は距離が短く標高差も少ない。
310mの標高差を4kmで登る、楽な行程だった。
しかも、チュクンの宿についてからラムさん得意の高度順化の為の「お散歩」も無く完全休養との事。
いよいよ、アイランドピークアタックの為の体調作りに入ったなと思った。


大昔は氷河だったかと思わせるモレーンの谷に沿って行く

行く先にはアイランドピークの険しい姿が見えていて気持ちが高ぶる。
今日の目的地はChhukhung(チュクン)、標高は4730m。
既に5550mまで登って高度順応が出来ている自分には問題無い標高だった。
登りが緩い事も有って足取りは軽快だったが、やはり土埃は付いて回った。



5000m以下にはヤクが放牧されていた

所々に見える灌木は鋭い刺が有って流石のヤクでも食べられない。
そうだとすれば、ヤクは芝の枯れ草のような物を食べているのかと思うのだが、一日中食べ続けても大した量には成らない気がするのだが。
だからだろうか、ヤクに近付いてみると思いの外小さい事に気がつく。


ラムさんとカンニさん 休憩中

ガイドのラムさんが38歳でポーターのカンニさんは43歳だそうだ。
この日のラムさんの荷物は20キロ程で、カンニさんは35キロ位を背負っていた。
私とラムさんはクライミングに不要な物はディンボチェの宿に預けて来たのだが、しかし、三泊分の食料が加わったので、特にカンニさんの荷物は重くなっていた。

私は荷物を減らすべく、トレッキングシューズを止めてクライミングシューズに履き替え、服装も三日間着替え無しだった。
そして、カンニさんの荷物の多さに驚いて自分のザックにクライミングの道具を全部入れていた。
だから二人に比べれば軽いとは言っても15キロくらいは背負っていた。

本日は登りが少なく距離も短く楽な行程のはずだったが、クライミングギァーを一式背負った自分は、本日もしっかりときつい一日になっていた。



チュクンの宿

1995年発行のトレッキングガイドによるとチュクンはカルカで、ロッジが2軒有るだけとなっている。
しかし約20年経った今、チュクンにはざっと見て6~7軒の宿が有り、自分が泊まったカングリ・リゾートなどは建ってから2年の快適なホテルで、急速に開けた事が伺える。

チュクンより先に宿や茶店は無く、ここから先はテントを担いで行く事になる。
言わば最奥の宿なのだが、開発が新しい為に施設は整い設備も良い。
ここをベースにして登れる山は、アイランドピーク(6180m)とチュクン・リ(5550m)
がある。

アイランドピークはヒマラヤの6000m峰では登る為の手順が確立されていて比較的手軽に登れる山として世界的に有名だ。
特にヨーロッパアルプスで鍛えたクライマーが資金的に負担が軽く短期間で6000m峰が狙えると有って大挙してやって来る。

チュクン・リは5550mと標高が低く氷河も無いのでクライミング的な要素は無く比較的簡単に登れるのだが、どう言う訳か今年まではネパール山岳協会の許可が必要な山になっていた。
許可が必要な山は6名まで(1名でも)350ドルの申請料を添えてパーミットを取らないと登れないのだが、5550mの山にそんな金を払う人は少なく内緒で登られていた。
いや、トレッキングの序でにルールを知らずに悪気も無く登られていたと言うのが正しいかも知れない。
しかし、今年から許可が要らなくなった事でトレッキングガイドは大手を振ってチュクン・リへのアタックを勧める事が出来るようになった。
今まではカラパタールしか無かったのがチュクン・リが加わった事でより魅力的なセールスが出来るようになったのだ。
自分はチュクン・リは登っていないので確かな事は言えないが、しかし、カラパタールと同じ標高ながら、高低差では850mも有るので楽では無いと思う。


レンタルしたクライミングギァーを試している二人

11時00分 チュクン着。
行程表では4時間半となっていたが2時間で着いてしまった。
ラムさんとカンニさんを置いたまま歩き続け自分だけが先に着いてしまったが宿が分からないので石垣に腰掛け待っていた。
宿は幾つか見えていたが、とても新しい大きな宿と古くて小さな宿があった。
どうか一番立派な宿でありますように、と、願っているとラムさんがやって来て望んだ宿へと入って行った。
部屋が決まるまで昼飯を食べて待っていてくれとの事なので、隣のテーブルの、たぶんイタリア人グループと思しき人達が美味いと言って食べていたミックスピザを頼んだ。

ピザを食べながら中庭の光景を眺めていると、ガイドがレンタルのクライミングギァーを持って来て確認しているのが目に入った。
そこには高所用のプラブーツ・アイゼン・ピッケル・ヘルメット・カラビナ、他小物と,全装備のレンタルが揃っていた。
興味が湧いたので今後の参考にと、何気無くそばに寄って道具を見たが、どれもこれも相当使い込まれた物で、自分なら安心出来ないと思う物ばかりだった。
後でラムさんに聞いたのだが、全装備を借りて30ドルも掛からないとの事なので致し方ないとも思ったが。

部屋の割当が決まり荷物を置きに行くと韓国の彼がいて隣りの部屋だった。
話しは後でお茶を飲みながらと言う事にして部屋でクライミング装備の最終点検をした。
明日、ベースキャンプへ行ってしまったら足りないでは済まされなくなる。
スリングが足りない気もするが、ラムさんがこれで良いと言ったのでその程度の斜面なのだろう。

夕食時になりダイニングに行くと、テーブルには空きがあって意外だった。

私はオムレツ(味付けしてないただの卵焼き)とパンケーキを頼んであったが、その他に自前のフリーズドライの味噌汁と五目ご飯を準備していた。
明日からはテントに三泊となり何が食べられるのか分からない。
だからここでの燃料補給は大切だと思い、一口でも多く食べられるように工夫した。

 19:00 時就寝

 11月14日 酸素濃度 データー

 ディンボチェ(4410m)90% 心拍数56 (AM6:30 空腹を感じていた)
 チュクン  (4730m)84% 心拍数86 (PM1:10 休憩後)









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カラパタール~ディンボチェへ

2014-12-09 14:44:29 | ネパール旅日記 2014

 11月13日 木曜日 快晴

4時起床。 テントの内側と寝袋の顔の周りが凍っていた。

本日は朝一でカラパタールに登りその足でディンボチェまで下るので結構忙しい。
カラパタールの頂上まで標高差は410mで、距離は2キロ弱だった。
カラパタールは5550mで先日登った5100mのポカルディのピークよりも高いのだが、登る距離がほぼ同じで標高差が300mも低いとなるとたぶん楽勝だな、と、読んでいたが・・・。

昨夜はラムさんも一緒のテントで寝たので自分が起きてガサゴソ始めると直ぐに目を覚ましてお早うと言った。
私はソイジョイを齧りぬるくなったポカリで朝食にしていた。
ラムさんにソイジョイを1本差し出し食べませんかと言ったのだが、彼はそれを受け取り、後で行動食にしますと言ってウエストバックに仕舞い込んだ。

5時出発。
ラムさんがテントに鍵を掛けたいと言ったので自分のザックに付けていたダイヤル式の鍵を外して渡した。
そうか・・・今出掛けたら、いくら早くても8時頃までは戻らないから確かに狙い時だなと思った。

先日の早朝のピークアタックではアイランドピーク用にと新たに買ったスポットタイプのヘッドライトを使った。
今まで使っていたヘッドライトはどちらかと言うと拡散タイプで足下全体を照らすのには良いのだが、岩場などでここ一番外したく無い足場をテラスなどの時には光量が弱いと思ってスポットタイプを準備したのだった。
しかし、スポットタイプは光軸を一点に絞って遠くを照らすのが役目なので足下を照らすには光が強過ぎ、そして、中心以外は暗くて使い難かった。
今朝はいつものヘッドライトにしてみたが、やはり光量不足を感じた。
見えなくは無いのだが、もっとハッキリ見たいと思う足場の良く無い箇所で物足りないのだった。


東の空が紅くなって そうか日本は彼方か、と

エベレスト街道トレッキングの終点はカラパタールの山頂だと言っても良い。
だからゴラクシェプまで来た人は皆カラタパールの山頂を目指す。
しかし、トレッキングで登れるカラパタールと言えどもヒマラヤの山なのだ。
標高5550mは立派に高山であり、高度順化が出来ていない人は登れずに終わる。
高度順応をしっかりやってくれば難儀する山では無く、雪が無ければ登山靴さえ必要では無い簡単な山なのだが、それでも、自分の足で5550mを登り切れば感動的である。


夜が明けて山頂が見えた (カッコ良いのはプモリ7165m)

真っ暗な中にヘッドライトの光が筋となって見えていた。
ああ、この光景は、昨年のトロンパスの峠越えの時と同じだと思いつつ、同時に、あんなに先行者がいるのかと驚いた。

先日の早朝登山の教訓を生かして今朝は幾つかの仕掛けをしていた。
まず、寝る前に登山靴にホッカイロを入れて温める事と、手袋は、軍手の下にインナー用の薄い手袋を重ねてみた。
これが上手くいけばアイランドピークの下山でロープを握る時には軍手で行こうと考えていた。

作戦は総て成功・・・アイランドピークへ登る姿が見えて来た。
ただし、ホッカイロには少し問題があって高地で酸素が薄いからか平地のような発熱はせず生温いのだ。
それでも凍ったように冷たい登山靴に足を入れるよりは格段に快適なのだが。


カラパタール山頂 (写っていないが30人くらいは居た)

6時30分 カラパタール山頂着。
山頂は登り切った嬉しさでハイになったトレッカーがひしめき合い記念写真の撮影が随所で行われていた。
だから気の利いた場所には中々立てず、取り敢えずお茶を飲んで一休みしようと風下に座り込んだ。
ラムさんはこの前のピークアタックの時のビスケットの残りを食べていた。
自分はまたソイジョイを齧ってだいぶ冷たくなったポカリを飲んだ。

6時50分 記念写真を数枚撮って下山開始。


ヒマラヤのライチョウがいた

7時45分 宿に到着。

9時に出発しますと言うので朝食が出来るまでにパッキングを済ませた。
テントの中は朝の陽射しで温まり、広げっ放しだった寝袋が乾いて気持ち良かった。

ずっと持ち歩いていた秘蔵のミネラルウォーターで移動中に飲むポカリを作った。
ディンボチェで1ℓ120RPの水がゴラクシェプでは300RPになっていたので節約していた。

この気持ちってなんなんだろう、と、時々思うのだが、根が貧乏性で駄目なのか?
120RPは150円で300RPは375円である。
水1ℓが375円と言うと結構な価格では有るが、ここで水代を少しケチった所で旅費総額には何の影響も無いし、水代をケチるくらいならカトマンズでビール代を節約した方が効果的だと思うのだ。
同じ物の値段が釣り上がると言うのに拒否反応を示すのか?・・・ヒマラヤの高地では水が買えるだけで有り難いと言うのに、じつにケチ臭いと我ながら思うのだった。


朝の僅かの時間に5機も6機もヘリが来ていた

硬い蜂蜜トーストとゆで卵2個とブラックティーの朝食を食べ終え、出発準備を整え外でラムさんを待っていた。
すると宿の前の粗末なヘリポートには引っ切り無しにヘリコプターが飛来しトレッカーを乗せて飛んで行く。
ヘリは着陸してすぐに飛び立つのだったが、それでも順番待ちが出来る程頻繁に飛来しては飛んで行く。
やがて会計を済ませてやって来たラムさんに、あのヘリは何なのかと問うと、レスキューヘリだと言う。
高山病は寝ている間に悪化するので急ぎのレスキューは朝に集中するのだとか。
ゴラクシェプでは毎朝の光景なのだが、ここ数日の人の多さでレスキューの数も多いのだろうとの事だった。

昨年のピサンピークでの高山病の自己判定は「中程度」まで来ていたと思ったが、山に登る気力が有って、吐き気が有ってもソイジョイなどを齧れたと言うのは初期症状だったのかと思い直していた。
ヘリに乗り込む人の中には肩を借りても足下が覚束ない人が見られた。


ネパール人シェルパと日本人の碑のある丘

高所からは少しでも低い所に下って行くと元気がモリモリと湧いて来る。
空気が濃くなる事が原因なのだろうが、信じられない程元気が盛り返す。
だからゴラクシェプからディンボチェまでの道は随分早かった。

そうかぁ~・・・カラパタールまでのトレッキングの人は後は下るだけなのだな、と、少し羨ましくも有った。
そんな気にさせる程、高所から降りて来ると言うのは気持ちの良い事なのだった。

9時00分にゴラクシェプを出発し12時00頃ツクラ到着。

陽射しが気持ち良いので庭のテーブルに陣取ると一人の白人青年がスパゲッティーを食べていた。
とても美味そうだったので昼飯はあれと同じ物と言って注文した。
トマトソースのスパゲッティーと言われたそれは、なんだか子供の頃の給食のスパゲッティーに似ていて美味かった。
今までならとても食べ切れなかった大盛りを完食した。
高度順化が完成して食欲が戻ったのだと思った。


3泊目のディンボチェの宿

13時00分 ツクラ出発 14時20分 ディンボチェ着

高所から下って行くのは楽である・・・と、言うのも距離による。
登りだったからとは言え二日掛けて歩いた道を一日で、しかも朝一でカラパタールに登ってからの道のりは後半がきつかった。

要するに、このトレッキングは毎日そこそこきついのだ。
行程表には休養日で近くの丘を散策などと書かれていても実際にはラムさんの高度順化計画が盛り込まれていて某かの高さの所まで登らされていたし。

ディンボチェの宿は三泊目で、勝手知ったる我が宿と言う感じになっていた。
そして、この宿は食事が美味い。

高度順化も完璧となり快調な私は、ヤクステーキとトマトソースのスパゲッティーを注文し完食した。

またアイランドピークが近くなったと思った。

 19時00 就寝

 11月13日 酸素濃度 データー

 ゴラクシェプ(5140m)83% 心拍数105 (AM7:50 カラパタール下山直後)
 ツクラ   (4620m)90% 心拍数83  (PM12:30 昼食後)
 ディンボチェ(4410m)93% 心拍数86  (PM3:00 休息後)





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