じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

彫刻

2011-12-08 13:47:40 | 日々の雑感
天気が良ければバイクで温泉にでもと思っていたんだけれども時雨れたり小雪だったり・・・これでバイクに乗る根性は無いです。

ただ今、太平洋フェリーが被災者証明書で半額になるキャンペーンをやっている・・・名古屋往復、カブを積んでも15000円でできるのだ・・・半額です。
これは千載一隅のチャンスなんだけれども季節がなぁ、名古屋から南へ向かえば暖かいんだろうか?
いや、昔し真冬に伊豆に行っていたんだけれども西伊豆なんかでは氷も張らないと言っていたんで場所によっては暖かいんだろうな、とは思います、が・・・紀伊半島でも行くかい?

貿易収支もサービス収支も赤字幅が拡大と言う事で、国際収支は赤字に転落して拡大と言う、日本国の未来に暗雲が漂っています・・・か?
CDSが上がって利払いの重圧に日本国債はパンク・・・日本終了・・・だから、その前に消費税を増税しようと言う・・・布石としては完璧だな。

突然ですが・・・女には人権さえなかった時代から男女同権、人皆平等に扱わないとダメな時代になったんだが、自立が叫ばれてこのかた、女はあんまし賢くなっていないと思うんだけれどもねぇ。
女が賢い振りをして男社会に出場って来ると昔から暗黙の了解で成り立っていた男の社会の不文律がややこしい事になって機能しなくなる。
その為に機能しなくなった男社会は昔風の男を育てる役割を果たさなくなり、結果的にちゃんとした男が育たない社会になっちまった・・・社会がヤワになっちまって活力も失った。
おっさん的考えでは、日本に活力を取り戻したかったら女は引っ込んでろ、と言いたい訳だ。
で、女は社会の事を考えたり男と同等に扱われ仕事をしたかったら、まず、精神的に自立してからやって欲しいと思う訳だ。
女と言うのは性的に受け身であり、肉体的にも受け身で、精神的にも本来は受け身であった訳だ。
基本的構造と精神がそうなのだから、男と同じ扱いで仕事をする前に、精神的に自立するべきだと思うんだが・・・すんげぇ暴論を吐いちまったかな?

いや、戦前の小説を読んでいたんだけれども、それがアレなのよ・・・昔の男はやり逃げ、やり得で女は泣き寝入りで騒ぎにもならなかった訳です。
そして、私生児が生まれても女は進化して母となって子供を守り育て、やがてはその子が立派になって立身出世物語なんてのが成立する訳です。
やっぱし、日本の社会は男が立って、女は男の半歩後を着いて歩き、母となっては子を育て、国力増強に貢献するのが一番だと思う訳です。

おっさんの妄想の中に存在する女と母の像を吐露してみた訳ですね。

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徒然なるままに戯れ言など

2011-12-08 10:19:32 | 日々の雑感
鈴木宗男が保釈になった。
宗男の顔を見て、おっさんは嫌なものを感じないので多分彼は良い人なんじゃ無いかと思う。
まあ、一般人が市井の片隅で政治を覗き見、また風の噂程度の事を聞くだけでは政治家の人となりなど分るはずも無いんで、現実はドーなのか分らないけど。
でも、宗男にしても一郎にしても、邪魔だから始末される訳で、そんな事から推測してもやっぱし日本国以外の国の利益に通わない人たちであるな、と思う。
早い話が、日本国にとって有益な人じゃないかと言う事です。
まっ、小沢は人相は悪い・・・可哀想だが悪党の人相なんだよな・・・親を恨め。
あれは政治理念の為に金を集めようとしてあの顔になったものか、それともあの顔の通りの人なのか、おっさんでも良く解らない・・・だって、不言不実行でいつまで経っても音と匂いだけの政治家なんだもの。

速報!仮釈放の鈴木宗男氏が激白!鈴木宗男なりの生き様で!

宗男の言葉の趣旨と言うのは常に一貫性があってホントーにブレていない。
そこから推測してもいつも考えている事には一貫性があるんだろうと思う。
上記の記事の中でおっさんがシビレタのは・・・お年寄りを入浴されているところで、怪我をさせてはいけないと必死でした・・・と、宗男もそこそこ良い歳で、老人に近いんですけどね。

いや、有料記事からの情報だと宗男は新党大地の代表代行の浅野貴博衆院議員の秘書になって永田町に戻って来るんだとか。
成る程・・・五年間の公民権停止で身動き撮れないと思ったんだけれども、そう言う手が有ったのか。

鈴木宗男頑張れ

暇だ・・・脳みそがシーンとしている。
暇な時には禅問答の真似事などしてみる・・・公案と言うのか?臨済宗の坊さんは良くやるらしい。
同じ禅宗でも曹洞宗は座禅専門らしくてあんまし問答みたいな事はやらないらしい・・・体育会系なのか?

で、今朝ふと思いついちまったのは、ちょっと面倒な事なんだが、しかしこの程度の事は無数の人が公案して尽くされているんだろう・・・しかし、おっさん流、おっさん式は未だ煮詰まっていない。

いろんな仏教関係の本を読んで行くとまずは分らないものとして「無」の壁に出くわす訳だけれども、単純に何も無いので「無」である、と、おっさんは素直に解釈した・・・いや、何も無いと言うのに様々な何も無いが有ったんでは理屈が狂っちまう。
で、まず分ったつもりになって何も無い「無」を置いといて、「一切衆生 悉有仏性」を引っ張り出すと、これが面倒くさい事になっちまう。
涅槃経に書かれているらしいけれども、ちゃんと読んだ事は無いです。
読んだ事は無くても有名なんでいろんな書物に良く出て来ます。
どんな意味かと言えば、読んで字の如しで、生きとし生けるもの、ノミでもシラミでもおっさんでもカラスでも仏になる事が出来る・・・仏になる、ではなく可能性があると解釈するべきだと思う。

さて、ここで、仏性が有る、は「有」なんだけれども、ここは矛盾はないのか?なんて単純な事を思ってしまう。
まっ、おっさんの答えとしては「無」を考えた時に出掛かった答えの「無」は「有」を内包するで説明できるんだろうなと見当はついているんで・・・仏性が総ての衆生に有ると言う事は仏性の無いものが存在しないので「無」でも「有」も同じなんだが、方便として「有」なんだろうな。
「無」の証明は不可能だが「有」は簡単だし・・・まあ、「無」の相対としての「有」なんだけど。
もっと単純に言えば・・・生きとし生けるものに区別は無い、で、そこから解釈を広げると、生き物なんて皆一緒、存在に意味は無い、で、結局「無」なんだよ、と言っているのか、とも思う訳です。

うん、やっぱしアレだ・・・この場合の「有」は「一切衆生」で、全部とか総てと数を言っているんで、相対的な「有」を述べていると思うので、「無」に内包される「有」なんだろう。

いや、本人も良く解らないんで読んでる人はより分らないと思いますが、まっ、禅なんて分ったら気違いですから。

脳みそがしーんと静まり返って今日は不調だな。



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