特別意味は無いんですけれども、詩集を読んでまして、詩人って死ぬんだなぁ、なんて思ったもんで・・・深い意味は有りません。
しかし、中原中也は何遍読んでも良く分からないです。
この度は大岡昇平編と言う奴で、とても長い解説が書かれているのを読んでいたんでありますが・・・ナンだか解説が余計にややこしいんですけど、と言う事で、中原中也はもういいや、と。
ただ、何となくおっさんが感じるのは、寂しかったんですかねぇ・・・なんか気持ちの弱っチイ男だな、と思うんですが・・・いや、女には手を出すし酒も良く飲むし、一見すると男の部分も有るんですけれども、心根は弱虫を感じるのでありますが。
で、次に高村光太郎を読んだ訳です・・・いや、流し読みの飛ばし読みですからとても早い訳です・・・しかも何回目か分からない程なんで一行読むと続きが頭に浮かんじまうんです。
まあ、この人の詩は分かり難いとは言えないんですけれども、しかし、良く分かりません。
言語明瞭意味不明系で、読むのに苦労は無いんですが何を言いたいのかは良く分からないと・・・まっ、おっさんの理解力が無いのでありますから他の人は此れが良い詩なんでありましょうね。
で、道程以後になると突然弱気になったのか分かりやすい詩を書くようになり、智恵子抄では一般人向けにとても受ける詩になっちまう訳です。
道程では意味不明な横文字が多いのも鼻に付くんでありますが、歳を取るとそれが減るのも良いです・・・道程以後にぼろぼろな駝鳥と言うのが有るんですが、これはそのまんま好きです。
次に、ンじゃぁと言う事で北原白秋を読んだんであります・・・いや、これはもう何も言う事は有りません・・・分かる物も分からない物もひっくるめて受け入れちまう訳です。
意味が分からないのに好きな詩というのはアレです・・・洋楽を聴くのに似ています。
英語の歌詞の意味は分からないんですけれども曲を聴いて引き込まれる訳ですが、そこにはリズムとかテンポとか、そう言う物が関わっていると思う訳です。
で、北原白秋の詩には・・・おっさんの思い込みも込めて、それが有るなと感じる訳であります・・・水墨集の中の「あそび 其の一」が好きです。
白秋は愚衆の理解を図って書いたと宣っているらしいんで、そりゃぁ一番大衆受けして当然と思います。
次に、草野心平を読んだ訳です。
いや、草野心平の詩は、俺の目を見ろなんにも言うなでありまして、諸手を上げて受け入れちまう訳です。
岩波文庫の入沢康夫編を読んでいるんですが、もう一発目から入れ込んじまう訳です。
ゲリゲがヤマカガシに食われるんでありますが、なんと気高きゲリゲで有りましょうか。
「蛙つりをする子供と蛙」
グリャリャ
あの子のちんぽをみな
まがっているよ
この詩が大好きです。
いや、蛙の詩ばかりじゃないんですけれども・・・大白道なんかはまったくなんとも立派に当たり前に詩人なんですけれども、でも、どこまで読んで行っても苛々するのは出てきません。
愚痴っぽく無く、説教臭くも無く・・・何度でも読んでみたいと思う詩が多いです。
いや、解説を読んでみたらプロレタリアート文学の中でアナーキズムがどーのこーのと書かれているんだが、おっさんはとても素直に暖かい物を感じるのみなんだけれどもねぇ。
まっ、確かに、貧乏を儚む詩も有るけれども、愚痴っぽいとは思わないんで・・・まっ、読みが足りないのか?
しかし、中原中也は何遍読んでも良く分からないです。
この度は大岡昇平編と言う奴で、とても長い解説が書かれているのを読んでいたんでありますが・・・ナンだか解説が余計にややこしいんですけど、と言う事で、中原中也はもういいや、と。
ただ、何となくおっさんが感じるのは、寂しかったんですかねぇ・・・なんか気持ちの弱っチイ男だな、と思うんですが・・・いや、女には手を出すし酒も良く飲むし、一見すると男の部分も有るんですけれども、心根は弱虫を感じるのでありますが。
で、次に高村光太郎を読んだ訳です・・・いや、流し読みの飛ばし読みですからとても早い訳です・・・しかも何回目か分からない程なんで一行読むと続きが頭に浮かんじまうんです。
まあ、この人の詩は分かり難いとは言えないんですけれども、しかし、良く分かりません。
言語明瞭意味不明系で、読むのに苦労は無いんですが何を言いたいのかは良く分からないと・・・まっ、おっさんの理解力が無いのでありますから他の人は此れが良い詩なんでありましょうね。
で、道程以後になると突然弱気になったのか分かりやすい詩を書くようになり、智恵子抄では一般人向けにとても受ける詩になっちまう訳です。
道程では意味不明な横文字が多いのも鼻に付くんでありますが、歳を取るとそれが減るのも良いです・・・道程以後にぼろぼろな駝鳥と言うのが有るんですが、これはそのまんま好きです。
次に、ンじゃぁと言う事で北原白秋を読んだんであります・・・いや、これはもう何も言う事は有りません・・・分かる物も分からない物もひっくるめて受け入れちまう訳です。
意味が分からないのに好きな詩というのはアレです・・・洋楽を聴くのに似ています。
英語の歌詞の意味は分からないんですけれども曲を聴いて引き込まれる訳ですが、そこにはリズムとかテンポとか、そう言う物が関わっていると思う訳です。
で、北原白秋の詩には・・・おっさんの思い込みも込めて、それが有るなと感じる訳であります・・・水墨集の中の「あそび 其の一」が好きです。
白秋は愚衆の理解を図って書いたと宣っているらしいんで、そりゃぁ一番大衆受けして当然と思います。
次に、草野心平を読んだ訳です。
いや、草野心平の詩は、俺の目を見ろなんにも言うなでありまして、諸手を上げて受け入れちまう訳です。
岩波文庫の入沢康夫編を読んでいるんですが、もう一発目から入れ込んじまう訳です。
ゲリゲがヤマカガシに食われるんでありますが、なんと気高きゲリゲで有りましょうか。
「蛙つりをする子供と蛙」
グリャリャ
あの子のちんぽをみな
まがっているよ
この詩が大好きです。
いや、蛙の詩ばかりじゃないんですけれども・・・大白道なんかはまったくなんとも立派に当たり前に詩人なんですけれども、でも、どこまで読んで行っても苛々するのは出てきません。
愚痴っぽく無く、説教臭くも無く・・・何度でも読んでみたいと思う詩が多いです。
いや、解説を読んでみたらプロレタリアート文学の中でアナーキズムがどーのこーのと書かれているんだが、おっさんはとても素直に暖かい物を感じるのみなんだけれどもねぇ。
まっ、確かに、貧乏を儚む詩も有るけれども、愚痴っぽいとは思わないんで・・・まっ、読みが足りないのか?