いや、今日もバイトでして私には時間が無いのであります。
あれです、今日は午後2時半までの勤務なんで帰宅は3時頃だったんですがその後が忙しかったわけであります。
帰宅したらまず、茶の一杯を飲むこともなく野良着に着替えて畑に出たわけであります。
そして、一等最初に手を付けたのがキャベツ畑の撤収であります。
あれ、長雨と低温でキャベツが腐って来ましてなんぼか食えそうなところだけを収穫した次第であります。
で、キャベツを引っこ抜いた後に牡蠣殻石灰と化学肥料をぶち込んで小型耕運機でかき混ぜ9月頭に植えるジャガイモ畑の準備をした次第であります。
で、次がキュウリの撤収でして、これは六月仮収穫し始めた早稲種でしてもはや草臥れ果てているわけであります。
なので根っこ枷引っこ抜き、牡蠣殻石灰と化学肥料をぶち撒き小型耕運機がかき混ぜ、こちらもジャガイモ畑用に畝を立てた次第であります。
で、次にやったのがトウモロコシ畑の耕運でして、こちらにも牡蠣殻石灰と化学肥料をぶち撒き耕して来月の始めに植える玉ねぎ畑の畝を立てた次第であります。
こーして10日ほど土を寝かせてから植えるわけですが、出来ればもう一度掘り返して天地返し的に日光を当て空気を含ませたいところでありますが、まっ、多分やらないと思います・・・なんたって私には時間がありませんから、なんちゃって。
で、キャベツは腐って異臭を放っていたわけですが、これが野菜のくせに死んだモノの匂いだから参っちまいます。
有機物だからって言えばそーなんでしょうけれども野菜から出る腐臭が動物のそれと大差ないってのは中々どーして結構な驚きであります。
あれです、直ぐに乾燥してしまう野菜はこんな臭いを出さないんですが、乾かずにくずぐずになって溶けるように腐る葉物はこんな感じなであります。
なのでゴミ袋に入れて捨てるのも憚られ大きな穴を掘って埋めちまいました。
ああ、白菜の播種と来春用のネギと玉ねぎの播種もしなくてはならず・・・あっ、大根を植える畝を忘れていたぞ!!!
あれです、家庭菜園に毛の生えた程度の畑なんですが四季を通して自家製野菜を食いたいと言う願望を満たすにはそこそこの労力と時間を要するわけでして、これの費用対効果は確実に負けだと思うのであります。
いや、絶対的に買って食ったほうが安いし手軽なんですが、まっ、趣味なんですから仕方がありません。
いや、晩飯を食べながら見ていたNHKのニュースに出ていた何処かの医師会の人が「制御不能に陥りつつある」なんてことを宣っていまして、その他の二ユースに出る専門家の皆様も異口同音に危機を煽るばかりで感染に歯止めをかけるための具体策は何一つ口にし無いのであります。
で、上記のニュースを一通り読みますと・・・お説ごもっとも、その通り、と拍手する次第であります。
専門家って人たちは漏れなく、ひたすら感染者の増加をネタに医療の逼迫を喧伝しては恐怖を煽っているわけですが、私に言わせるともはや聞き飽きたので効き目はないぞ、であります。
会議に出てきた「専門家」は、まず間違いなく、自分自身で取りまとめたのではない、スタッフが上げてきたパワーポイントとシナリオを読み上げる役で、その場で実質的な議論などなされることはありませんでした。 さらに、居並ぶ人々がどのような「専門家」であるか、検索して、もう一つ納得がいきました。 全員「医師」であること。またほぼ全員が「臨床医」(かそのOB)であること。 つまり、現役の基礎医学研究者や、一線の公衆衛生医、医師ではなく、都市防疫の観点からパンデミック収束を図るウイルス学の専門家などは一人もいないように見受けました。
まっ、医者の世界の内幕などは皆目分からないのでナンともカンともではありますが、自分が信奉している大橋眞教授のような人は会議はおろかテレビにも絶対に呼ばれないわけでして・・・まっ、そう言うことなんでありましょう。
この記事は是非とも開いて読んで頂きたいと思うものであります。
新型コロナに対する 国民の“特別”のデフォルト だがコロナ禍以前から、緊急搬送先が見つからず亡くなる人や、近くに専門的な病院がないためがんなどの発見が遅れて亡くなる人はいた。旧型コロナウイルスやインフルエンザで亡くなる人の中にも、早く治療を受けていれば助かったはずの人もいたかもしれない。 しかしそうした問題について、マスコミはそれほど取り上げず、SNSなどでも話題にならなかった。 どうやってインフルエンザや風疹の陽性判定をすべきか、誰が重症化しやすいか、どこで療養すべきかを、本気で気にする人はあまりいなかった。 いわば医療体制が不完全なために亡くなる人がいることは、多くの国民にとって「デフォルト(定番、普通のこと)」になっているといってもいいのではないか。
いや、まさにその通りでして、何故コロナだけ特別に恐れることになったのか、冷静に振り返るとおかしなことばかりなのであります。
風邪を拗らせて死ぬ人は毎年一定数いたのにそんなことはニュースにはならなかった。
年寄りは肺炎で死にやすいからと、65歳になると肺炎予防のワクチン接種のお手紙が市の方から届いたってことは、コロナ以前から年寄りは肺炎でそこそこ死んでいたわけであります。
しかし、あらゆる病気に、今の新型コロナと同じ程度の関心を持ち、心配し続けたら日常生活は送れないし、どれだけ医師や看護師、保健所職員がいても足りず、未来永劫“医療崩壊状態”が続くことにならざるを得ない。
私ゃ肺炎予防ワクチンのご案内を頂き、有り難く拝読し、まっ、要らねぇなと言うことでゴミ箱入りさせて頂いたわけですが、自分が懸からないなんて思ったわけではありません。
しかし、まかり間違った時のことは考え、それでも納得して止めているわけであります。
これ、この度のコロナワクチンでも同じでして、死んだって一回だものジタバタしないでおこう、って気持ちであります。
ここなんであります。
80歳とか90歳がコロナで死んだって騒ぐの、みっともないと思うんですけど言い過ぎですかね?
このような年齢なら確実に時間の問題でしてお迎えは既に秒読み体制であります。
そんな年齢の人を捕まえてコロナで重症だから延命をってのは馬鹿げているとしか思えないんですけれども・・・はい、そこの貴方の意義を認めます。
私は「命根性」という造語を作ったんですが、それは命には尊厳がある、ってことを言いたいのであります。
で、命根性は綺麗と汚いがありまして、齢を重ねてなお生にしがみ付くのは「命根性が汚い」というわけであります。
と、いうことで、年寄りはコロナにかかってもジタバタせずに自分の自然治癒力で勝負し、勝てたら生き延び負けたら死ぬくらいでよろしいと思うんであります。
そして文化的医原病というのは、人が病やけがで苦しみに耐えながら生きることや、一緒に住んでいる家族の中に死に近づいている人がいることには、いかなる積極的な意義も見いださず、痛みや死を日常生活から隔離しようとする価値観が浸透し、心理的な対応を含めて医者の手を借りざるを得なくなっているということだ。
まっ、記事は少し長いですがコロナだけの話では無く、現代の日本人の医療に対する姿勢に対して的を射ているので是非読んでください、なんちゃって。
昭和の匂いがしますなぁ!!!
いや、堅い話が続いたので少し息抜きにと思いまして綺麗所のお写真など貼って見ました。
いやぁ・・・北朝鮮には昭和が息づいているんですね。
わたし、この手の雰囲気大好きであります、なんちゃって。
おおっと、今夜もそろそろそー言う時刻であります。
では、皆様と自分の明日がそこそこ良い日でありますように願いまして、おやすみなさい、と。