じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

私は7R+型 です!!!

2021-08-15 15:38:36 | 日々の雑感
ふふふふふ、もひとつオマケにうふふふふ、と。

あなた様はD4ドーパミン受容体の正体をご存知でありますか?
うふふふふ、たぶん知らないでしょうね。

いや、知らぬが仏かも知れないこの驚愕の事実は次号に乞うご期待!!!

なんちゃって、それほど大したことでも無いんですが読みかじった本からのネタがとても嬉しかったのでここにご報告申し上げる次第であります。


長雨と低温続きで紫陽花がまた咲いた

長雨と低温の関係は不明だがバラが咲いた

いや、先ほど雨が止んでいるのに気づき庭に出て見たら紫陽花が咲いているのを見つけてカメラを持ち出した次第でありますが、まっ、毎度のお目汚しであります。

先に結論を述べますとD4ドーパミン受容体を持つ男は遺伝的に浮気性でそっち方面が大好きってことでありまして、それが7R+ってタイプなのであります。

で、自分が7R+型であると確信した私は、自分のスケべは遺伝なので抗えないと言う事実を知ったわけであります。

で、動物の遺伝子の作用と生殖行動のあれこれを読んでいてしみじみ思ったんですが、生き物の行動の全てに理由があるってことでありました。

あれです、私が無類の好き者である理由は薄々感じていた通りでして、己の遺伝子を多方面に残したいと言う本能に根ざすものであり理性を超えた所業だったわけであります。

なんと言う素晴らしい本でありましょうか!!!
心のどこかでスケべを恥じていた自分でありますが、遺伝子の為す所業であればそれは仕方が無いのであります。
いや、なんとなれば私も自然界の生き物でありますから。

で、驚いたと言いますか、少し考えれば尤もであるとなるのが、遺伝子を残そうとする本能は社会の約束や理屈とは無関係に発揮されるのだそうで、とても理性的な自分が時に押し流される理由もそこにあったのだと納得した次第であります。

あれです、D4ドーパミン受容体ってのは行動の遺伝子だそうでして快楽を求めるドーパミンがくっ付くいて作用するんだそうでありますが、7R+の人はその傾向が強く7R−では弱いってことであります。

いや、読んでいた本は「動物学から見た男と女」ってサブタイトルの本なんですが読めば目から鱗尻から屁でして驚くやら納得するやらと大変なものであります。

で、この行を読み進みますと・・・7R+はあまり褒められたものではなく、快楽欲求ドーパミンを過度に求めるってことで、刺激が強く無いと満足できないってことのようであります。

なので常に新しい相手を欲して浮気をし、強い刺激を求めては新しいことに手を染めるってな具合だそうであります。

いや、刺激が強いとドーパミンはたくさん出ますから言ってみればドーパミン中毒ですね・・・それ、この本を読む前からなんとなくですが本能的に察していたわけです。

あれです、ドーパミンは持久系の運動でよく出るわけですが、物心ついた時からずーっと運動を欠かさず来た自分は完璧なドーパミン中毒なのでありましょう。

で、本をちゃんと読むと、この手のタイプは浪費が好きで浮気性で左巻き思想が多く薬物依存の確率も高い、と、ろくなモノでは無い感じなんですが、まっ、いいでしょう。









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私は上流にいるのか?

2021-08-15 14:47:06 | 日々の雑感
いや、今日はバイトが休みで外は大雨・・・したがって植木屋なんてやってられる状況じゃ無く、否応無しのお休みであります。

まっ、植木屋の仕事なんてのは誠にもって不要不急なので今日やらなくても誰も死にはしないってのが相場であります・・・んっ?、それなのに何故こーも仕事があるのかは謎であります、なんちゃって。

さて、詰まらない前ぶりで入るのは「貴方は上流or下流」であります。

いやいや、私は間違いなく上流に住んでいるんですが、それは収入や財産の話では無く、要するに住居の標高の話であります。

で、下流の河川域になどに住むと氾濫による洪水の危険があり、上流だと沢からの土石流なんてことが懸念されるわけでありますが、ホントーの話題はやはり生活の流域であります。


自分の周りにはこのような子供がいない・・・いや、目立たないので自分が知らないだけなのかも知れないので滅多なことは言えないんですが、根がバカだから思ったことを語ってしまうわけですが、たぶん、ほんとーに自分の周りにはいないと思います。

あれです、東南アジアの国々では貧しいと子供でも働くんですが日本では子供は勉強するもので働くものでは無いのでありますね。

まっ、貧困からの脱出は勉強して収入の良い仕事に就くってのが手っ取り早いんでそー言う事なんでありましょうが、貧乏国でも先進国でも教育費の負担こそが生活苦を生む筆頭と思うのは間違いでありましょうか?

いや、教育の幻想と詐欺についてはまたいつの日か。
へっ? 無用ですかぃ? まっ、いいでしょう。

なんと申しましょうか、本当に食うや食わずの貧乏だと学校に行くのが不可能なので必然的に働くことになっちまうわけですが、そこまで至らない日本はまだ余裕があるって言ったら怒られますかね?

いや、大学を断念して就職したってのが可哀想な話として扱われる昨今ですが、そんなのは働いて銭貯めて学校に行くなり、取り敢えず働きながら夜学とか、本気で探ったら手はあるだろうと思うんですが、まっ、いいでしょう。

あれです、自分がいたフィリピンの村には小学校さえ行かない、行けない子供がわんさかいたんですが、それが大人になって低所得者の下層民になるのかと言うと全部がそーでは無いのであります。

例えば一時期我が家に寝泊まりしていたエリックは年齢は10歳でありましたが、これは漁師の息子で海のことには長けていて既にエンジン付きのボートを器用にこなし、嵐が来る前に、小型ですがダイビングボートを安全な入り江に避難さ、風の向きを読んで舫いを決めるなんて技を持っていたわけです。

で、エリックは勉強が嫌いで学校に行かずにダイビング屋の見習いをしていたんですが客商売ってのも好きでは無くいつしか居なくなったわけです。

で、その後のエリックは手漕ぎのサカヤン(小さなベニヤ板製のボート)で海に出てバルー(和名だとダツ)という魚を捕る腕の良い漁師になり下手な大人より稼ぐようになったのであります。

他にもいろんな仕事に就いてあの国の水準では普通って暮らしをする子供がなんぼでも見られたわけであります。

が、なんと申しましようか、逆に公立のエレメンタリーをそこそこの成績で出、ハイスクールも村の公立でそこそこの成績なんてことだと安定した仕事は無く手に職を持った人より厳しい生活を強いられるわけであります。

いや、自分が村を離れてからの経済成長は著しく彼の国でも職はあるらしいので自分の話は昔話かも知れませんが、でも街場の勤め人は生活費もかかるし、漁師や職人の暮らしは意外と楽ってのは変わらないと思うんであります。

いや、社会の仕組みが違うからと言うのは百も承知で言うんですが、日本の同年代の子供と比べるとエリックの逞しさは抜きん出ていると思うわけです。

そこで、大して頭のよく無い子供は高等教育なんてのは無用だから現場で修行した方が良いんじゃ無いか、なんてことを思うんですが、これは時代錯誤のジジイの戯言なんでありましょうか、なんちゃって。

話は飛んで・・・ずーっとRCと清志郎の歌を聴いていたんですが歌詞の一言が気持ちに刺さると言いますか、なんだか真面目に聴いちまうんであります。

とくに「サラリーマン」の歌詞なんてのは聴きながら自分の来し方を思い起こさせるものでして目を瞑ってしんみりと考え込んでしまいました。

で、なんだか気持ちが重くなったと言いますか聞くのが辛くなっちまったわけで次のメドレーとして選んだのが演歌でして、一番に出たのは「小樽のひとよ」でありました。

いや、演歌も心に滲みはするんですが真っ向から捉えて見たら殆ど自分の生活と無関係でして、今更なんですけど清志郎の歌がけっこう現実的なことに気がついた次第であります。

そーか、清志郎の歌には自分がいたのか、なんちゃって。

えっ・・・? 
いや、なにを言いたいんだと問われましても唯それだけの事なんですが。








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敗戦記念日 ですぞ

2021-08-15 08:37:47 | 日々の雑感
いや、今日を終戦記念日という下心が下衆い、と思う私はひねくれ者でありましょうか。

いやいや、子供の頃から終戦記念日と教え込まれているのでなんの疑問も持っていないと言うのが大半でありましょう。

いやいや、そもそも、あの日は76年前ですから、記憶に留めろと言う方が無理れ難題でありまして、終戦でも敗戦でも興味も無いってのが普通でありましょう。

ですがせっかくの敗戦記念日なので私の思いを語らせていただくと・・・終戦としたのは日本政府とアメリカ軍の思惑が一致したから、だと思うんであります。

無条件降伏ですから完膚無きまでの敗戦なんですがそれだと昨日まで神格であった天皇の立場はどーするって面子の問題と、敗戦という言葉で日本人が抱く、ならばリベンジをって気持ちを起こさせたく無いマッカーサー一味の思惑が一致し、終戦なんて曖昧な言葉が罷り通ったものと思うんですが、はい、そこま貴方の異議を認めます。

あれです、今朝のNHKはずーっと大雨情報でしたが、その後は敗戦記念日の話でして、毎度代わり映えのしない悲惨な戦争の風化をなんとかしないとって話でありました。

いや、この手の話には辟易でしてすぐにスイッチOFFなんですが、記憶を風化させまいとする努力ってのは大概が行き過ぎて話を誇大化したり捏造したりして曲がっちまうから大嫌いであります。

失礼と語弊を承知で言いますが、生き証人の話ってのがこれまた大嫌いなんであります。
人によっては演壇に立ち何度も語っているようで見事な「お話し」になっているわけですが、言葉が微に入り細に入り鮮明になる程私ゃ耳を塞いでしまうのであります。

これだけ精神的に骨抜きが完成した日本人がまた鬼畜米英に挑むなんて絶対にありえないし、もはやそれが出来ない仕組みが完成された日本国でありますからいい加減に戦争は忘れて良いと思うんですが、まっ、それが飯の種って団体と人がいるので仕方がないですね、なんちゃって。

「お話し」って言葉の響きで思い出したのが今朝のNHKのラジオで聞いた「落合恵子の絵本の時間」であります。

いや、落合恵子のなんでも平和主義は好きじゃないんですが目覚ましがわりにタイマーセットで始まるラジオなんで聞くとも無く耳に入っちまうわけであります。

で、話は、その番組の最後にかかった曲のことであります。

カーリー サイモン You’re So Vain・・・邦題は「うつろな愛」となっている、その昔大好きだった曲でありました。

しかし、私のへぼ耳では歌詞がよく聞き取れなくて意味不明・・・そもそもYou’re So Vainがなんで「うつろな愛」になるんだと朝から1発食らい、先ほどVainの意味を調べ、やっぱし「愛」って意味は無かったわけですが、良い曲を思い出したということで、まっ、いいでしょう。

あれです、正直にいうと英語の歌の大半はほぼ意味不明でしてYou’re So Vainに限ったことでは無いのでありますが、なぜかカーペンターズの歌だけはそこそこ聞き取れるから不思議であります。

なんと申しましょうか、敗戦記念日が盆と重なるのは偶然なのかと考えるんですが、まっ、いいでしょう。

コメント (4)
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