と、言うことで本日は山形県は高畠町の「山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館」へ行ってみました。
グーグルマップによれば我が家からは93キロと出ているんですがほとんど信号も無い山道を行くからか 一般道だけで2時間06分で着くってことでありました。
で、自分の予測では行きは左程混まないが帰りが心配ってことで早く行ってサッサと帰ってこようって算段で少し早めに家を出た次第であります。
とは申しましてものんびり朝のコーヒーなど飲んでいたら8時半だったんですけどね。
で、家を出てまずは満タンにして秋保温泉をかすめて川崎町のダム湖畔に出てMT-07を入れた湖畔の風景を撮るのがお約束であります。
MT-07と釜房湖と蔵王連峰
MT-07と釜房湖と新緑
いや、この道はいつも来た道 あーあそうだよ スキー場に行く道なのだよ、ってことで通い慣れた道を白石スキー場の下まで国道457号線を走ったのであります。
で、七ヶ宿町で国道13号線に乗り換えまして二井宿峠のトンネルを抜けたらすぐに目的地の高畠町であります。
いや、ナンダかんだ申しましてもGWの真っ只中でして道はそこそこ詰まっていたわけです。
まっ、自分の場合は前に車が一台でもいたら詰まっている、と感じるタイプなので普通の人は空いていると思うのかも知れません。
でも、普段の平日ならこの山道はほとんど通る車は無いんですぜ、なんちゃって。
で、天気予想が気温は上がるよ、と申していた割には風が冷たく真に受けて軽い服装で乗って来た自分は全身冷えた次第であります。
いや、結構標高の高いところを走る山道なんで道路脇にはまだ雪も残っていまして冷えるのも宜なるかなであります。
あれです、途中に二、三箇所道の駅やらパーキングがあるんですが何処を見てもバイクが停まっていまして、やっぱしツーリング日和なんだなとしみじみ思いました。
で、峠を越えたら山形県の高畠町でして、下りきってすぐに「道の駅たかはた」があり「山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館」はほとんど隣で併設って感じなのであります。
山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館
あれです、縄文遺跡の資料館は敷地内に漏れなく竪穴式住居を復元して観せているんですがここも例外では無く整備された公園内に掘っ建て式の茅葺小屋が見えたのでありました。
と、言う事は、資料館を見る前に掘っ建て小屋を見学しなくてはと公園内を歩いたのであります。
石の古墳であります
が、最初に出会したのは縄文時代の竪穴式住居では無く石造りの古墳だったのであります。
いや、弥生から後の時代は今のところ興味が薄いんですが目の前にさぁーどーぞ出されれば、ほほぉどれどれ、と観てしまうのが人情ってもんですから自分も石の入り口から石室に入らせて頂いた次第であります。
あれです、なんと申しましょうか、この手の石組みなどを見ると常に思うんですが、重機も使わずにどーやって上げたんだ、であります。
古墳って人様のお墓ですよね
さて、石室を組んでいた石はどーやって切り出したの、と魂消る精度でして大昔の人の能力って不気味、と思うんですが、まっ、いいでしょう。
で、感慨深い石室を見たあとはいよいよ縄文の竪穴式住居の見学であります。
水辺の集落を再現したもよう
あれです、今までに見て来た竪穴式住居と違い全体が茅葺ってのが目を引くんですが、福島で見た土で覆った様式よりも明るさを感じました。
いや、葦で葺くか土を被せるかってのは手に入る材料の違いって事なのだろうと思いますが、まっ、いいでしょう。
切り出しただけの丸太で組まれている
しかし、中に入ってむむむむむ? と。
なんとなれば竈門などの造作がないので生活感が無いのであります。
いや、火を使った形跡ってのはそこに人が暮らし生きた証って事で大切なのであるなと思ったんですが遺跡からは出なかったんで再現していないんでありましょうか?
あれです、ここの掘っ建て小屋は木に細工をして組んだりせず切り出した雑木の丸太を無造作に括り付けてありリアリティーを感じた次第であります。
まっ、要所には番線を使って絞めてあるのはアレですが、まっ、いいでしょう。
と、言う事でゃっと目的の、うきたむ風土記の丘考古資料館に入場であります。
木戸銭の200円を支払い館内に入ると、外の公園の賑わいとは打って変わって見学者は自分一人でして、誠にもってごゆっくりの世界でありました。
さて、ここの遺跡の凄いのは石器時代から弥生時代までの出土品が展示されているって事であります。
いや、土器だって縄文早期の物から中期、そして後期から弥生があって土師器と須恵器まで並ぶんですから驚きであります。
と、言う事はざっと1億5000年くらいの間営々と集落が続いたって事だと思うんですが、まっ、住みやすい場所だったんで時代毎に栄えたんですね、なんちゃって。
縄文中期の土器 煤けているのが良い
いや、土器の展示でもっと驚いたのが関東地方の様式の土器や円筒式や宮城県に多い大木式土器と様々な様式が出土しているって事であります。
これは妄想せずにはいられないわけでして、いろんな地方の縄文人が「うきたま」の噂を聞いて移り住んだんじゃ無いか、なんてことを思うのであります。
芸術の域にある縄文中期の土器
あれです、火焔型土器の一種なんでありましょうか、見事な造形としか言いようの無い土器でありますが、縄文中期というと4500年も前にこれを作った感性に脱毛・・・もとい脱帽であります。
土師器
で、土師器というと時代はずーっと新しくなって弥生を通り過ぎて飛鳥時代頃になるんでありましょうか?
いや、私ゃ土師器を見るたびに思うんですが縄文時代よりも造形が稚拙になっていると思うんであります。
そこで思うのは、土師器を焼いたのは縄文人とは異質の系統の人じゃ無いのか、であります。
須恵器になると趣が上等になる、かな?
で、須恵器になると一気に出来が良くなるわけで、ここもまた土師器と須恵器を作ったのは違う人種でやっぱし縄文人の系統では無い、って気がするんですが、まっ、いいでしょう。
まっ、須恵器が出土する遺跡からは朝鮮半島由来らしい金属製の三累環や鞘尻が出土、なんてのも書かれていたんでそー言うことかも知れませんね。
土偶は少なかった
いや、土偶フェチの自分としては強烈な土偶の一つも見たいって気もしましたがここの展示に関しては一時代では無く旧石器から古墳時代までって事で土器その他の出土品と説明を読むだけで十分満足した次第であります。
石棒の頭飾りから縄文人を身近に感じます
と、いう事で、縄文時代のあれこれを堪能して大満足で斜向かいの「道の駅たかはた」に入ったのが11時40分でありました。
天ざる 1360円 うまい!!!
そんなわけで12時20分まで昼食休憩をしてあとは元来た道を一気に家まで、のつもりだったんですがえぼしスキー場入り口のちょい手前でまさかの渋滞にあいましてビタリと止まって動かなくなったのであります。
あいやぁ、という事は遠刈田温泉の交番前の交差点から県道までの信号で詰まっているな、踏んで遠回りになるけれども白石に出て高速で帰ることにしたわけであります。
いや、この道なら観光客が入り込む事はほとんどないので混むことも無かろうと廻ったんですがやっぱしGWの真っ只中って事で渋滞こそしませんが流れは悪くトロトロノコノコの歩みでありました。
で、白石インターから東北道に乗ったんですがこっちは意外と空いてまして順調に宮城インターまで走って無事帰宅でありました。
本日の走行距離 205キロ
ガソリン代 7.2リットル 1156円
入場料 200円
高速代 880円
ざるそば代 1360円
あー楽しかった、と。