とある村の庄屋に「鶴」という娘がいた。
鶴は幼少の頃から体が弱く、暑いと言っては臥せり、寒いと言っては、また臥せっていた。
今年の、長引いた梅雨の頃に体調が優れないと床に着いた鶴は、柿の実が熟れても起きられずにいた。
立冬を過ぎたある日、強い北風が吹いた。
翌日は寒くはあったが日差しがあり、陽だまりは暖かかった。
鶴は寝床を縁側の障子のそばに移してもらい横になったまま庭に目を向けていた。
初冬の、抜けるように澄んだ青い空に舞い散り落ちる木の葉を見ていた。
そして鶴は言った。
あの最後のひと葉とともに私も散るのかしら、と。
それはほとんど声にならない言葉であったが、ちょうど手入れに入っていた庭師の作造は聞き逃さなかった。
作造は見習いの頃から出入りし鶴の成長をずっと見て知っていた庭師だった。
いや、知っていたというよりも鶴の良き遊び相手でもあった。
病弱で屋敷の外に出ることの無い幼少の鶴は作造を遊び相手にしたのだ。
だから鶴は作造をよく慕っていた。
作造はよほど鶴の前に飛び出し、そんなことを言ってはいけない、気をしっかり持ってくれろ、と言おうとしたが止めた。
辛いのは聞いた自分では無く、思わず口をついてそんな言葉の出る鶴であると思ったからだった。
最後のひと葉は真紅に紅葉したもみじであった。
作造は鶴が眠るのを待って木に登った。
そして火で炙った松脂でもみじの葉を固めた。
これなら北風が吹いてももみじが落ちることは無い。
庄屋の庭は広かったので作造は手入れのために毎日出入りしたいた。
作造はあの日からもみじの葉の細工を欠かさなかった。
鶴は晴れていれば陽だまりを求めて床を縁側の障子のそばに移し、外を眺めていた。
木々はすっかり葉を落とし庭は寒々しい冬の景色になっていた。
しかし、その中に一点、真紅のもみじがいつもひと葉、どれぼどの北風吹いても飛ばずにいた。
鶴はそのひと葉が気になっていた。
いつかは必ず飛ばされるであろうもみじに己が明日を見ていたのだ。
そして言うのだった。
あのひと葉とともに私も散るのだ、と。
作造は落ちたもみじの葉をかき集めてあった。
北風に吹かれたもみじは1日と持たずに千切れてしまうのだ。
だからほとんど毎日付け替えていた。
これで、この葉っぱを見て鶴が冬を越してくれたらと作造は思ったのだった。
あれから幾日か経ち、もはや初冬は過ぎ、初霜から初氷を経て今朝は雪が舞った。
そんな日でも作造には庭の仕事があった。
そしていつものようにもみじの木に登り梢に枯葉を一枚松脂で付けた。
もみじの木はそこそこの高さでおよそ15尺もあった。
腕の良い庭師の作造は10尺でも12尺でも造作無く登れ、手早く作業をしていた。
もみじの梢に腕を絡め片足立ちをし、空いた手で懐の鳥黐を探っていた作造が何かの拍子に落ちた。
吹き付けた雪が氷となって作造の足を滑らせたのだった。
作造はもみじの下の氷の張った池に落ちた。
池が幸いして命に別状は無かったが強かに腰を打っていた。
しかし作造は冷たい池に浸かったまま唸ることもできずにいた。
やがては凍えて逝くことになるのは明らかだった。
障子を閉め奥で寝ていた鶴であったが大きな物音が気になった。
この日、庄屋の屋敷には誰もいなかった。
鶴についていた女中も一時ほどの暇をもらって外に出ていたのだ。
湯浴みと用足し以外ではほとんど起きることの無い鶴であったが虫の知らせる胸騒ぎにやっとの思いで立ち上がり、障子を開けた。
すっかり葉が落ちて見通せる先の池に異様なものを鶴は感じた。
よく目を凝らすと誰か人が池の中で蠢いているのが見えた。
鶴はとっさに作造であることを察した。
鶴は用足しに行くときの支えの杖を手に草履も履かずに庭に出た。
寝間着姿のままの鶴に北風が吹き付けていた。
おぼつかない足で池まで、やっとたどり着いた鶴は作造に、今助けてやるからと語った。
しかし鶴にそんな力が無いことは作造は知っている。
そんなことよりもこの寒さの中で寝間着一つの鶴の容体を気遣って、自分のことは構わないで屋敷に戻ってくれと懇願して言った。
だが鶴は聞かなかった。
「作造、最後のひと葉は貴方なのにどうして放っておけましょうか」と言うのだった。
作造は自分が池から出ないと鶴が動かないと分かり意を決した。
池に入ろうとする鶴を制して作造は、痛めていない右手で腰の棕櫚縄を探った。
そして探り当てた縄を鶴に投げ渡し、もみじの幹に巻いてくれろと頼んだ。
これも不思議であったがほとんど身動きできないほどに弱っていたはずの鶴が棕櫚縄を受け取ると素早くもみじの幹に結びつけたのだ。
作造は痛めていない右手に渾身の力を込めて引き、また、激痛の走る足で池の底を這いずった。
紅葉に結びつけた棕櫚縄を鶴も一緒に引いていた。
岸から這いずり上がるとき、作造に差し出された鶴の手は血が滲んでいた。
赤子にも等しい鶴の手は粗い棕櫚縄で痛めていたのだ。
作造は水から上がって震えていた。
歯の根も合わぬほどに震え言葉にならない声で鶴に礼を言った。
小さく華奢な鶴が作造を抱きかかえ、暖めようとしていた。
作造は、少し休めば動けるから屋敷に戻ってくれと懇願したのだが鶴は動かなかった。
このままでは自分ばかりか鶴を巻き添えにしてしまうと思った作造はもみじの幹に右腕を絡ませ立とうと試みた。
すると鶴が作造の左の腕の下に体を入れ持ち上げようとした。
鶴の髪が作造の顔の鼻先にあってとても良い香りを感じていた。
作造は思った。
死にたく無い、と。
閉じ込めていた鶴への想いが作造に力を与えた。
作造と鶴は互いに支えあい、どこから湧いたものか判らない力に助けられ屋敷の縁側にたどり着いた。
屋敷に上がった鶴は作造を裸にし自分の布団に寝かせた。
そして鶴も濡れた寝間着を脱ぎ作造の脇に身を寄せた。
続かない・・・これでおしまい。