昨日帰ってきたばかりなのに、それはもう遠い昔のように思え、記憶さえも断片になっている。
いや、ひょっとすると自分はあの街には行って居ないのかも知れない、と、そんな気さえするのです。
そー・・・あれは幻の街で、あの娘は蜉蝣であり、旅が終わった今は消えたのでありましょう。
なぁ~んて感傷的雰囲気から入っても、書くのが私でありますから、どーせお下劣な方向に話が流れるのは必至・・・だったら正攻法に時系列で並べましょう、と。
これはフィリピンでは無く仙台の中心部です
仙台空港からは遠くに仙台市街が見えます。
少し言い訳すると、デジカメのデジタル望遠で目一杯引っ張ったので画質がナニですが、まっ、雰囲気を見るということで。
小さな仙台空港は入国審査を終えると唐突に待合室に顔を突っ込むのであります。
そこで私はお気に入りの席に座り生ビールの中とカレーを頼むのであります。
そして、カレーをつまみにビールを舐め、まばらな飛行機を見たり、仙台市街や蔵王の山並みなど眺めるのであります。
自分が成田や羽田に行かなくなった理由はこれかも知れません。
地元の空港はなぜか尻が落ち着くのであります。
かつて成田を頻繁に利用していた頃にも定位置と言える席があり、同じようにビーフカレーとビールをやっていたんですけれども、そんなに落ち着く場所では無く、何と無く田舎者をあざ笑っている風に感じたものでありました。
自宅から駅まで車で10分。
仙山線に乗って20分弱で仙台駅に着き、空港線に乗り換えて20分であります。
乗り継ぎが上手くいくと1時間で空港につけるのは気持ちも体も楽であります。
まっ、掟破りとも言える韓国のアシアナ航空で行くのは少し気が引けますが、まっ、それを咎められるとしたら私は宮城県知事に大声で言いたい。
全日空でも日本航空でも東亜国内航空でも良いからもっと飛ばして便利にしてくれや、と。
インチョン空港で中国人を隠し撮り
インチョン空港は巨大であります。
今年は平昌オリンピックがあって第二ターミナルが開業しました。
それによってさらに大きくなったインチョン空港は規模では日本のどの空港よりも上回っていると言えます。
そして世界のハブ空港を声高に言うだけあって施設の充実度もそれなりに悪くは無いのであります。
例えば、ハブ空港ともなれば長時間の乗り継ぎ待ちの客は増える訳です。
が、この空港には誰にも気兼ね無く、しかも相当静かに寝ていられる場所が数箇所もあるのです。
日本の空港を含め自分が知る限りの空港でこんなにのんびり寝られる場所が多いのはここだけであります。
大嫌いな韓国ですけれども、正直に言って日本のおもてなし、こと空港に関しては完全に負けています。
そしてピンボケ・手ぶれのお写真は中国人の担ぎ屋です。
航空運賃が安いインチョンの免税店で買い物をしてとんぼ返りで中国へ戻る担ぎ屋がトランジットサービスエリアで荷物を小さくして詰め込んでいるところであります。
日本でも見られる光景ではありますが、その規模はインチョンの方が上だと、自分は思います。
そんなことに勝った負けたは無いのしょうけれども、中国人の購買力を当てにした日本の小売業もあるのを鑑みれば、負けているとも見えるのであります。
フィリピンの夜はどこも大渋滞
フィリピンもここ十年でめまぐるしく変わっています。
まず、車が増えました。
それも昔多かった、日本から輸入の中古車を左ハンドルに改造したものでは無く、フィリピンで生産されたトヨタの新車などが多いのであります。
まっ、トヨタよりも安いので韓国製のKIAやHYUNDAIも多いんですが、大型のピックアップやSUVはトヨタが勝っているようでありました。
ここは場末、メインの歓楽街はもっときらびやか
歓楽街は夜になると歩行者天国になって酔っ払いがふらついても大丈夫です。
タイにの歓楽街もホコ天になっていますが、規模で言ったらバンコクやパタヤやプーケットと比べたら可哀想なほどの規模であります。
しかも、店はよく潰れるようで時々看板が変わっていたりもします。
何よりも驚く変化は、20年前の上客といえば日本人だったのが、今は圧倒的に韓国人が多い事であります。
まっ、質的にどっちが上客かとフィリピン人に問うと間違いなく日本人と答えますが、量では圧倒的すぎて話になりません。
なのでホテルも食べ物屋も一気に韓国色に染まっているのであります。
ちなみにホテルの朝食にはキムチが出されていましたし、おかゆは「韓国式」と書かれていました。
看板も然りです。
かつてのフィリピンの観光地には日本語が溢れていましが、今はハングルが隆盛であります。
英語と日本語の表記から日本語が消え、変わってハングルがそこに収まっているのであります。
あの街の外れにはコリアンタウンができているので小さいながらも韓国の食材を売る店もあるのです。
夜のプールサイドと夜景
30年前のフィリピンは首都圏でさえ頻繁に停電していたのであります。
それほど電力事情は不安定で、だから信号機は機能せずで、設置はしてみるものの動かなかったのであります。
フィリピンの夜は真っ暗にならないのであります・・・これ、本当です。
だから停電の時にブラックアウトとは言わずにブラウンアウトと言うのであります。(今もそうだと思いますが)
東南アジアの安ホテルは停電が多いのでエレベーターが使えませんでした。
なので6階建てなのにエレベーターの無いホテルなんてのがあります。
まっ、少し立派なホテルや飲食店なら大型のディーゼル発電機で賄っていたのでさほど不便も感じませんでしたけど。
既出ですけど 昼飯のフィリピン ブレックファスト
この昼飯はフィリピン人用の朝飯でありました。
まっ、昼飯に頼んでも文句は言わないので頼んだんですけれども、メニューにこれを見つけた時は心の底から嬉しくなりました。
自分がフィリピンにどっぷりと浸かっていた頃、よく食べたものだったのであります。
この国の全てに翻弄されて必死だった頃に唯一心底美味いと思って安心して食べられたのがブラッドでありました。
チャンゲに行けば小銭で買えるフィリピン人の庶民のおかずなんですが、いろんな小魚が季節と地方によって微妙に違ってそれも楽しいのであります。
この日、セットに付いてきた二枚をあっという間に食べ終え追加で注文したんですけれども、お代を取らずに持ってきてくれました。
その時のウェイターとあれこれ話をしたんですけれども、自分がビサヤ語を話す事に驚くとともに、日本人である事も大いに喜んでくれたのでありました。
このホテルも御多分に洩れず韓国人が多いのであります。
ホテルの人たちは決してあからさまに区別や差別はしないのですけれども、今は少数になってしまった日本人に出会うと何故か喜んでくれるのであります。
それはまるで古くからの友人を歓迎でもするかのような優しい笑みで話してくるのであります。
フィリピン人が日本人に向ける笑顔は本当の友人に向けるそれだと自分は思うのであります。
たいして金も持っていないのに見栄っ張りで、本当は値切りたいくせに言い値で支払ってしまう気の弱い日本人がフィリピン人は好きなんであります。
言ってみればあの街の古き良き時代の「カモ」であった訳ですが、当時を知るフィリピン人も懐かしがっているのだろうと思うのであります。
いや、ひょっとすると自分はあの街には行って居ないのかも知れない、と、そんな気さえするのです。
そー・・・あれは幻の街で、あの娘は蜉蝣であり、旅が終わった今は消えたのでありましょう。
なぁ~んて感傷的雰囲気から入っても、書くのが私でありますから、どーせお下劣な方向に話が流れるのは必至・・・だったら正攻法に時系列で並べましょう、と。
これはフィリピンでは無く仙台の中心部です
仙台空港からは遠くに仙台市街が見えます。
少し言い訳すると、デジカメのデジタル望遠で目一杯引っ張ったので画質がナニですが、まっ、雰囲気を見るということで。
小さな仙台空港は入国審査を終えると唐突に待合室に顔を突っ込むのであります。
そこで私はお気に入りの席に座り生ビールの中とカレーを頼むのであります。
そして、カレーをつまみにビールを舐め、まばらな飛行機を見たり、仙台市街や蔵王の山並みなど眺めるのであります。
自分が成田や羽田に行かなくなった理由はこれかも知れません。
地元の空港はなぜか尻が落ち着くのであります。
かつて成田を頻繁に利用していた頃にも定位置と言える席があり、同じようにビーフカレーとビールをやっていたんですけれども、そんなに落ち着く場所では無く、何と無く田舎者をあざ笑っている風に感じたものでありました。
自宅から駅まで車で10分。
仙山線に乗って20分弱で仙台駅に着き、空港線に乗り換えて20分であります。
乗り継ぎが上手くいくと1時間で空港につけるのは気持ちも体も楽であります。
まっ、掟破りとも言える韓国のアシアナ航空で行くのは少し気が引けますが、まっ、それを咎められるとしたら私は宮城県知事に大声で言いたい。
全日空でも日本航空でも東亜国内航空でも良いからもっと飛ばして便利にしてくれや、と。
インチョン空港で中国人を隠し撮り
インチョン空港は巨大であります。
今年は平昌オリンピックがあって第二ターミナルが開業しました。
それによってさらに大きくなったインチョン空港は規模では日本のどの空港よりも上回っていると言えます。
そして世界のハブ空港を声高に言うだけあって施設の充実度もそれなりに悪くは無いのであります。
例えば、ハブ空港ともなれば長時間の乗り継ぎ待ちの客は増える訳です。
が、この空港には誰にも気兼ね無く、しかも相当静かに寝ていられる場所が数箇所もあるのです。
日本の空港を含め自分が知る限りの空港でこんなにのんびり寝られる場所が多いのはここだけであります。
大嫌いな韓国ですけれども、正直に言って日本のおもてなし、こと空港に関しては完全に負けています。
そしてピンボケ・手ぶれのお写真は中国人の担ぎ屋です。
航空運賃が安いインチョンの免税店で買い物をしてとんぼ返りで中国へ戻る担ぎ屋がトランジットサービスエリアで荷物を小さくして詰め込んでいるところであります。
日本でも見られる光景ではありますが、その規模はインチョンの方が上だと、自分は思います。
そんなことに勝った負けたは無いのしょうけれども、中国人の購買力を当てにした日本の小売業もあるのを鑑みれば、負けているとも見えるのであります。
フィリピンの夜はどこも大渋滞
フィリピンもここ十年でめまぐるしく変わっています。
まず、車が増えました。
それも昔多かった、日本から輸入の中古車を左ハンドルに改造したものでは無く、フィリピンで生産されたトヨタの新車などが多いのであります。
まっ、トヨタよりも安いので韓国製のKIAやHYUNDAIも多いんですが、大型のピックアップやSUVはトヨタが勝っているようでありました。
ここは場末、メインの歓楽街はもっときらびやか
歓楽街は夜になると歩行者天国になって酔っ払いがふらついても大丈夫です。
タイにの歓楽街もホコ天になっていますが、規模で言ったらバンコクやパタヤやプーケットと比べたら可哀想なほどの規模であります。
しかも、店はよく潰れるようで時々看板が変わっていたりもします。
何よりも驚く変化は、20年前の上客といえば日本人だったのが、今は圧倒的に韓国人が多い事であります。
まっ、質的にどっちが上客かとフィリピン人に問うと間違いなく日本人と答えますが、量では圧倒的すぎて話になりません。
なのでホテルも食べ物屋も一気に韓国色に染まっているのであります。
ちなみにホテルの朝食にはキムチが出されていましたし、おかゆは「韓国式」と書かれていました。
看板も然りです。
かつてのフィリピンの観光地には日本語が溢れていましが、今はハングルが隆盛であります。
英語と日本語の表記から日本語が消え、変わってハングルがそこに収まっているのであります。
あの街の外れにはコリアンタウンができているので小さいながらも韓国の食材を売る店もあるのです。
夜のプールサイドと夜景
30年前のフィリピンは首都圏でさえ頻繁に停電していたのであります。
それほど電力事情は不安定で、だから信号機は機能せずで、設置はしてみるものの動かなかったのであります。
フィリピンの夜は真っ暗にならないのであります・・・これ、本当です。
だから停電の時にブラックアウトとは言わずにブラウンアウトと言うのであります。(今もそうだと思いますが)
東南アジアの安ホテルは停電が多いのでエレベーターが使えませんでした。
なので6階建てなのにエレベーターの無いホテルなんてのがあります。
まっ、少し立派なホテルや飲食店なら大型のディーゼル発電機で賄っていたのでさほど不便も感じませんでしたけど。
既出ですけど 昼飯のフィリピン ブレックファスト
この昼飯はフィリピン人用の朝飯でありました。
まっ、昼飯に頼んでも文句は言わないので頼んだんですけれども、メニューにこれを見つけた時は心の底から嬉しくなりました。
自分がフィリピンにどっぷりと浸かっていた頃、よく食べたものだったのであります。
この国の全てに翻弄されて必死だった頃に唯一心底美味いと思って安心して食べられたのがブラッドでありました。
チャンゲに行けば小銭で買えるフィリピン人の庶民のおかずなんですが、いろんな小魚が季節と地方によって微妙に違ってそれも楽しいのであります。
この日、セットに付いてきた二枚をあっという間に食べ終え追加で注文したんですけれども、お代を取らずに持ってきてくれました。
その時のウェイターとあれこれ話をしたんですけれども、自分がビサヤ語を話す事に驚くとともに、日本人である事も大いに喜んでくれたのでありました。
このホテルも御多分に洩れず韓国人が多いのであります。
ホテルの人たちは決してあからさまに区別や差別はしないのですけれども、今は少数になってしまった日本人に出会うと何故か喜んでくれるのであります。
それはまるで古くからの友人を歓迎でもするかのような優しい笑みで話してくるのであります。
フィリピン人が日本人に向ける笑顔は本当の友人に向けるそれだと自分は思うのであります。
たいして金も持っていないのに見栄っ張りで、本当は値切りたいくせに言い値で支払ってしまう気の弱い日本人がフィリピン人は好きなんであります。
言ってみればあの街の古き良き時代の「カモ」であった訳ですが、当時を知るフィリピン人も懐かしがっているのだろうと思うのであります。