東北大震災は地震、津波、原発、火災の4つの被災が重なっています。今なお多くの方々が普通の暮らしを奪われた状態です。多くの悲しみの中で復旧、復興に向かっておられる方々に深く敬意を表します。
先週末一日だけ時間が取れたので、急遽思い立って被災した気仙沼に行ってみました。気仙沼は以前仕事(鉄骨工場での原寸検査、製品検査)で訪れたことがあります。当時、SRC造の複合ビルの設計をする傍ら、海外の研究者と共同論文を書いており、新幹線の一関から気仙沼に向かう大船渡線の中であせった気持ちで、調べ物のために本を読んでいたことを思い出します。
今回も同じルートで気仙沼を目指しました。
列車を降りると腐った魚のにおいが鼻をつきます。駅の観光案内所では、ボランティアや視察・見学者のために被災状況を説明するマップも掲示されています。
高台にある駅から港に近いまちをめざします。途中の商店街には銅版葺きの外装が所々に見られます。このスタイルは東京にも多いのですが、確かこの地方の職人さんの手になるものだという記述を読んだ記憶があります。
3階建ての旅館もあります。ここに限らず旅館が多いのは、漁業、水産業関係の方々が多く訪れるということでしょうか。
しかし丘から商店街をくだり海に近づくにつれて津波の力の強さが徐々に実感されてきます。
港の近くまで来ると建物の1階は波で壊滅的打撃を受けていることがわかります。この地区は港町らしい進取の気風のある面白い建築が多かったことが推測できます。昭和4年の大火以降に復興と共に建てられたようです。しかし、原型をとどめている建物は殆どありません。
登録文化財の武山米店、奥に行くにしたがって狭くなる敷地幅に合わせた平面を持つそうです。
3階建ての男山本店は1、2層がなくなっています。
本格的な土蔵建築も波に洗われています。しかし、波に対しての抵抗力はあったようです。倒壊にはいたっていないものが多く見られます。
本格的かつ丁寧なつくりであることが分かります。
対岸には、以前宿泊したホテルが見えます。今回の大災害の報道映像の中にも何回か出てきていました。細い入り江状の湾を市街地と丘が取り囲んだまちです。対岸に回ってみます。<続く>