私たちの世代にとってジャンカルロデカルノは混沌の時代を颯爽と吹き抜ける風のような存在といってよいかもしれません。
過去や歴史と決別したかのようなCIAMの路線に対し、自ら歴史的市街地というコンテクストの中で保存と創造を実践して見せたということ。その毅然とした立ち姿に時代のヒーローを見る思いだったような気がします。
彼が実践の地として選んだウルビノに来月行くことになりそうです。
古いSDのデカルロの特集号を読み返してみました。槇さんの論評があります。ここでも槇さんはすごいと思わせます。
チームⅩでの個人的な出会いの話かなと思わせる出だしの文章。しかしそれはその後の普遍的な議論が彼の身体感覚から決して離れていないということの裏づけに過ぎないことがわかります。論はあくまでも普遍的、通時代的なパースペクティブを持っています。
「建築設計を単に職業的なレベルで打ち込む人は数多い。しかし、建築を彼のように幅広い形で展開していくことは決して容易でない。それは単に建築を設計するのではなく、<建築を行う>ということを意味している」
「・・・歴史をつくる行為は単に旧くあったものをそのまま保存し、再現する事ではなく、むしろ過去の中にあった理想を現代のものとして、どのように新しく解釈し、表現するかにあるという」
わたしも最近絹織物工場を映画館に再生活用するプロジェクトに携わりました(鶴岡まちなかキネマ)。本当に悩み多きプロジェクトでした。古い建築の活用を提案したものの、単なる過去の再現にはしたくない。どうするべきか。
そこに必要だったのは、当時の人びとが具体的にイメージすることの出来なかった夢を見つけ、現代の技術で表現することだったのだと思います。それが出来たのかどうか。まだまだ、自問自答の日々が続きます。