7月2日から4日にかけて研究室メンバーで、越前福井を視察しました。
詳細な記録は分担して執筆中ですが、私も備忘のためにすこし記録を残しておきます。
最終日(7月4日)の午後は三国湊です。三国は酒田と同じ北前舟で栄えた港町。九頭竜川の河口に沿って港が形成されています。大河の九頭竜川の河口で竹田川という中級の川が合流しているところも酒田と驚くほど相似形です。
またこのまちは、近世から近代にかけての港町としての繁栄を今に伝える建造物が多く残ります。平入りと妻入りの両方のタイプの町家を見ることが出来ます(下写真)。
周辺部には港町にはつき物の料亭街の面影も見ることが出来ます。建築的にはかぐら建てという切妻妻入り町家の前面に平入りのかぐらと呼ばれる下屋・店部分をもつ珍しいものがあります(下写真)。
越前は日本海側に多い妻入りの町家が見られる地域ですが、こういう店の作り方はこの地域独特のもののようです。前面の庇が少しむくりをつけているのは福井や勝山でも多く見られます。
私たちが昼を食べたのは明治・大正・昭和建築の複合した登録文化財です(下写真:魚志楼)。
昭和のある時期からは入母屋で2階の座敷の階高を高く作るものが良く見られます。これは昭和初期だそうですが、なかなか手の込んだものです(下写真)。
この対面には、旧森田銀行。パンフレットには近世復興様式とある大正9年竣工のRC建築です。
下の写真は不思議な「みくに龍翔館」。明治12年竣工の木造5階建て、8角形平面の小学校を復元(RC)したものです。設計はだまし絵のエッシャーのお父さん、エッセルというオランダ人技師。三国湊が一番栄えていたころだそうで、帰国したエッセルの残した図面を頼りに町中で楽しみ、盛り上がって作ったに相違ありません。
ちなみに鶴岡高橋兼吉の西田川郡役所(下写真)は明治14年。その当時は大工さんが存分に腕を振るう場があったのでしょう。それが許される時代の雰囲気も共通していたのでしょうか。