都市環境デザイン会議の岐阜大会で映画「人生フルーツ」を見ました。高蔵寺NT(ニュータウン)を作った旧住宅公団(現UR)の建築家津幡修一さんと奥様英子さんの物語です。
お二人はこの映画の時点で90歳と87歳。仲むつまじく高蔵寺NTの300坪の宅地にお住まいです。60年近く前、津端さんは地形を生かした、それまでにない自然と共存する都市としての高蔵寺NTを提案されましたが、少し早すぎたのでしょう。残念ながら時代が追いつけませんでした。提案は文字通り画餅に終わり、結果として山は削られ谷はうめられ、そして「普通の団地」が建設されました。その後、夫妻は分譲宅地を買い取り、そこを自然溢れる里山に少しでも近づけようという思いで、豊かな楽園のような場所をつくり、自然とともに生きるくらしは多くの人々の共感を呼んでいるようです。本もたくさん出ています。
すばらしい生き方です。穏やかな毎日です。しかし、私は同じ建築デザインに携わるものとして、津端さんの当初の計画案にかける今も変わらぬ思いというものをこの映画から強く感じました。津端さんは自然に囲まれ仙人のように穏やかに生きているように見えるけど、決して「幻の案」から自由になってはいないのだなあ・・・・・・。
本箱から高山英華編『高蔵寺ニュータウン計画』鹿島出版会1967を引っ張り出してきました。私たち学生があこがれた計画案です。計画は1961年に始まっています。目標戸数を達成するだけでも大変な時代に、東大高山研究室や公団の若手設計者たちは、従来の団地とは違う「新しい都市の建設、これからの都市イメージ」をこの計画に賭けたのです。
私は映画を観ながらT先生のことを何度も思い出していました。高山研の学生時代に高蔵寺NT計画に携わり、上記の本も執筆しているからです。残念ながら今T先生は体調を崩されてお会いしていませんが、この映画を見るとなんておっしゃるだろうか・・・などとついつい考えてしまいます。
津端さんが建築家としての夢を捨てていないということは、90になってから再び自然と共存する福祉施設の絵(計画図)を描き始めたことからも十分伝わってきます。・・・が、それ以上に私には、津端さんが「自分の案」が実現できなかったことに対してまだこだわりがあるように映画の一シーンから感じ取りました。
モダニズムの建築家は社会のミッションに答えることを倫理観として持っていました。津端さんがレーモンドの事務所をやめて、公団に入ったのも勤労者住宅を安く大量に今日供するという当時のミッションにデザイン面から貢献しようと思ったのだと思います。
ただ、モダニズムの建築にはもう一つの特徴があります。それは建築を建築家の作品にしたということです。おそらく優れた建築家であった津端さんは公団の中では傑出した存在であったと思います。高山研の若い人たちは経験少ない学生ですから、前掲のすばらしい案の多くは津端さんの手によるものだったと推測します。高蔵寺は津端さんにとって自分の作品だったのではないでしょうか。
会心作が実現できない悔しさ・・・・・・・宅地を里山に近づけるというのも、ある意味では実施された案への叛旗です。土を耕すたびに違う人の手によってつくられた構築物が形をなくしていくのです・・・・・。
楽しい人生を描いた映画から、少々レベルの低い邪推に近い思いを抱いてしまいました。
本の中であこがれていた幻の高蔵寺の姿を求めて、一度現地見学に行く必要がありそうです。
高谷時彦記
I watched a movie named "Life is fruity", a documentary film on an old architect and his wife. Mr. Shuichi Tsubata, an architect in charge of the Kozoji New Town Project, and his wife Hideko are living in quiet retirement and enjoying work in the garden located in the Kozoji New Town. Calm and quiet days.....
Tokihiko Takatani
Architect/Professor
Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo
Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata