フィンランドの国民的建築家A.アアルトが次のようなことを講演で語っているという(小泉隆2020 p4、自分にわかりやすく書き直している。正確な表現ではないのであしからず)。
・・・音楽は人生の悲劇や喜劇とともにある。建築の形態やデザインも音楽のようなもの。人生とともにあり、ひとを実直で幸せな感覚に満ちたものにすることができる・・・・
音楽は確かに、つらいときにも楽しいときにも私たちのそばにいてくれる。ああそうか、建築も同じなのか。今更ながらすごく腑に落ちる。アアルトの建築の中にいるときの、あの落ち着いて満ち足りた感情、それを音楽に浸っているときと同じだと考えればいいのだろう。
「建築は凍れる音楽」というゲーテ?の言葉はよく聞かされる。なぜかこの言葉が学生時代の「施工」の試験に出たことを思い出す。時間を構造化した音楽に対して、空間を構造化した芸術が建築だと考えれば、この言葉には納得がいく。しかし、音楽も建築も人とともにあり、感情の友としてふるまってくれるものだという非常に単純な事実の方が、ずっと大切なことだと思えてくる。
自分が設計している建築空間を音楽だととらえれば、エスキスをする手の動きも自由に調べを奏でてくれる・・・ならいいのだが。
参考文献:
小泉隆 2020『アルヴァ・アアルトのインテリア 建築と調和する家具・プロダクトのデザイン』学芸出版社
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