1.はじめに
今までサステイナブルシティ、コンパクトシティ、クリエイティブシティなどの新しい都市概念を考えてきました。これらはどちらかというとひとつの都市全体を対象とした包括的な考え方でした。それに対し今日取り上げるニューアーバニズムは都市のあり方というよりは少し対象を狭く、アメリカの郊外住宅地の開発の方法として理解されることが多いものです。また、コンパクトシティのように自治体など公共セクターが都市政策として提示するものではなく、これまでの住宅地に物足りなく感じていた層に対応する民間企業(供給サイド)の論理のような印象もあります。
私は、近年日本で流行している地区計画や景観協定付きの住宅地(多くはN不動産などの大手資本の手になるものです)で、ある種保守的なテイストが確立されつつありますが、そういったものの源流をなすものが、ニューアーバニズムあるいは場合によってはニュートラディッショナルという開発なのではないかと漠然と感じていました。それが当たっているかどうかも今回勉強してみたいものです。
しかし、ニューアーバニズムが都市全体ではなく新規に開発される住宅地、すなわち郊外の都市開発についての考え方が中心であり、またその現象的なレベルでの模倣が多くなされているということは事実のようですが、それだけではなく現実の都市に対するもうひとつの選択肢としての理想的な郊外の生活像や都市像についての明快な理論がをもち、アメリカのみならず各国の都市計画家や都市政策立案者に対する影響力も持っているということを認識しておかなくてはいけないでしょう。また仮に郊外を中心にした理論であるとしても、日本においては1970前後以降これだけ郊外型の開発で都市が覆われてきているのですから、住宅地のあり方に対する議論が都市そのものを考えることと多くの部分で重なっていることは間違いありません。
そういった意味で、今回はニューアーバニズムということを取り上げてみたいと思います。
参考文献
私も勉強を始めたばかりです。次の資料に多くを拠っています。
・松永安光『まちづくりの新潮流』彰国社 2005(建築家による近代都市計画を含む包括的な解説)
・鈴木俊治「ニューアーバニズム:郊外市街地開発の新しい潮流」、『造景』2001.5(ニューアーバニズムの旗手カルソープの事務所で働いていた鈴木さんのわかりやすい解説)
・服部圭郎「ニューアーバニズムとサステイナビリティ」東京ストリートファイルセミナー記録 次のサイトで取得(2010.4)
http://www.culturestudies.com/memdir/sem/new/text.htm
(バークレーでニューアーバニズムを研究し、広く海外の都市計画の考え方を解説してくれる服部先生の事例研究)
・ピーター カルソープ著 倉田 直道他訳『次世代のアメリカの都市づくり―ニューアーバニズムの手法』、学芸出版社 2004 (鶴岡にも来てくれた倉田先生の前書きが入門的通史になっている)
本稿末章の「都市デザインと都市生活」はRichard Benderが東京都足立区で行われた講演会(1980?)のときの配布メモ”Urban Design and Urban Life”に基づいています.
2.日本の郊外住宅地の傾向
私は、かつて長く住み、また今も「建築文化フォーラム」という地域活動を続けている府中市の景観審議委員をやっています。そこでは優れた景観作りにつながる開発や地域活動に対して景観賞を贈っています。近年の傾向として、大手不動産の開発する住宅地が高い評価を受けています。一つ一つの宅地は周辺に比べて小さいのですが、街全体として適度な統一感があります(図01)。屋根のついたパステルカラーの住宅、充実した外構と植栽。車との共存。道路などの公共的スペースの無電中化を図ったり床舗装に工夫するなど公共スペースのデザインをしっかり行っています。今までの開発というのは、極端に画一化された住宅が並んだり、逆に建物自体はばらばらで、ブロック塀だけが共通だったりという景観的には決して良いといえないものが多かったわけです(図02,03)。
今までの住宅地開発を反省し、小さい宅地でも付加価値を多くつけて売り残しを出さない、あるいは少しでも高く売ろうという試みです。地区計画や景観協定つきの場合も多くこのまちの景観を気に入った人たちが、周辺より高い価格にもかかわらず買っていくという傾向にあるようです。塀もありませんから、ガーデニングなどで建物周辺を飾るのがすきといった好みを共通にする人たちが買うのでしょう。
私自身の個人的な感覚を言うと、この作られたテイストが押し付けがましいもののように思えます。またテイスト自体が、大変保守的なもので、伝統を尊重しつつ新しい創造を目指すという立場の私の感性とはちょっと違う感じを持っています。しかし、従来の開発よりも景観的に優れていることは間違いありませんし、このテイストを共有すれば大変住み心地の良い住宅地になると思います。客観的には、景観賞も十二分に値するものです。
このように、まちにあるテイストを与え、大げさに言えば価値観を共有する人たちに住んでもらおうという考え方の背後に、アメリカのニューアーバニズムと呼ばれる住宅地開発の影響があるように感じています。ただこういった開発のモデルのようにおもえるニューアーバニズムには新規住宅地の販売戦略にとどまらない大きな背景と考え方があるようです。
3.ニューアーバニズムの背景
ニューアーバニズムの背景についてはカルソープの本の前書きで倉田先生が詳しく解説しています。
アメリカ都市のモータリゼーションを契機とした郊外化は次の3段階に分けられます。
①第1の波(1950年代後半から)
それまでのStreetcar Suburbではない高速道路を前提とした郊外化のはじまり。
「コミュニティの特徴は経済的、人種的、年齢構成、家族構成における等質性(中産階級の若い白人のための郊外)」です。
②第2の波(1960年代後半から)
大規模ショッピングセンターの発展。一方で「既存都心部の商業の衰退と雇用機会の喪失による急激な空洞化」が進行します。郊外コミュニティにおいても社会階層によるすみわけが始まります。
③第3の波(1980年代から)
オフィスなどの郊外化の時期です。インターチェンジ付近にオフィスビル郡や商業集積し、既存の「ダウンタウンに匹敵する新たな拠点」の形成が進行します。いわゆる「エッジシティ」の出現です。
こうして現在は倉田先生によると「アメリカンドリーム」の体現であった郊外住宅地が維持困難な次のような状況に陥っています。
・社会階層、人種、家族構成、ライフスタイルの均質性
・自家用車への過度の依存と歩行者の軽視
・排他性の高い監理されたコミュニティ
・土地利用における機能の分化・純化の弊害
具体的にはゲイティッドコミュニティ、移動距離時間の増大、閉鎖的コミュニティ、排気ガス、都心の機能低下などが顕著に見られます。
さて、「アメリカンドリーム」のわかりやすい事例が、工業化住宅で大規模な住宅地を開発したレヴィットタウンでしょう。1950年代60年代のアメリカ人の理想の住まいが表現されていたように思えます。
私たちが子供の頃見ていたテレビドラマに「パパは何でも知っている」というのがありました。1958年から64年まで日本で放送されました。パパは保険会社のサラリーマンで聡明な奥さんは専業主婦です。3人の子供たちが学校や地域で色いろんな困難にあったりするがパパのアドバイスで克服して家族の絆を確認するというホームドラマです。広い庭にガレージ。吹き抜けのあるホール。清潔で整頓された台所も憧れの対象でした。車でスーパーマーケットに出かけ山ほどの商品を纏め買いしたり、冬でも暖房の効いた家で薄着で過ごす生活のシーンがあったように記憶します。こういった、サラリーマンの父親と専業主婦、子供たちの核家族が郊外に車の利便性を前提に暮らす姿。ここには、都会の裏町の猥雑さや、ごちゃごちゃいろんなものがうごめく雑踏もありません。健全な子弟の教育には郊外が理想だったのでしょう。
そういった理想を実現できるはずだったのに、現実は先に述べたような状況になった着たわけです。そこに、倉田先生の論を再び引用しますが、多様性、コミュニティ、質素、ヒューマンスケールという価値観に重きを置き、その価値観に基づく都市づくり、まちづくりが現れ、「ニューアーバニズム」と総称されているのです。
4.ニューアーバニズムの実例
スライドなど
5.ニューアーバニズムの理念
ニューアーバニズムの考え方は「アワニー原則(The Ahwahnee Principles)」(1991)に表現されています。「アワニー原則(The Ahwahnee Principles)」はカルソープ、コルベット、ドゥアーニとザイバーグなど6人の建築家が起草したものです。都市づくりやまちづくりの本を多く出版している学芸出版社のホームページ(下のアドレス)などにアワニー原則が紹介されているので内容を見てみます。
http://www.gakugei-pub.jp/mokuroku/tosi/sasutain/ahwahnee.htm
アワニー原則は3つのパートからなっています。
「序言」で問題の所在を分析しています。自動車に過度に依存することで、交通混雑や大気汚染、道路網の維持管理の問題がおこっています。さらに自動車優先のまちの骨格をつくることで皆が利用できるオープンスペースを失い、コミュニティに対する一体感を失っていることが指摘されます。
そこでこれからのコミュニティ作りは次の「コミュニティの原則」にのっとるべきであることが提示されます。
・生活に関わる施設活動拠点(住宅、商店、勤務先、学校、公園、公共施設)を包括的にかつ徒歩圏に設置すること
・公共交通機関に歩いてアクセスできるようにすること、交通ネットワークとの整合性
・さまざまな階層の人がミックスされ、仕事場も内包すること
・コミュニティは中心(商業、市民サービス、文化活動、レクリエーション)をもつこと
・人々が日夜行きたくなるように工夫されたオープンスペースをもつこと
・グリーンスペースに囲まれたはっきりとした境界
・内部道路ネットワークは建物、木々などに工夫。小さく細いものにして徒歩や自転車の利用増進
・自然地形や植生の保存。廃棄物が最小。水野効果的な活用。通りの方向性、日陰の活用などエネルギー消費の最小化に努力する
次に「コミュニティを包含するリージョンの原則」が示されます。
・公共交通ネットワークとの整合性
・グリーンベルトなどで持続的な境界を形成
・市庁舎や博物館などは都市の中心部に立地すること
・地域の歴史、文化、気候への対応
最後に「実現のための戦略」が述べられます。
・全体計画の柔軟性確保
・全体計画の策定過程における地方公共団体の責任
・詳細計画の必要性
・開示された計画策定プロセスとわかりやすい資料作成
以上です。
これを見るといくつかのことに気付きます。
まず狭義のデザインについてはまったく触れられていないこと。ニューアーバニズムというとちょっと保守的なファサードデザインなどがモダニストからは敬遠されるといった風がありますが、少なくともそういうことは書いていない。リージョンの原則で地域の歴史、文化、気候を尊重することとなっていますが、そこへの対応の中で保守的なデザインが登場しているのでしょうか。しかし、原則としては、風土への対応の方法は個々のデザイナーの判断に任されているということでしょう。
次に中心のあるコミュニティ、中心のある都市、そして明快な境界をもつというイメージが明快に共有されていること。ヨーロッパ型の城壁を持ち中心のある都市イメージが、コミュニティの一体感の維持のためには必要不可欠であると考えられています。郊外の特徴は亡羊と広がる均質性にありますが、そこに境界と中心を作り出そうというのです。
このほか、エコロジカルな視点やTOD(transit oriented development)に裏づけされた歩いて楽しいまちづくりなどの発想はヨーロッパの都市で掲げられているサステイナブルシティ、あるいはコンパクトシティと言う理念とほとんど同じものだと思います。
この点については、松永安光氏が『まちづくりの新潮流』のなかでニューアーバニズムの誕生の地シーサイドを分析する中で指摘しています。
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高谷時彦記 Tokihiko Takatani
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