まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

東北公益文科大学大学院:最終講義その2

2020-02-22 00:17:13 | 備忘録 memorandom

地域風景をデザインする

2020.02.11

東北公益文科大学大学院

高谷時彦

 

 

1.はじめに

 

2.瀬戸内時代:四国高松のこと

 

3.大学・修業時代

(1)都市工学科

(2)槇総合計画事務所

(3)二人の先生から学んだこと

①都市空間は人々の小さな営みの集成であること

②設計とは思考すること、設計を通して都市を学ぶ

③歴史の審判に耐える一貫した姿勢:設計者の倫理

 

4.独立・試行時代

(1)大学つながりでの駆け出し

(2)自分の設計のスタート

(3)再び大学とのかかわり

 

5.庄内との出会い

(1)木造建築との出会い :構築することを通して空間を構想する

(2)歴史的建築との出会い:時の中に自分の設計活動を位置付ける

(3)職人との出会い:確かな実在感の獲得

(4)庄内の持つ可能性

 

6.終わりに:地域風景をデザインする

(1)地域風景とは

(2)人の手がより加わった地域風景:まち並み

(3)地域風景をデザインする

 

(continued)

4.独立・試行時代

(1)大学つながりでの駆け出し時代

 私としては、お釈迦様が悟りを開かれた35歳で独立をしたかったのですが、実際にやめたときは36歳。先ほど槇事務所の時代は大学の延長のような雰囲気だったといいましたが、実はその後も大学や槇先生とのつながりには大いに助けていただきました。

 槇事務所で多くのことを学びましたが、唯一学ばなかったのが、営業方法です。どうやったら設計の依頼が来るのか全く見当がつかないまま独立しました。まずは大学時代に教わった講師の先生の所に挨拶に行きました。最初に行ったのがS先生。すでに講師はやめて、大学の教授になっておられたと思います。

 ご挨拶をしたあと、間借りしていた小さな事務所に戻るとFAXがカタカタとなりだしました。手書きの美しいスケッチです。それを図面に清書して持ってきなさいということでした。持っていくと、公的な大きなデベロッパーであるクライアントとの打ち合わせに行ってきなさいとのこと。そのクライアントからは後ほど別の設計の仕事をいただきました。本当にありがたいご配慮でした。

 

(2)自分の設計のスタート

 また、不思議な御縁ですが、丹下先生が設計された草月会館での偶然の出会い(のちのW大学教授)から指名コンペの対象者に入れてもらい、初めて設計した公共施設がこの知的障碍者のための施設です。これが初めて建築メディアに取り上げられました。

 また槇さんのご指名や、槇事務所の方々の紹介での設計機会をいただいたりもしていましたが、その後都市工で教えてもらったT先生の監修のもとで、幕張ベイタウンコアという建物を設計しました。T先生は、大学時代と全く変わっておらず、怒られながらの設計でしたが、最後は本人の自主性に任せるというところも変わっておられませんでした。この建物は住民参加の意味を私に教えてくれました。ユニークな住民の方々との協働は本当に楽しいもので大きな成果を上げることができました。一般紙や建築メディアに紹介されたり、公共建築賞などをいただいたりすることもできました。

 

(3)再び大学とのかかわり

 少しずつ自分の設計したものが実現するうちに、母校の都市工をはじめ、長岡造形大や工学院大、神奈川大、芝浦工大などから声をかけてもらい教えるようになりました。また、槇事務所時代に槇さんのご縁で書いた論文を見た海外の研究者から声がかかり、共同論文を書いたりもしていました。また先ほどのT先生と共同代表で建築学会創立120年のコンペに参加して賞をいただき、その縁で建築学会叢書に書かせてもらったりしていました。

 そんな折に慶応大学のI先生(やはり槇事務所の同僚です)から声がかかり、東北公益文科大の小松学長先生と会いませんかというお誘いをいただきました。

 

5.庄内との出会い

 ここから話の舞台は庄内になります。

 庄内での出会いというと、本当は大学や大学院、研究室メンバー、地域の人たちとの出会いが私のとって一番大切なものです。しかし本日の講義の冒頭に申し上げたように、一緒にやったまちづくり活動や研究活動、設計活動については、これまでもお話しさせていただきました。またこのスライドのような活動報告は紙媒体のものを会場入り口でお配りさせていただいています。

 ここでも、私がこの庄内という地との出会いから、何を学んだのかという、個人的な思いを中心にお話しさせていただきたいと思います。

 

(1)木造建築との出会い:構築することを通して、空間を構想すること

 恥ずかしい話ですが正直に言います。1998,9年頃でしょうか、苗津にある鶴岡市中央児童館の設計のチャンスをいただくまで本格的に木造に取り組もうという思いを持っていませんでした。

 何も指定がなかったので当初はRC(鉄筋コンクリート)造で進めていましたが、中間段階で、工事費のことから木造となりました。

 大断面構造と在来軸組の混構造で、最初は制約が多いと感じていましたが、これはやるしかないと思い、真摯に向き合っていくとだんだん気付いたことがあります。そんなことを知らなかったのかといわれそうですが、建築の発想には2つの方法があるということです。

 それまではスチレンボードという材料でできた白い模型をいじくりながら、どのように空間を繋げたり分節したりしようかなどという方法で建築を発想していました。しかし木造になると、そういうスタディと並行して、大地に木の柱を立てて、梁を渡すとどういう空間が生まれるのかというように、特定の材料と部材をくみ上げたものとして建築をイメージしていくという思考をするようになりました。建築の原型とはなにか、いうのは建築の世界でしばしば議論されますが、洞窟のようなものに建築の原型を見ることもあれば、木材を組み立てた柱梁の上に木材で屋根をかけるところに、建築の原型を考えるという考え方もあります。この二つには、意外に大きな差異があります。いまごろ遅すぎるという声が聞こえてきますが正直なところ児童館に出会うまであまり考えたことがありませんでした。

 若干話を広げると、20世紀には、モダニズム建築という考え方、主張、運動があります。基本的には今の私たちもその考え方の延長にいます。これは科学技術の力や工業製品を駆使しながら、歴史的な約束事などに縛られることなく、自由に自分たちの新しい生活要求や都市機能に対応した建築、新しい空間をつくろうというものです。そのモダニズム建築の持っている自由さはおもにRC(鉄筋コンクリート)建築がその発展を保証していることにあらためて気づくのです。鉄筋コンクリートは素材が可塑性を持っています。ある意味思い浮かべた形を自由に作り出すことができます。コンピューターの力を借りれば、曲面も自由に作り出せる。白い模型を作って、自分がその中にいるような発想で空間や場所をつくっていくことができます。材料や工法はどちらかというと後でついてくると考えられます。構造とは無関係に自由に平面や立面を考えるというのはモダニズム建築の一つの特徴です。そういう世界に私は生きてきたのです。

 しかし別の世界がある。お恥ずかしいですが、自分にとって今まで知らなかった世界です。東大の稲山先生によると木造建築は接合部が先に破壊する世界で、接合部に集まる材料と工法で空間が決まる。空間より先にどうくみ立てるのかを考えないといけないという世界です。大変面白い世界だと思います。

 これは制約ではありません。大工さんが作ってきた世界、技術の体系、私たちは伝統を尊重し、その技術を借りて勝負するのです。ここに新しい可能性があると思います。

 私は、RC建築で自由に空間を構想する楽しさと木造でどう組み立てていくのかを考えながら建築を考えていく楽しさの両方が与えられたなという感じを持っています。一つの可能性を広げてもらったような気持ち。自分の狭い世界を切り開いてくれた。それが庄内での最初の建築設計の体験でした。

 

(2)歴史的建築との出会い:時の中に自分の設計活動を位置付ける

 木造との出会いが偶然であったように、歴史的建築との出会いも偶然でした。鶴岡に来るようになって気になっていた建物がいくつかあります。スライドにあるイチローヂ商店、魚市場、などです。

 どれもその後、研究室メンバーや、関係の皆さんに背中を押される形で深く関わるようになりました。お手元の資料をご覧いただければと思いますが、旧小池薬局恵比寿屋本店については研究室や地域の皆さんと再生活動に取り組み、まずは文化財としての登録をするところまでお手伝いしました。

 また、これは自分のほうでは全く存在を知らなかったのですが、昭和初期の木造絹織物工場(松文産業鶴岡工場)とも出会い、のちにまちなかキネマを設計する機会をいただきました。また現在は酒田の旧割烹小幡の改修工事にも取り組んでいます。

 このように庄内では多くの歴史的建築に出会いましたが、それらの出会いから、先ほどの木造建築の話と同様に、自分の世界が非常に狭かったことを思い知ることになります。

 皆さん、この写真をご存じでしょうか。先ほど申し上げたモダニズム建築の典型的な例です。世界遺産にもなっています。コルビュジェという建築家が作った、おそらく20世紀で一番有名な住宅です。横長の窓が開けられた壁でできた、美しい白い箱が大地から浮かんで存在しています。

 この写真にはモダニズム建築の大きな原則、主張が表現されています。それは、建築というのは建築家のコンセプトと創造力によりつくられる独立した作品であるという原理。独立した作品ですから、彫刻や絵画と同じようにどこで展示しても同じ価値を持ちます。ある意味回りとは関係ありません。大地から浮いているのは周りの条件、歴史などとも関係のない独立した作品世界があることを象徴しています。モダニズム建築の持つ作品主義です。

 しかし歴史的建築を相手にその論理は通用しません。歴史的建築はそこに何十年、百数十年もたっていて存在感を獲得しているものです。建築した人たちの思い、多くの出来事、人々の記憶、時代の風雪が積み重ねたものがあります。私たちにできるのはそれらをレスペクトしながら、少しだけ手を加えさせてもらうということです。 結局私たちの試みも歴史の一齣に過ぎないのです。人生は短し、されど芸術は長しという箴言がありますが、その通りだということを実感します。

 一方で、歴史的建築と対峙するうえでは文化財の保存修復の考えが多くの示唆を与えてくれると思っていましたが、必ずしもそうではないのです。東大の若い歴史研究者、加藤耕一先生の指摘は刮目に値します。先生によると文化財の保存もある意味では作品主義に近いというのです。文化財の場合出来た当時や一番栄えた時期を復原や復元の目標として設定します。あるいは、歴史が作り上げてきた今の状態が歴史の集積した結果なのでこのまま凍結しようという発想もあります。しかしいずれもある時期を設定して、その一時点を目標とした修復工事を行うのです。これは、モダニズム建築の考え方において、建築家が作品として創った時が一番いいというのと同じだというのです。

 考えてみると建築は時間に連れて変わっていくものであり、変化は避けられません。必ず外壁は汚れます。構成する素材は古びてきます。ヨーロッパには、その時代ごとに異なる建築家が手を入れてきて立派な「時がつくる作品」になっている建築も多く存在します。そういう「作品」はこれからも時代の要請に応じて次の建築家が手を入れるはずです。時間を止めようとするのではなく、私たちは、建築が変化していく過程に現代の問題意識で関わっていくという態度で臨むべきではないでしょうか。

 私はいま、旧割烹小幡に関わっていますが、映画に映って有名になった時の姿が一番良いのでそれを固定化しようという意見には、あまり興味が持てませんでした。現代において手を加えるのであるから何かテーマを設定してそのテーマのもとに構想力を発揮したいと思いました。もちろん歴史には十分な敬意を払います。ここでは大正期に自由な思いで、思い切って洋館を建設してわざわざ東京の精養軒からコックさんを引き連れてきた女将の気風をテーマとしました。したがって外部はその当時の姿を借りること、同時に中は全く違う新しい空間体験を生み出そうと試みています。

 旧割烹小幡のやりかたが正しいかどうかは、先ほど修業時代に学んだことで述べたように、長い時間の中での審判に待たないといけませんが、このようなことを考えさせてくれるようになったのが、庄内における歴史的建築との出会いです。

 

(3)職人との出会い:確かな実在の感覚を得ること

 庄内では学生や地域の皆さんといろいろな活動に取り組みましたが、内川沿いにある魚市場をお借りしたイベントのことを思い出します。地元の建設会社の方々に本当にお世話になって会場設営などをやりました。大工さんにステージや、飲食スペースの間仕切りなどいろいろ作ってもらったのですがそれを撤収するときの経験です。

 イベントの翌日、朝からやっていただいて、ああすっかりきれいになったと思って、魚市場事務室に報告に行こうと思ったら、現場の責任者の方(大工さん。そのあと由良の大漁祭りでばったりお会いしました。そのあとなんとまちなかキネマの現場でもお会いしました)が、まだまだですよ、ゴミが落ちているといって市場の床を水で掃除し始めました。そして床も磨き始めたのです。そこまでしなくても、市場の方はよいといってくださると思いましたが、そういう問題ではないのです。床はピカピカに磨き上げないと、その方の気が済まないということだと思います。

 こういう光景をその後いろんな現場で見ることになります。設計者というのは勝手なもので、見えないところは適当で結構ですというのですが、監督さんや職人さんのほうからそれでは「駄目だのーぉ」と言われてしまいます。東京ではすでに失われた職人気質、文化というものがここには生きていると思いました。

 ここでまたまた話を広げます。現代の資本主義社会で求められる人間像というのはどういうものなのでしょうか。若干うろ覚えですが、あるアメリカの社会学者が言うには、それは状況の変化にすぐに対応できる人間だ、そして周囲の異分野の人ともコミュニケーションできるスキルを持った人ということになります。しかしそういう人間は常に自分自身を変えていかないといけないことに不安を感じています。

 まるで職人とは反対の世界です。職人は自分の世界の中での完璧を目指します。見えないところも手を抜かないという自分の世界での合理性を追求するのです。その世界では深い満足を得ているはずです。また、つくるものに比ゆ的に言うと魂を乗り移らせます。

 こういった職業倫理は資本主義から見ると不合理です。これは大量生産品、複製品である「商品」には必要ありません。このように職人の価値観は、現代の資本主義社会の中では基本的には不要とされてきましたし、私たち設計者も現場での出番を少なくするような設計を是としてきたのです。しかし、社会学者は資本主義は行き詰まっている、状況の変化に対応する人間像にも限界がある。新しい価値観の時代が来る、職人の価値観がもしかしたら大きな意味を持つのかもしれないとの見解を示しています。

 私には、社会学者の言っていることを十分理解する力はありませんが、最近の若者が確かな実在感を求めていることは、肌に感じています。リノベーションやプレイスメイキングのような、手づくり感のある方法論の流行の背後には自分の身体性を介した確かな実在感を求める心があるように勝手に推測しています。職人は、閉じた世界かもしれませんが、ものづくりを通して、身体で確認することのできる存在感を獲得しています。状況に応じて変わることが求められる時代において、変化しない職人の価値観がもう一度見直されることに期待を込めたいと思っています。その時庄内は非常に重要な役割を果たすのではないでしょうか。

 設計においても、抽象的な白い模型からの発想(これはこれで楽しいものです)だけでなく、「手作業の感覚、素材と対峙する感覚」などが新しい世界を開いてくれると思っています。

 

(4)庄内のもつ可能性

 以上の3つの出会い(木造建築、歴史的建築、職人)は私に今までの設計手法とは違う視点に気づかせてくれたものです。私の狭い世界を広げてくれました。同時に、この3つは、モダニズム建築の持つ規範や、現代社会の持つ、資本主義的な合理性、効率、グローバル時代の人間像にちょっとした留保条件を付けているような気がしています。現代は変動、変革の時代です。その先の時代がどうなるのか、私にはわかりませんが、何か庄内という地域が持っている大きな可能性、潜在力に期待するのは私だけではないような気がしています。


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