ひまわりさんより(3月8日)
今日の午後は、久しぶりにジョイを近くのドッグランへ連れて行きました。ここしばらくジョイは走っていなかったので、着いたとたんに早く走らせてほしいと大騒ぎでした。でも、ここは躾が肝心と、ジョイを座らせ、「待て!」をさせました。ジョイはムズムズしながらも私の前でじっとしていました。それから頃合いを見て、「ヨシ!」と言うと、その瞬間ジョイは矢のように飛び出していき、全速力で走り回りました。途中で私が「ジョイ!」と呼んでも全く無視して走り続けました。いくら呼んでも一向に私の方を見ようともしないので、ちょっと脅かしてみようと思って、そこに倒れたふりをしてみました。すると、どこで見ていたのか、30Mぐらい離れたところから、すごい速さで飛んできて、心配そうに私の顔に鼻をすりつけてきました。私が顔をあげても、まだ心配そうに、伏せのポーズでじっと私のそばにいました。私はそんなジョイを見て、人が困った時に真剣にその人のところへ飛んで行けるような心、また、自分の好きなことをやっているようでも、常に相手の様子を見ている姿勢を教えてもらいました。そのあとジョイは、また元気に走り回っていました。
二つの契約 3 大いなる救いの喜び
私の友人の一人に、韓国の軍隊に徴兵されて、そこで武器をとることを拒否して7年間投獄された人がいます。韓国軍で武器をとることを拒んで投獄された人の中では、最も長い期間、彼は刑に服したのです。その友人が釈放されてから、私に語ってくれたことがあります。
刑務所では、何か特別な日になると、ある囚人の名前が呼ばれて、その呼ばれた囚人は釈放されるというのです。恩赦というものですね。そういった特別の日がやってきて、名前が呼ばれる時になると、刑に服している囚人全員が、自分の名前が呼ばれないだろうかと、期待にあふれるわけです。それから、刑務所の係官が、誰かの名前を呼ぶのです。自分の名前が呼ばれたとき、「ハイ、ハイ」と小さい声で返事したりしません。本当に喜びにあふれた返事をします。自分の名前を呼ばれる瞬間を待ちわびているからです。「ハーイ!、ここにいます!」。そして門の所に走っていくわけですね。そういう形で釈放されるわけです。自由の身です。
私たちの住んでいる環境がどんなに美しく、すばらしいものであったとしても、ここは私たちの故郷ではありません。私たちの故郷は天にあります。私たちがみなそこに行きます。あらゆる人種、国民、言語の人たちが、共に集まってきます。そして一緒に立ちます。片手にシュロの枝を持って、イエス・キリストを讃えます。ついにこの地上の罪の呪いから解放されて、本当の意味で贖われるわけです。救いの喜びにあずかります。