ひまわりさんより(3月23日)
今日の午後は、友人と一緒に、ダニエル書、黙示録の勉強会をしました。今日の学びでは、特に、ダニエル書9章の「とがを終わらせ、罪に終わりを告げ、不義をあがない・・・」という聖句について、とがは、ヘブル語のペシャ(pesha)で反逆罪、主として十戒の1~4条に対する違反のことで、礼拝の規定に対する違反、罪はチャタス(chattath)で隣人愛にそむくこと、それは5~10条に対する違反で真理を伝道しないこと、不義はアウォン(awon)で、生来の欲望に勝利できないことで、健康改革の使命をないがしろにすることではないか、ということを学び、なるほどと思いました。そして、これらの罪に徹底的に抵抗する信仰と決心が重要なのだということを感じました。
聖所の全景と外庭 聖所の内部(聖所と至聖所)
聖所のメッセージの目的 18
贖罪の日になって、聖所の第二の部屋、至聖所に入っていきます。そこで印される経験をするわけです。印される経験というのは、プロセス、過程であり、時間を要します。聖所のこういった教理の基本は、皆さん把握しておられると思いますので詳しくは述べません。聖所の図を見ますと、聖所は2つの部分にわかれていて、まず外庭です。外庭の中心には何がありますか。燔祭をささげる祭壇があります。そして、右側の第2の部分には幕屋がありまして、そしてこの聖所の真ん中には何が置かれていますか。契約の箱が置かれていました。その中には十戒が収められていたわけですね。この聖所の構造自体が、一つの明確な、はっきりしたことを教えてくれます。イエス様は外庭の部分で私達をゆるしてくださいます。私たちの罪のために死んでくださいました。何のためにですか?なぜ私たちを救ってくださったのでしょう。なぜ私たちを許してくださったのでしょう。それは私たちが彼の戒めを守ることができるようになるためでした。これが聖所のメッセージの目的そのものなのです。