ひまわりさんより(3月11日) 世界らん展より
今日は、夫のやっているデイサービスで、お年寄りの個別機能訓練に行きました。みんなで行うリハビリやレクレーションと違って、個別機能訓練では、一人一人の状態を見ながら、その人に合ったリハビリを行います。それである人は「私のために一対一で訓練してくれるの!?」と言ってとても喜んでおられました。10人の中の一人としての対応でなく、自分一人のための訓練となると、皆さんとてもやる気を見せてくださり、顔が輝いて見えました。それで思ったのですが、お祈りというのは、私たちと神様との、一対一の交わりなのだということです。私たちは、全天の支配者であられるお方と、個人的に交わることができるのです。本当に素晴らしい経験だと思いました。
新しい契約と古い契約(デビット・カン講演6)
私たちは契約の民です。契約とは何ですか。契約とは言いかえれば約束ですね。日本語では契約を交わす時に甲と乙といいますよね。身分の高いものと低いものとの間で交わされる約束です。そして、神様と私たちとの間には契約関係があるわけです。
今朝は二つの契約についてお話ししたいと思います。聖書には、新しい契約と古い契約があります。イエス様が印する働きをまだ終えておられない理由は、多くのSDA が古い契約の民にとどまっているからです。それは福音の力と関係があるのですけれども、ローマ1:16を読みたいと思います。「私は福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシャ人にも、すべて信じる物に救いを得させる神の力である」。福音は信じる者に救いを得させる神の力、とありますね。福音とは、良いおとずれにとどまらず、救いを得させる神の力なのです。義は単なる概念や知識ではなく、力なのです。
イエス・キリストは生命のパンです。イエス様を食べる、つまりイエス・キリストを招き入れることが私たちにはできるのです。イエス様を信じるとは、単にイエス様に関する情報を知っているということだけではありません。私たちの人生において、魂がイエス様を経験することであります。イエス様に心に住んでいただくことであります。これは本当に強力な、力強いものなのです。この福音が、現在の罪の状態から私たちを開放してくれるのです。過去の罪から私たちを許すことができるだけではなくて、現在の罪の強力な縄目から私たちを解放してくれる力があるのです。私たちの体のうちには、まだ古い罪深い性質があります。私たちの脳にも、罪の性質がしみ込んでいます。