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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約 20

2013年03月25日 | 日記

 

          日本フラワー&ガーデンショウより

  ひまわりさんより(3月25日)

最近忘れ物が多くなったので、朝家を出る時、仕事に必ず使う物は「時計、メガネ、鍵、財布、携帯」と声に出して確認しています。今日もそうやってから、車まで行ったのですが、座席に座ってから、時計をつけようとしたら、ありませんでした。たった今、手に持っているのを確認したのに見当たりません。玄関から車までの短い距離のどこにあるのだろうとあちこち探したのですが見つけることができませんでした。出発の時間は来ているし、時計がないと本当に不便なので、ついイライラしそうになりました。私は特に、物がなくなるとイライラしやすく、以前は物が所定の場所にないだけで怒鳴りまくるような性格でした。でもその時、なくなった時計と、イライラしない心と、どっちが大事だろうかと考えました。そして、「朽ちる外はない金」にではなく、朽ちない物に心を置くほうが大事ではないかと思いました。そして、「ああ自分は今まで、心よりもものを大事にしていたのだなあ」と思いました。それで探すことよりも、心をイライラしない方に意志を向けていったらイライラしそうになった心も穏やかになり、感謝の気持ちで一日を始めることができました。ところが、午後になって、次の訪問のために、今何時だろうと思ったら、時計がなくてすごく不便な思いをしました。それで神様に「私は時計がなくなったことで、すごく大切な学びをしました。でも、今は時計がないととても不便なので時計を出していただけませんでしょうかと」と、お祈りしました。なんだかへんなお祈りだなあと思いましたが、祈りました。それから何となく助手席の方が気になって、左側のドアを開けて座席の下をふと見ると、すぐそこに時計が落ちていました。朝何回も見たところだったのに、祈ったらすぐ答えられたのです。これからは、時計を見るたびに、「見えるものにではなく、見えないものに」(2コリント4:18)心を向けていきたいと思います。

    信心の奥義とは   20

私たちのこの堕落した性質を着て、イエス様は地上においでになりました。そしてなおも、罪に打ち勝たれたのですね。これこそ、聖書で「信心の奥義」と言われているものなのです。これが福音の力であります。そのような経験をして初めて私たちは新しい契約のもとで生きるようになります。

旧約聖書レビ記の1章において、燔祭をどのようにささげればよいか、そのプロセスが示されています。この燔祭というのは、私たちの悔い改めの経験をさしています。

どうして新しい神学がセブンスデー・アドベンチスト教会に見事に入ってきたと思いますか。それは、私たちが聖所のメッセージの理解を失ってしまったからなのです。この、燔祭をささげる過程を覚えているならば、ー――よく聞いていただきたいのですが、罪人が犠牲となる動物を連れてきます。それから何をしますか。その動物を祭司に渡すわけですね。祭司の仕事とは何でしょう。祭司は、動物を連れてきた罪人に、罪の告白をして、罪を象徴的にその動物に移したあと、どのようにしてこの動物を殺すかその手伝いをしてあげます。現在の牧師である多くの人々が、この働きをしていません。もし皆さんの教会の牧師が、このことを教えていないならば、いつまでもその教会に出席して間違った教えを聞き続けないでください。真理によって皆さんが養われる、そのような適切なメッセージを探すのは、皆さんの義務であります。私が言っていることは強すぎますか?きつすぎますか? そうは思いません。皆さん、自分の魂をそのような異端的な教えにさらして、魂を危険にさらすべきではありません。