ひまわりさんより(3月17日)
今日は、次男の学校の保護者会の役員会で、夫とともに東京へ出かけました。午前中会議で、夕方は長男と夕食をしながら2時間半ほど信仰のことについて話しをしました。そこで、クリスチャンの証というのは、イエス様によって罪を赦していただいたということだけでなく、罪に勝利させていただいた経験であることなどを熱く語り合いました。黙示録14章の「永遠の福音」は、永遠を失わせた原因である罪に勝利する経験を与えるものだと思います。罪に勝利する体験を深めていただき、イエス様の義が、しっかりと自分の中に根付くようにすることが、今自分たちに一番必要なことだということを、語り合いました。親子でこうして信仰について語りあい、励まし合うことができて感謝しました。
命のみたまの法則とは
私たちは、皆、良い目的、よい意図は持っているのです。しかし、しばしばサタンが私たちに勝利します。私たちは罪によって、罪の性質によって打ち負かされてしまいます。次のローマ人への手紙8章1,2節では、「こういうわけで、今やキリストは・イエスにある者は、罪に定められることがない。なぜなら、キリスト・イエスにある命のみたまの法則は、罪と死の法則からあなたを解放したからである」 この節の中の、キリスト・イエスにある者というところでは、日本語訳では省かれている言葉があります。欽定訳では、「肉によって歩まず、霊によって歩む者」とあります。キリスト・イエスにある者とは、聖霊に従って歩いている人たちです。肉の命令に.聞き従わない人達のことです。イエス・キリストにある者というのは、そのような人たちのことです。