救いは取り消されることがあるのか 第15回
4、「あなたがたは、主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない」(ローマ13:14)。
イエス・キリストを着る、つまりキリストと一体になり、キリストの思いによって生きるようになってくると、神様のみ力に対する確信がとても強くなり、罪の勢力に陥ることは二度と考えられなくなります。それ以前の「努力」による方法の時は、大部分失敗するほかありませんでした。
これまで失敗してきた原因について、一つの例話を紹介します。小学生の智君は、お母さんの言いつけにそむいて、子供だけでプールに行って叱られました。「どうしてお母さんの言うことを聞かなかったの」と尋ねられた時、彼は「だって、友だちがさそったのだもの」と答えました。するとお母さんが言いました。「お母さんは、あなたが朝家を出る時、水着を持って行くのを見ましたよ。どうして水着を用意して行ったの?」。智君は「だって、友だちがさそうと思っていたから・・・」と答えました。
勝利を勝ち取ろうとしても、ある人は戦いが始まる前から、負けることを想定して妥協を始めています。むしろ彼らは失敗したらどうするか、あらかじめ言い訳を考えています。
お約束を果たされた神様間 第15回
イエス様の預言では、ほかに、家族関係について書かれている個所もあります。イエス様が来られる1千年前に書かれた詩篇に、それが出ています。詩篇69篇8節を見ると、家族から捨てられると書かれています。「わたしはわが兄弟には、知らぬ者となり、わが母の子らには、のけ者となりました」。〔私は、肉親からも疎んじられ、家族のものにも疎外されました:現代訳〕。イエス様の、厳しい家族関係が預言されています。
イエス様の交遊関係についての預言もあります。「わたしの信頼した親しい友、わたしのパンを食べた親しい友さえも、わたしにそむいてくびすをあげた」(詩篇41:9)。この言葉は、弟子の一人であったユダが、イエス様を裏切ったことを表しています。これらの詩篇は、イエス様が来られる1000年前に記録されたものです。
このユダがイエス様を売った時、いくらもらいましたか。銀30枚、30シケルでしたね。
ゼカリヤ書を見ると、ゼカリヤ書はイエス様が来られる500年前に書かれたものですが、イエス様が銀30シケルで売られると書いてあります。
「主はわたしに言われた、『彼らによって、わたしが値積られたその尊い値を、宮のさいせん箱に投げ入れよ』わたしは銀30シケルを取って、これを主の宮のさいせん箱に投げ入れた」(ゼカリヤ11:13)。この預言の通りに、ユダは行動したことが分かります。
「そのとき、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して言った、『わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました』。しかし彼らは言った、『それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい』。そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ」(マタイ27:3、4)。