救いは取り消されることがあるのか 第23回
永遠の救いの秘訣は、救いの源であるキリストと、いつも正しい関係を維持することにあります。イエス様は「しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」(マタイ24:13)と言われました。試みと誘惑を受ける時、神様のみ力に頼って、それを退けない者は、結局救われないでしょう。最後まで耐え忍ばない者は、彼らの名前が命の書から除去されることになります。永遠の命に関して、無条件の、永久的な救いを主張する人たちは、ある種の罪や弱さを持っていても、イエス様の救いを信じているなら救われると言います。しかし、ヨハネの黙示録3章5節は、真実なクリスチャンは、罪に対して完全に勝利できるということを明白にしています。「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられるのである。わたしは、その名をいのちの書から消すようなことを、決してしない。また、わたしの父と御使たちの前で、その名を言いあらわそう」このみ言葉が教える意味は明白です。勝利できない者、つまり、最後まで耐え忍ばなかった者は、彼らの名前が、いのちの書から消されるという言葉です。
お約束を果たされた神様 第23回
私たちが注意深く見る時に、イエス様は、旧約聖書に約束された条件を全部備えておられ、聖書に書かれた通りの生涯を送られ、AD31年1月14日午後3時、十字架の上で死なれました。骨が折られていない罪人は、3人の中の誰でしょうか。その方こそ旧約聖書で約束されたメシヤです。
死者が生き返った奇跡を見ても信じきれなかった弟子たちが、聖書研究によって、聖書に土台を置いた、確実な信仰者になりました。そして彼らは、こう言いました。「主よ、もう結構です。このような確実な真理を知ることが出来て、私たちは主のために命をも捧げることが出来ます!」。それゆえ彼らは福音を持って、地の果てまで、出て行くことが出来るようにされたのです。その福音を、私たちまで聞くことになったのです。
イエス様は救い主として、この世に来られるというその約束を、正確に成し遂げて下さいました。イエス様がこの地に来られ、十字架にかけられ死なれた、これは何を示しますか。イエス様の肉は、鞭に打たれて裂かれました。人々を祝福するために伸べられていたその手は、釘に貫かれました。毎日休まずに、奉仕のために運ばれたその足も、十字架に打ち付けられました。その頭には、いばらの冠が刺されました。悪霊につかれた者を静め、病を癒し、盲人たちの目を開き、死んだ者を生き返らせたこの方が、無力な姿で、十字架で亡くなられました。なぜでしょうか。どうして神様が、人間となって死ななければならなかったのでしょうか。一つの答えしかありませんね。それは愛のゆえでした。