救いは取り消されることがあるのか 第16回
ところで、これまで勝利のためのいろいろな方法を試してみたけれども、失敗したという人がいるかもしれません。そして、何度も失敗を繰り返していると、神様の約束が本当なのか、疑うようになる人もいるかもしれません。そうであってはなりません。私たちは、ただ自分の弱さをさらに痛感しなければならないのであって、もっと強くキリストに信頼していかなければならないのです。神様の命令は約束として、必ず実現すると信頼して、もっと強く神様の力に完全に頼らなければなりません。私たちが失敗したからといって、聖書の「尊く、大いなる約束」(2ペテロ1:4)を通して勝利と能力を分け与えて下さる神様の善き計画を変更させることはできません。
しかし、受けとる側に信仰がないならば、神様のお約束であっても成し遂げられることはありません。問題は私たちにあることが、イエス様のみ言葉に明確に記されています。「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」(マタイ9:29)。
イエス様にある兄弟姉妹の皆さん!勝利は単純さにあります。そしてそれは実際に作用します。皆さんが心から救われたいと願うなら、それは成就するのです。しかし、罪を喜んで捨てようとしない者はどんな助けも受けることができないでしょう。皆さんが罪を捨てることを願うなら、救いはすでに神様の約束の中に準備されています。
お約束を果たされた神様 第16回
ユダは、イエス様を銀30シケルで売りましたけれども、イエス様を殺そうとしてそのようにしたのではありませんでした。彼は、イエス様の良い弟子だったのですね。彼はイエス様が成功して、その上で自分も弟子として、何かいい立場を得たいと思っていたのです。
皆さん、もし私がこの場で大きな奇跡を起こして、足の悪い人を起き上がらせたり、死んだ人を生き返らせたりしたら、私を追入かけてくる人が多いと思います。大麦のパン5つで、東京都民全体を食べさせたりすると、私についてくる人が大勢いるでしょう。ユダは、イエス様を知って、この人は驚くべき、大変な人である。この人こそ新しい世界を作り上げる方だと、思ったのです。けれども遅すぎる。これを早くなさるべきだと彼は思ったのですね。それで彼は、イエス様の手助けをしよう、イエス様の働きを早めるために手を貸そうとして、イエス様を売ったなら、その場で逃れて、神様の奇跡を起こして、ご自分が王であることを宣言されるものと期待していました。
しかしなぜかイエス様は、そのまま引かれて行かれたのですね。ユダはその時、自分が間違っていたと告白しました。「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」(マタイ27:4)。ユダは、祭司たちの所に行って、銀貨30枚を返そうとしましたが、彼らは「それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」と言って、相手にしませんでした。ユダはその罪責感に耐え切れず、銀貨を聖所に投げ込み、首をつって死にました。