救いは取り消されることがあるのか 第18回
ところで、私たちに与えられたこの選択権に関して、人々は様々な異なる見解を持っています。多くの人は、次のような考えを教えられています。「あなたの不幸な運命を変える重要な選択があります。一度あなたがキリストの救いを受け入れる選択をするなら、あなたは決して再び滅びることはないのです。あなた自身のどんな行為も、その決定を変えることは出来ません。あなたがキリストを個人的な救い主として受け入れるなら、それはあなたの運命に対する最終的な選択です。後にあなたがその決定を変えたとしても、天の命の書から消されることはありません。あなたが今後どんなに大きな反逆をしても、故意に神性を冒瀆(ぼうとく)して罪の生涯を送ったとしても、神様の愛は変わらないのだから、この決定は変わらないのです。あなたが一度キリストの救いを受け入れたなら、それは永遠にあなたの救いを保証するのです」。
基本的に、このような考えが、「一度救われたら永遠に救われる」という教理を信じている人たちの主張です。それに対して、別のグループの人たちは、「神様はいつでも私たちが、救いか滅びかを自分で選択できるようにされた」と信じています。彼らは、救いとは、キリストとの継続的な個人的関係に基づくもので、故意に不従順の道を選んだり、神様との愛の関係が壊れるなら、その人は真のクリスチャンではなくなり、救いのどんな保証も受けることは出来ないと信じています。
お約束を果たされた神様 第18回
十字架刑と言うのは、死期が出来るだけ長引くようにされた、世の中で最も残酷な死刑法でした。両手を開いて、ぶら下がっていると、呼吸困難が起きてきます。胸が狭くなるので息がしにくくなるのです。息をするためには足をふんばって、体を持ち上げて胸を広げなければなりません。けれども、足は釘で打ちつけられていますから、何とか力を入れて立とうとしても、長くは立っておれません。すぐ垂れ下がります。そうすると、酸素不足で苦しくなります。この苦痛を和らげさせるために、十字架の罪人たちに麻酔代わりに酒を飲ませていました。
十字架の上で、イエス様は本当に苦しみを味わっておられましたから、酒で痛みを和らげることが必要だったと思います。その時、ローマの兵士が、イエス様に酸い葡萄酒を飲ませようとしましたね。海綿につけて。しかしイエス様は、それが酒だと分かり断られました。今日多くのクリスチャンたちが、何の良心のとがめもなくお酒を飲むのを見て、残念だと思っています。私たちは、イエス様の十字架を見あげる時、決して酒を口にするべきではないと思います。