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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されることがあるのか 第37回

2014年11月26日 | 日記

 

救いは取り消されることがあるのか 第37回

サタンとその手下たちによって、救いからふるい落とされないで、そのお方の内に留まる方法は、そのお方のみ言葉に聞き従う事です。神様は、檻の中にいる羊を盗もうと、機会を狙っている敵から守って下さるのであって、羊の檻の主人であられるキリストに、これ以上従わないと決心して檻の外に出てしまった不従順な羊たちを保護すると言っておられるのではありません。檻の中にいる羊を、誰も父なる神様のみ手から奪い去ることはできませんが、彼らは、いつでも自ら天のお父様の保護の外へ飛び出して行くことが可能です。

神様は、決してご自分に従う人たちから、選択の自由を奪われることはありません。罪人にはいつでも、神様が賜物として与えてくださる救いを受け入れることも、拒むことも、自由に選択できます。

   

 これが真の福音です 第9回

もちろん、イエス様は聖霊によって生まれられたので、罪はありませんでした。しかし、罪を犯して倒れてしまう、人間と同じ弱さを持っておられました。イエス様は、アダムのように、神様が特別に創られたのではなく、10か月間、マリヤのお腹の中に宿っておられました。小さな小さな細胞となって来られたのです。人類の歴史の中で、宇宙の歴史の中で、33年半ばかり、天にはイエス様はおられませんでした。その中の10か月間も、イエス様は一つの子宮の中に存在されました。いわば、神様は存在しておられなかったのです。ただの細胞です。小さな細胞になって、マリヤの体の中で成長されました。

皆さんこれは非常に重要な問題です。イエス様は、マリヤが食べる栄養をもらいながら、病にさらされる人間の体の中で、肉体として育って来られました。またマリヤのお腹の中で、完全にマリヤに依存しておられました。そして、オギャーと生まれました。全く私たちと同じ誕生です。弱い、無力な赤ん坊として誕生されました。

イエス様は、罪だけはない方でした。その生涯の初めから終わりまで、罪はただ一度も犯されませんでした。しかし、イエス様は、完全に人間と同じ姿をとられました。(『へブル人への手紙』2章17、18節)

「そこで、イエスは、神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身、試錬を受けて苦しまれたからこそ、試錬の中にある者たちを助けることができるのである」(へブル2:17、18)

イエス様は、私たちと、“あらゆる点で同じようになられ”、同じ肉体で、同じように試練を受けたと言われています。ですから、私たちが試練や誘惑にあう時、イエス様は私たちに、誘惑に打ち勝つ力を教えて下さることができるのです。