百人隊長のボーイフレンド!?
世界的な神学者、テッド・ジェニングス教授が韓国に来てこのようなことを語りました。「今日、私たちがよく使う聖書の言葉というのは、同性愛を嫌悪する人々が聖書を歪曲したものである。その理由は、教会が堕落したからだ。教会が堕落したため、同性愛に反対しているのだ」。つまり、教会は弱者を世話すべきなのに、その機能を失って同性愛者を犠牲にしたというのです。教会が堕落して弱者を顧みず、むしろ力を乱用するので、堕落したというものです。
また「同性愛に反対する人々が聖書を歪曲している。聖書によれば、ダビデとヨナタン、ルツとナオミも同性愛だった」と言います。また、「僕を治療ほしいという百卒長も、実際には使用人ではなく、百卒長が愛した少年だった。つまり彼の同性愛の恋人を治療してもらうために来たのだ」と言うのです。このような主張は、使用人と訳されたギリシャ語はパイス(παῖς)ですが、この言葉は、古代ギリシャの文献で「愛する同性の恋人、若い性的パートナー」を意味する言葉として使用されていたので、百卒長は、彼の同性愛関係を持っている少年のパートナーを治療してもらうために来たというわけです。
古代の文献でどのような意味で使用されていようと、それが聖書でどのように使用されているかを確認することが順序であるはずなのに、無罪の百人隊長を同性愛者に仕立てあげました。このような話を神学者たちがしているのです。彼らは、イエス様の対応をこのように教えます。「正気なのか?私はあなたの若いボーイフレンド(パイス)を癒しはしない。お前が罪に満ちた生活を生きているから!」。または「まあ、あなたの恋人が苦しんでいるのは、罪の結果だ」と言わずに、「私が行って直してあげよう」と言われました。すると百人隊長は、「ただお言葉をください。そうすれば癒されます」と述べました。イエス様はこのような百人隊長の信仰を賞賛されました。それでこのゲイの百人隊長を、神様は賞賛されたのに、今日の教会はそれとは反対の道を歩いてきたというのです。学者たちが、聖書をこのようにゆがめて解釈し、同性愛は聖書に自然に登場していると言っているので、世界は狂っていくのです。
また、「同性結婚を許すと家庭が破壊される」と言う人に向かって、「家庭崩壊犯は同性結婚ではなく、イエスである。イエス自らが『母と父と妻を捨てないなら、私の弟子になることができない』と言っているではないか?《家族制度》の観点から見れば、イエスこそ同性愛者よりもはるかに危険な人物ではないか?」と主張しています。だから同性愛を非聖書的として遠ざけることは、教会が苦しむ弱者を抱きしめかばうのではなく、傷つけているので、悔い改めなければならないというのです。
このようなこと居直り・開き直りといいますが、このようなもっともらしい話を何度も聞くうちに、最初に反対していた人も、いつの間にか「ああそうなのか?」と思うようになり、教会が立場を変えていくのです。聖書通り信じることは、何かやぼったく、洗練されず、ハイクラスに達しないように思うのです。