もしそうなら、いったいどんな服を着れば、最後の争闘であるハルマゲドンの戦いに勝利するイスラエルに、なることが出来るのでしょうか?着物を身に付けることと、ハルマゲドンの戦いで勝利することにはどのような関連があるでしょうか?この質問に対して黙示録19章は、非常に驚くべき答えを私たちに与えてくれています 。
「わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行い(義)である」(黙示録19:7,8)。
このみ言葉は、まるで霧の海を照らす灯台のように、黙示録16章15節に記録された着物(衣服)の意味を照らしてくれます。ハルマゲドンの戦いの勝利者が着ている服は、光り輝く汚れのない麻布の衣です。さらに、この麻布の衣は何を意味するのでしょうか? 「この麻布の衣は聖徒たちの正しい行い(義)である」(8節)。ハルマゲドンの戦いとキリストの再臨を迎えるための準備は、共にイエス·キリストの義の衣を着ることです。
≪着物=汚れのない麻布の衣=聖徒たちの義=イエス・キリストの義≫
聖書は、聖徒たちが義の服を着るという事実を、一貫して強調しています。しかし預言者イザヤは、私たちの義は汚れた衣のようだと述べました。人間の義ではなく、ただイエス様が与えてくださる清い義の衣だけが、私たちを天の王国の市民とすることが出来るのです。(イザヤ64:6参照)。
イエス様も聖徒たちが最後の審判を通過するためには、必ず礼服を着るべきであるという事実を、たとえを用いて説明されました。
「王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』」(マタイ22:11-13)。
また、世界歴史の最後の教会として表されている、ラオデキヤ教会に送られたメッセージでも、終わりの時代に住んでいる聖徒たちは、必ず白く清い義の衣を着なければならないことが教えられています。
「そこで、あなたに勧める。…あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい」(黙示録3:18)。
ハルマゲドンの戦いで最終的に誰が勝つでしょうか?イスラエルです。しかしこのイスラエルは、ユダヤ民族からなる血統的イスラエルではなく、白い衣つまり、イエス・キリストの義の衣を着ている霊的イスラエルを意味しています。誰でもイエス・キリストの十字架を心と生涯に受け入れて、神様の真理と戒めに従う義の生涯を生きる人たちは、国家や民族や血筋に関係なく、ハルマゲドンの戦いで最後の勝利を勝ち取ることになります。
これがハルマゲドンの戦いで勝利を得る秘訣です。ヨハネの黙示録は、ハルマゲドンの戦いの勝利者たちに対して、「誰でも」という表現を使用しているという事実を忘れないでください!
「誰でも目を覚まし、自分の服を守って、裸で歩かず、自分の恥を見ない者は幸いである」(黙示録16:15:韓国語訳)。