新世界秩序の始まり
これまで私たちが理解していた預言のシナリオでは、同性愛の社会的容認は、堕落の極みであり、その社会が堕落して、もはや回帰不可能な末期癌の状態になったことを示しているとみなされます。すでに述べたように同性愛の合法化は、それ以上に巨大な罪の洪水が押し寄せる扉を開いたことです。そんな中、経済破綻や天然災害が起こり、私たち人間が堕落したので、神のさばきが臨んだのだと騒ぐようになります。そのため神様の律法に戻らなければならない。神様の慈悲を求めなければならない。神様の怒りをなだめる必要がある。だから世界の宗教指導者である教皇がカトリックを中心とした新たな秩序を再編することになる、というのが、これまでの預言を研究する人々の一般的な理解です。
この考えは間違ってはいません。しかし、問題があります。これだと、現在の教皇は、同性愛について反対の立場ではなく、むしろ許容する発言をしているので、教皇にも地球破綻の責任があります。従って事態を収拾する適任者とは見なされにくいでしょう。
ところで、少し戻って考えてみましょう。現在バチカンはカトリックという宗教を伝えることにはあまり関心がありません。カトリックのある教義を信じるか否かには、それほど関心がないのです。すべての人類が聖母マリアにロザリオの祈りをささげようとささげまいと、それには興味がないということです。告解をしようとしまいと関心がありません。では、何でしょうか?中世の時代のように、教皇がすべての権力の座の中心となるだけでいいのです。政治と宗教が、教皇の言葉だけ聞くようになる世界が出現することを計画しているのです。
ここで非常に重要なポイントは、教皇が人類にカトリックを強制するのではなく、新しい秩序を強制するということです。もしカトリックを強制的に信じさせようとしたらどうなるでしょうか?皆さんが道で路傍伝道を試みたとします。伝道して冊子を配ると、「私はカトリックだから入りません」「仏教です」と言って受け取りません。宗教というのは、信仰、思想、信念、霊的、精神的なものであるため、外部からいくら圧力をかけても、あきらめないある力があります。今、自分が信じている宗教のために命を捧げる人々が多くいます。自爆テロ。これは何でしょうか?自分が信じている宗教のために自分の命も捧げ、他人の命も奪うのです。カルトも、自分の信念のために命を捨てるのです。 ISを見てください。彼らも宗教や信念のために命を捧げます。それは、たとえ銃を向けても、剣を向けてもその信念を崩すことはできません。