神様は焼き尽くす火
へブル人への手紙12章27から29節をお読みします。「この『もう一度』という言葉は、震われないものが残るために、震われるものが、造られたものとして取り除かれることを示している。このように、わたしたちは震われない国を受けているのだから、感謝をしようではないか。そして感謝しつつ、恐れかしこみ、神に喜ばれるように、仕えていこう。 わたしたちの神は、実に、焼きつくす火である」。
神様は焼き尽くす火であると書かれています。まだ皆さんのうちに、震われるべきものが残っていませんか。それどういう意味でしょうか。天の教会にふさわしくない何ものかのことです。へブル人の手紙12章では天の教会、聖徒たちの集いについて述べられています。そこにあずかるのにふさわしい者となるべきです。神様は、地上の教会と天の教会を一つに結び付けようとしておられます。
それはどのようにして可能なのでしょうか。私たちは、今この邪悪な状態にありながら、それが可能なのでしょうか。しかし、神様はまさにそのことをしようとしておられるのです。イエス様は私たちの模範として、ご自身の生涯を残されました。本当に素晴らしい模範を、私たちが見ることが出来るようにされました。他にも色んな模範があるわけですね。ダニエル、エノク、エリヤ、バプテスマのヨハネ・・・。
ある人たちは、そのような人物は、生まれがよかったとか、生まれながら善良だったのだと考えます。しかし彼らもまた、自分の罪と格闘して戦い、そして勝利者となったのです。神様の恵みのうちに、彼らは成長していったのです。
私が今から言うことを、注意深く聞いてください。神様は、皆さんの過去には関心がありません。皆さんが過去にしたことについて、神様は関心を持っておられないのです。皆さんが、今日、また明日何をするかということに、神様は関心を持っておられるのです。私たちは一日、一日と生きていくのです。私たちの真の心の意図は何でしょう。私たちは自分の人生で何を成し遂げようとしているのでしょうか。本当に神様に、全的な信頼を置きたいと思っていますか?今、心からそのような思いを持っているかどうか、イエス様は一人ひとりに関心を持っておられます。
神様は焼き尽くす火であられます。神様を受け入れる時、そして神様に心に入っていただく時、神様が、聖霊が、焼き尽くす火となられます。私自身も過去において、何度も何度も、聖霊の働きかけに抵抗して来たことがありました。しかしその結果刈り取った、色んな苦い経験から学ばされました。色んな失敗から、試練から学びました。