2 「盗人のように来る」という意味
「見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである」(黙示録16:15)。
秘密携挙を主張する人たちはこの聖書の言葉を用いて、イエス様は盗人がこっそり他人の家の塀を越えるのと同じように再臨されると説明しています。果たして、この言葉が意味するものは、イエス様が盗人のように秘密裡にいらっしゃるということなのでしょうか?これと類似した言葉が他の部分にもあり、その意味を正しく説明しています。
「兄弟たちよ。その時期と場合とについては、書きおくる必要はない。あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう」(Ⅰテサロニケ5:1,2,4)。
ここで、パウロは主が降臨なさる“時期と場合”について言及し、「盗人のように」来られるという言葉を使いました。「盗人のように」という言葉は、イエス様が降臨される“方法”について言っているのではなく、来られる“時期と場合”について描写していると理解しなければなりません。使徒パウロはイエス様が盗人のように“不意に突然”来られる事実を表現したのです。
「盗人のように」という表現に対する説明が、ペテロの第二の手紙3章10節にもあります。
「しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り」。ここに出て来る「盗人のように」ということは、“物音ひとつ立てず、誰にも気づかれずに”という意味ではなく、“突然”という意味であることが分かります。万一、イエス様が「夜、盗人のように」来られるという言葉が秘密携挙を意味するのならば、どうしてペテロは「その日には、天は大音響をたてて消え去る」 と言ったのでしょうか?
マタイによる福音書24章43節に出て来る「家の主人は、盗賊がいつごろ来るかわかっているなら」というキリストの言葉でも、時間に関係した表現であることが再度確認できます。盗人が来るように“時期と場合”が分からない突然の再臨について、何度か聖書で強調されていますが、物音ひとつ立てずに起きる秘密再臨や秘密携挙については、一度も言及されていません。
日本軍の真珠湾攻撃のとき、奇襲攻撃の日時は極秘でしたが、その日ハワイ全体が爆音で震えたように、イエス様が再臨される日は誰も知らない秘密ですが、その日は、人類の歴史上最も騒然とした日になるでしょう。「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる」(マタイ24:36)。
今まで照らし合わせた聖書上の証拠を見れば、「携挙は物音ひとつ立てることなく静かに起こるのか?」という質問に対する答えは、読者の皆様ご自身で得られることと思います。