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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

突然消えた操縦士  秘密携挙説とは 第6回 

2016年11月07日 | 日記

携挙のとき、悪人は生きて地上に残るのか?

 

1 ノアとロトの時

 

秘密携挙論者は自身の主張を立証するために、文脈を無視して次の一文を使用します。

「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう」(マタイ24:37-39)。

 

この聖句の中で、イエス様はノアの時と再臨の類似点を説明されました。ノアの時に箱舟にはいった人たちは救われ、箱舟にはいるのを拒んだ人たちは外に残されました。なぜでしょう?また他の機会を与えるためだったのでしょうか?いいえ、彼らは洪水に飲まれ滅亡しました。同様に、信仰によって再臨の準備をした人々は最後の滅亡から救われ、準備をしなかった人々は滅亡するのです。

 

「ロトの時にも同じようなことが起った。人々は食い、飲み、買い、売り、植え、建てなどしていたが、ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄とが降ってきて、彼らをことごとく滅ぼした。」(ルカ17:28,29)。ロトやノアの時と同様に、イエス様が“現れる”日に悪人は滅亡するという警告がこれらの聖書の中で強調されているではありませんか?再臨の日に、悪人は必ず滅亡するのです。

 

2 死んだ状態で残される

 

秘密携挙論者が最も多く使用する聖書の言葉は、ルカによる福音書17章34,35節です。「あなたがたに言っておく。その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう。ふたりの女が一緒にうすをひいているならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう」。

 

秘密携挙論者はこの言葉の意味を、ふたりが一緒にいる時、相手に気付かれず跡形もなく一人が空へ取り去られると主張しています。また彼らは、「聖徒は天へ連れて行かれ、悪人は地上に残って反キリストに会い、共に患難の時を過ごす」と言います。本当でしょうか?いいえ、ルカによる福音書17章に出てくるふたりの男とふたりの女についての比喩は、イエス様が再臨される直前までは、何の違いもなく共に生きていても、再臨の時には準備がされているかどうかで異なる運命を歩むようになるという、永遠の分離を強調した言葉です。その時ある人はイエス様と共に天へ行き、他の人は滅亡のため残されるのです。

 

その後の弟子たちの質問とキリストのお答えの中で、この聖書の箇所についてイエス・キリストが直接説明しておられます。「弟子たちは、『主よ、それはどこにあるのですか?』」と尋ねました。弟子たちは、義人が昇天することは分かりましたが、天へ昇れない悪人はどこに残されるのか気になりました。イエス様の明確なお答えを見てみましょう。「死体のある所には、またはげたかが集まるものである」。

 

イエス様が再臨される時、義人は一緒に昇天し、悪人の死体は埋葬されることもなく、世界中に散らばるのです。ヨハネの黙示録第19章17,18節には、ある天使が悪人の死体を餌に、鳥たちを招待する場面が出てきます。「また見ていると、ひとりの御使が太陽の中に立っていた。彼は、中空を飛んでいるすべての鳥にむかって、大声で叫んだ、さあ、神の大宴会に集まってこい。そして、王たちの肉、将軍の肉、勇者の肉、馬の肉、馬に乗っている者の肉、また、すべての自由人と奴隷との肉、小さき者と大いなる者との肉をくらえ」。

 

使徒パウロが記録した聖書の箇所をもう一度見てみましょう。「あなたがた自身がよく知っているとおり、主の日は盗人が夜くるように来る。人々が平和だ無事だと言っているその矢先に、ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らをおそって来る。そして、それからのがれることは決してできない」(Ⅰテサロニケ5:2,3)。パウロは最後の時代に、平和と無事を口にしている人々は自身の滅亡を決して避けることはできないと警告しています。誰が再臨の日に悪人も生き残ると唱えているでしょうか?

 

「その日、主に殺される人々は、地のこの果から、かの果に及ぶ。彼らは悲しまれず、集められず、また葬られずに、地のおもてに糞土となる」(エレミヤ25:33)。再臨後、少なくとも7年は悪人に恩恵の執行猶予が与えられるという教えがいったい聖書のどこに記録されているというのでしょうか?

次は読者の皆様がお答えになる番です。携挙後に悪人は生きて地上に残されるのでしょうか?