カトリック教会の二人の神父が作り出した過去主義と未来主義の預言解釈法は、1260年の間、中世期の宗教暗黒時代を主導してきたローマ教皇の歴史と行跡を、聖書預言から跡形もなく除き去るために創案されたものという事実を忘れてはいけません。未来主義の解釈法を基盤につくられた秘密携挙論者たちのディスペンセーション主義は、現代のカルヴァン主義神学を代表するベルコフ(Louis Berknof)博士とフーケマ(Anthony Hoekema)博士によっても、とても危険なものだと批評されています。聖書にある、反キリストの正体についての理解を混乱させる秘密携挙論者たちの終末論こそ、とても危険な欺瞞なのです。
読者の皆様に質問です。“携挙は反キリストの出現より先に起きるのでしょうか?”
第8部:信じない者に二度目の救いの機会が与えられるのか?
秘密携挙論者たちは、携挙されない者にも二度目の救いを受けられる機会が7年の患難期の間で与えられると言います。しかし、イエス様が再臨されたあと、二度目の救いの機会が与えられる人がいるという記述は聖書のどこにもないのです。ノアとロトの時と同じように、イエス・キリストの再臨の時もたった1度の機会ですべてが終わるのです。二度目の救いのチャンスという考えは、人間の心を楽にするために人間自ら考案した教理です。次の聖書の言葉を注意深く読んでみてください。
「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である」(Ⅱコリント6:2)。
「不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ(恩恵の時間が終わる)。見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう(再臨と共に聖徒たちに与えられる報償)」(黙示録22:11,12)。すべての人々に対する恩恵の時間は、再臨の前に終わるのです。救いのための恩恵の期間が終わると同時に、聖霊が地上から取り去られ、7つの災いが降り注ぎ、イエス様が再臨される、これが最後の順序です。
ノアの説教と悔い改めへの招待を拒否した人たちへの恩恵の時間が終わったように、またソドムを去れというロトの切なる訴えを拒否したソドムの市民たちへの恩恵の時間が終わったように、最後の時代にも審判と再臨が起こる前に、恩恵の期間は終わるのです。
さぁ、読者の皆様がお答えになる番です。「携挙されない悪人に、二度目の救いの機会が与えられますか?」