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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

ハルマゲドンの戦いとは  第4回

2015年09月25日 | 日記

ハルマゲドンの戦いで最後の勝利を得る者は、血統的ユダヤ人ではなく、「白い衣」を着て、神の戒めと真理に従う義の生涯を生きるクリスチャンたちであるなら、現在の中東に存在するイスラエル民族は、神様の選ばれた民ではないという意味でしょうか?

 

今日のキリスト教会の中に広まっている深刻な誤解の一つは、ハルマゲドンの戦いで勝利を得る唯一の人々は、旧約時代から神様に選ばれた民であった、ユダヤ人であると信じていることです。もし彼らが信じているように、ユダヤ民族が今このときにも、神様の唯一の選ばれた民族であるなら、黙示録の最後のシーンであるハルマゲドンの戦いで、勝利を勝ち取るイスラエルも、ユダヤ民族と見なければならなくなります。しかし聖書は、驚くべきことに、ユダヤ民族は、選ばれた民族としての特権を、約2千年前にすでに失ってしまったことを宣言しています。今からこの問題に焦点を合わせてみましょう。

 

2)ユダヤ民族に許された最後の猶予期間、70週間

 

旧約に示されたユダヤ民族の歴史は、反逆と不従順の歴史です。神様は40年間の荒野の生活と、70年のバビロン捕囚生活などの苦難を通して、ユダヤ民族が神の選民として生きることを期待されました。しかし、彼らは不従順の道を離れませんでした。このようなときに最終的に神様は、イスラエルに最後の猶予期間を与えられました。そのことがダニエル書9章の預言に出てきます。

 

ダニエル9章では、神様は預言者ダニエルに、イエス・キリストの初臨の預言を与え、同時に彼らがメシヤとその福音を拒絶すれば、イスラエル民族が一つの国家としての特権を失うことになるという預言を与えられました。言い換えれば、イエス・キリストをメシヤとして受け入れて、福音を全世界に広めることを条件に、ユダヤ民族は、神様の選ばれた民として存在することが出来るようにされたのです。

 

神様はこの重要な預言を、天使ガブリエルを通してダニエルに伝えられました。「あなた(ダニエル)の民と、あなたの聖なる町については、七十週が定められています。」(ダニエル9:24)。この70週の預言は、長いバビロンでの捕囚生活(70年)から帰還したユダヤ人たちに、もう一度与えられた最後の恵みの期間です。この預言的な期間中に、ユダヤ人はメシヤの到来のためによく準備しなければなりませんでした。

 

この預言の意味を理解するためには、まず70週というキーワードの意味を知る必要があります。そして実は、期間を表す預言を解釈するために、神様はそれを理解することができるように聖書の中にそのヒントを与えて下さっていました。それはエゼキエル4章6節と民数記14章34節で説明されている「1日を1年」とする計算法です。建築の設計図は1メートルを1センチと換算して図面を描くように、神様から与えられた期間的預言を解釈する際にも、主が指定されたこの特別な計算原則に従う必要があります。


ハルマゲドンの戦いとは?  第3回

2015年09月24日 | 日記

もしそうなら、いったいどんな服を着れば、最後の争闘であるハルマゲドンの戦いに勝利するイスラエルに、なることが出来るのでしょうか?着物を身に付けることと、ハルマゲドンの戦いで勝利することにはどのような関連があるでしょうか?この質問に対して黙示録19章は、非常に驚くべき答えを私たちに与えてくれています 。

「わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行い(義)である」(黙示録19:7,8)。

 

このみ言葉は、まるで霧の海を照らす灯台のように、黙示録16章15節に記録された着物(衣服)の意味を照らしてくれます。ハルマゲドンの戦いの勝利者が着ている服は、光り輝く汚れのない麻布の衣です。さらに、この麻布の衣は何を意味するのでしょうか? 「この麻布の衣は聖徒たちの正しい行い(義)である」(8節)。ハルマゲドンの戦いとキリストの再臨を迎えるための準備は、共にイエス·キリストの義の衣を着ることです。

 

 ≪着物=汚れのない麻布の衣=聖徒たちの義=イエス・キリストの義≫

 

聖書は、聖徒たちが義の服を着るという事実を、一貫して強調しています。しかし預言者イザヤは、私たちの義は汚れた衣のようだと述べました。人間の義ではなく、ただイエス様が与えてくださる清い義の衣だけが、私たちを天の王国の市民とすることが出来るのです。(イザヤ64:6参照)。

イエス様も聖徒たちが最後の審判を通過するためには、必ず礼服を着るべきであるという事実を、たとえを用いて説明されました。

 

「王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人を見て、彼に言った、『友よ、どうしてあなたは礼服をつけないで、ここにはいってきたのですか』。しかし、彼は黙っていた。そこで、王はそばの者たちに言った、『この者の手足をしばって、外の暗やみにほうり出せ。そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』」(マタイ22:11-13)。

    

また、世界歴史の最後の教会として表されている、ラオデキヤ教会に送られたメッセージでも、終わりの時代に住んでいる聖徒たちは、必ず白く清い義の衣を着なければならないことが教えられています。

 

「そこで、あなたに勧める。…あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい」(黙示録3:18)。

 

ハルマゲドンの戦いで最終的に誰が勝つでしょうか?イスラエルです。しかしこのイスラエルは、ユダヤ民族からなる血統的イスラエルではなく、白い衣つまり、イエス・キリストの義の衣を着ている霊的イスラエルを意味しています。誰でもイエス・キリストの十字架を心と生涯に受け入れて、神様の真理と戒めに従う義の生涯を生きる人たちは、国家や民族や血筋に関係なく、ハルマゲドンの戦いで最後の勝利を勝ち取ることになります。

 

これがハルマゲドンの戦いで勝利を得る秘訣です。ヨハネの黙示録は、ハルマゲドンの戦いの勝利者たちに対して、「誰でも」という表現を使用しているという事実を忘れないでください!

 

「誰でも目を覚まし、自分の服を守って、裸で歩かず、自分の恥を見ない者は幸いである」(黙示録16:15:韓国語訳)。

 


ハルマゲドンの戦いとは 第2回

2015年09月23日 | 日記

3.歴史的な預言解釈をするキリスト教会の見解

 これは非常にユニークで重要な見解です。これはハルマゲドンの戦いを獣の刻印(黙示録13:16,17;16:2参照)が強制されるときから始まり、イエス様が再臨されるときまで、神様の民とサタンの勢力の間で繰り広げられる激しい最後の霊的闘争という見解です。

 上記の3つの見解のうち、神様を信じない人々の推測と空想は除外し、現在のキリスト教会の中に存在する2つの見解を比較してみましょう。

この2つの見解を正しく理解することが、ハルマゲドンの戦いの本当の意味を発見する重要な鍵となります。この質問への回答をどのように理解するかによって、ハルマゲドンの戦いが、イスラエル国を中心に繰り広げられる中東の武力戦争になるかもしれませんし、世界中に散らばっている真の神様の民と、サタンの民の間に繰り広げられる、最後の霊的な闘いともなるのです。

 まず、ヨハネの黙示録がハルマゲドンの戦いの勝利者についてどのように描写しているかを見てみましょう。

「第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した」(黙示録16:12-16)。

 このハルマゲドンの戦いで、誰が最後の勝利を収めるでしょうか?もちろん、イスラエルです。しかし、使徒ヨハネは、ハルマゲドンの戦いで最後に勝利を収めるようになるイスラエルの姿を、非常に興味深く説明しています。

「見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。」(黙示録16:15)。ここで、聖書は、最後の勝利者であるイスラエルを着物を身に着けている人と紹介しています。


新連載 ハルマゲドンの戦いとは 第1回

2015年09月22日 | 日記

 

第1部:ハルマゲドンの戦いとは?

序論

 

「第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し道を備えるために、かれてしまった。また見ると、龍の口から、獣の口から、にせ預言者の口から、かえるのような三つの汚れた霊が出てきた。これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを召集したが、それは、全能なる神の大いなる日に、戦いをするためであった。(見よ、わたしは盗人のように来る。裸のままで歩かないように、また、裸の恥を見られないように、目をさまし着物を身に着けている者は、さいわいである。)三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した」(黙示録16:12-16)。

 

◎ハルマゲドン戦争についての誤解

 

古くから人々は、世界の終末に対して多くの関心を示してきましたが、そのたびにヨハネの黙示録に出てくる獣の刻印とハルマゲドンの戦いは、終末論の中心話題となってきました。獣の刻印から始まり7つの災いとハルマゲドンの戦い、そしてイエス様の再臨へとつながっていく一連の最後の事件が、どのように始まるのか、またどのように終わるのかという質問は、時代を超えて、キリスト教会の中に常に存在してきました。ヨハネの黙示録に記録された、最後の出来事についての様々な誤解や憶測が飛び交うこの時代に、ハルマゲドンの戦いについて聖書が何と言っているかを見ることで、皆さんの考えに一筋の光を投げかけたいと思います。

 

今から約150年前にはハルマゲドンの戦いのシナリオは、イスラム文化圏のトルコ帝国とキリスト教国の間にある最後の戦いであるとする預言解釈が最も普及して、受け入れられていました。しかし、歳月が過ぎ、情勢が変わるとハルマゲドンの戦いに関する預言の解釈も変わりました。

 

第二次世界大戦終盤の1945年、核爆弾が日本に投下され、共産主義と民主主義の本格的な冷戦時代が始まると、ハルマゲドンの戦いは、ソ連がイスラエルに侵攻することにより始まり、最終的には無神論勢力である共産主義とキリスト教国間の最後の大決戦に発展することになるだろう、そしてついには、中東地域で最後の決戦を繰り広げることになるだろう、といった預言解釈がなされるようになりました。しかし、1990年にソ連と東欧が崩壊し、冷戦時代も過去の歴史として過ぎ去っていきました。

 

このように何度にかわたる失望を味わった人々は、聖書に記録されているハルマゲドンの戦いについて、深い懐疑と混沌の中に陥るようになりました。果たして、ヨハネの黙示録に記されているハルマゲドンの戦いは起こるものでしょうか?またそれはいつ始まって、どのよう終結するのでしょうか?また、その最後の大決戦ではいったい誰が最後の勝利をするのでしょうか?

 

現代のキリスト教会は、ハルマゲドンの戦いに対していろいろと異なる見解を持っているようです。また、クリスチャンだけでなく、世界の人々もハルマゲドンという言葉を用いて地球終末のシナリオを予測しています。しばらく前に、アメリカのハリウッドでは、彗星の衝突による地球の終末事件を『ハルマゲドン』というタイトルで映画化して、多くの人の関心を呼びました。

 

今日のキリスト教会の中に存在するほとんどの預言解釈と、クリスチャンでない人々が作り上げた地球終末のシナリオを見てみると、次のように大きく三つに分けることができます。

 

1.神様を信じない人々の見解

 

一般に普及している雑誌や空想科学小説や映画などでは、細かい部分は異なっていますが、ハルマゲドンの戦いを、人類と地球が全滅する最後の大戦争として紹介しています。

 

2.大多数のキリスト教会の見解

 

大多数のキリスト教書籍では、ハルマゲドンの戦いを、銃と近代的な武器を使用して戦う現代戦争と解釈しています。これらの見解を信じる人々は、聖書に出てくるカルメル山の近くや、アラブの石油地帯と死海の近くに、つまり中東地域を戦争地域と限定しており、ロシアの南進勢力とアフリカの北進勢力、そして西から集まるヨーロッパとアメリカの軍事力、そして東から来る2億人に達する中国の軍事力が、人類の最後の日に対決すると言っています。この見解は、次の5つにその内容を要約することができます。

 

❶ハルマゲドンの戦いの唯一の勝利者は、現在存在しているイスラエル国家である。ただし、今の瞬間も、イスラエルはイエス・キリストを拒絶しているが、まだ彼らの恵みの時間は続いている。従って、ヨハネの黙示録に登場するイスラエルとは、今現在、中東地域に存在する実際のイスラエル国家を意味する。

 

❷ハルマゲドンの戦いは、中東地域で発生する局部的な戦争をいう。

 

❸ハルマゲドンの戦いとは、銃や武器を持って戦う物理的な戦争である。

 

❹イスラエルに勝利をもたらせる「日の出る方から来る王たち」は、具体的な国や勢力を

を意味する。最後の時に、実際にユーフラテス川が干上がり、「日の出る方から来る王たち」と表現された勢力によって、イスラエル国家が危機の瞬間に奇跡的に救われて、勝利を得ることになる。

 

❺ハルマゲドンの戦いの前後、現存するイスラエル国民全体がイエス・キリストをメ

シヤとして受け入れるという劇的な回心を経験することになる。


神の火  最終回

2015年09月21日 | 日記

 今こそ聖霊のバプテスマを!

ペテロの生涯が変えられたということについて、私たち学んだことがありますよね。使徒ヨハネの変えられた経験も、私たちは知っています。多くの聖徒たちの生涯が、変えられていったことを、私たちは見聞きしているわけです。

私たちもまた、聖霊によって手術を受けなければならないのです。それが聖霊の火のバプテスマです。私たちの思考パターンを、変える必要があります。色んな間違った思いに汚されています。すぐに感情的になるような心を持っています。病んだ心、思いを抱いています。いろんな憎しみ、恨みつらみを持っています。利己心、利己的な目的を持っています。そういったものが、私たちの心に詰まっているのですね。そういったものが変えられる必要があります。

どのようにして変えられるのでしょうか。神様が焼き尽くす火であられます。聖霊を私たちが受け入れる時、ご自身の真理をもって私たちのうちに入ってこられます。すべての汚れを焼き尽くして下さいます。そして私たちを変えて下さるのです。変えられた後、イエス様に似たものとして下さいます。それは、単に私たちの言葉遣いや行動が、親切なものになるというだけのものではありません。もちろんそういったものは伴いますけれども、心の根本の動機が変えられるのです。心の意図を変えてもらう必要があります。思いを、私たちの感情を、真の人生の目的を抱くものとしていただく必要があります。

イスカリオテのユダは、イエス様のこのような影響力、訴えに抵抗し続けたのです。そしてついに、彼の心にサタンが入りました。聖書によると、彼は夜出ていきました。これが獣の刻印です。そのような状態の人は、もはや変えられる望みはなくなっているのです。イエス・キリストは、間もなくおいでになります。今こそ聖霊の火のバプテスマを受ける時です。聖霊を受ける時です。

「主よ、どうぞ私の心を探ってください」と、祈り求めるべきです。「私の思いのうちに、感情のうちに、何か間違っているものがあるならば、どうぞ変えてください」と祈りましょう。そして私たちは魂の価値を再評価すべきです。神様の祝福が皆様の上にありますように。

今ここに直接おられなくても、CDやDVDを通して、このメッセージを聞いておられるお一人おひとりに、神様の豊かな祝福がありますように。神様が皆さんお一人おひとりを助けて下さって、間もなくやって来る、後の雨の備えが出来るようにしてもらえますように願い祈るものです。速やかに収穫の働きを終えて、故郷に帰りたいものです。巷には真理を心から探し求めている人たちが、クリスチャンの中に、クリスチャンでない人たちの中に、大勢おられます。何とかしてそういった魂に、私たちは行きつかなければならないのです。

 

お祈りしましょう。

「天のお父様、今日あなたに特別なお願いをしたいと思います。私たちの誤りや試練を通して、あなたは私たちを色んな方法で訓練してくださいました。速やかに備えられたいと思っています。そして、あなたの伝道の力になりたいと思っています。魂を救う働きにおいて、力あるあなたの道具となりたいと思っております。あなたの栄光が私たちに臨んで、多くの人々に、あなたの光を輝かすものとなることが出来ますように。このどうしようもない、不可能の状態、この弱い、いろんな問題を抱えた状態から、どうぞ私たちをお救い下さい。イエス様、どうぞ速やかにおいで下さい。もうこれ以上この世に留まりたくありません。どうぞ特別に、この日本という国を祝福してください。日本においては、本当にクリスチャン人口がわずかでありますから、私たちの間違い、失敗をあなたのみ前に告白いたします。どうぞ心の誠実な人たちに、魂に、私たちが出会うことが出来ますように助けて下さい。多くの魂を救うために、何を言ったら良いか、何をしたら良いか、どうぞ私たちに知恵を与えて下さい。力を与えて下さい。日本において、短期間でみ業が成し遂げられますように助けて下さい。私たちはそのことを信じます。あなたが、私たちを通してこのみ業を成し遂げて下さると信じ、信頼を置きたいと思います。

イエス様のみ名を通してお祈りいたします」。アーメン