自己中心的で生まれ変わっていない人間の本性は、こういった過ちを歓迎して聖書の確かな真理は拒みます。いわゆる正統派と主張するプロテスタント教会の中にも、アウグスティヌスと彼の誤りを発展させた偽りの教理が、正しい教えとして選ばれている現状です。今日、ある特定の教派に所属することは、ほとんど意味を失いつつあります。自分がどの教派に属するかではなく、個人的なイエス様との関係、神様の真理を正しく信じ、毎日それによって生きているかどうかを確かめながら生きる時代になりました。
予定論と、「一度救われたら永遠に救われる」という教え、また十字架によって律法は廃されたので十戒はもはやクリスチャンが守るべき道徳律ではないと主張する道徳律廃棄論、そしてキリストを心から信じているクリスチャンであっても、決して罪に打ち勝つことは出来ないという教えこそ、教会を世俗的にまた無力なものにしている張本人なのです。
いったい誰が、救いについての神様の真理を倒そうとするのでしょうか?最後の時には、真理の上に堅く立っているクリスチャンだけが生き残るようになるでしょう。救いについての真理は、これもあり、あれもありといった教えではありません。人間を救いに至らせる真理は、ただ一つであるということを覚えておいてください。「あなたがたは、はたして信仰があるかどうか、自分を反省し、自分を吟味するがよい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、悟らないのか。もし悟らなければ、あなたがたは、にせものとして見捨てられる」(Ⅱコリント13:5).
9 結論
真の福音とは、自己を否定し自分の十字架を背負って、日々イエス様に従う力を与えることのできる福音です。この福音は、イエス様を深く愛する思いから、クリスチャンとしての生き方をするので、罪の勢力そのものから救われる聖書の福音です。偽物の福音は十字架の教理だけを受け入れ、実際、罪の力からは救われていないにもかかわらず、まるで救われたかのように勘違いさせる安っぽい福音です。読者の皆さんはどのような福音を信じておられるでしょうか。