TANEの独り言

日々の生活の中でのつぶやきだから聞き流してネ

マイナポイントの手続き完了!

2020-11-05 11:23:00 | 日記
流行に乗ってしまうのは少しシャクでしたが、最高5000円分のポイントのことも気になるし、通知カードも使えなくなると耳にしたので、とうとうマイナポイントの手続きをしてしまいました。

みんながやっているからと “右へ習え!” は少し抵抗があるけれど、私も人の子、ポイントに釣られて申請してしまいました。


1カ月ほど前に娘がマイナンバーカードの申請をスマホで済ませた話をしていました。

今まではカードはつくらず、役所から送られてきた紙の通知カードで済ませてきました。

しかし、世の中の流れはマイナンバーカードの方に分があるようで、来年にはマイナンバーカードが健康保険証がわりになるようですし、他にもわざわざ役所に出向く面倒が減るらしいのです。

国民にそう思わせるのが手口だと重々承知していますが、「今が潮時かな」と思うところもあり、マイナンバーカードの申請をする決心がつきました。

役所に行かずに申請ができるならと、やり方を調べてみました。

顔写真もスマホで撮れるから便利だと思いましたが、影が写り込んではいけないとか、外枠と顔の輪郭との隙間の具合とか、顔が傾いたらダメとかいろいろな制約があり、スマホでの申請を諦めようかとさえ思いました。

ですが、連れ合いが「やってみよう!」と言うものですから、スマホで各自の顔写真を撮り、なんとかマイナンバーカードの申請までこぎつけました。

あれから、丁度1カ月、ついに反応がありました。

ところが、役所から郵送されてきた「回答書」に必要事項を記入し、本人確認ができる運転免許証等を持って役所に行かなければ、原則マイナンバーカードは貰えないとのこと。




「結局、顔出さないといけないのか…」

と、何かアナログ的な感じはしましたが、昭和30年代生まれの私は根っからのアナログ人間、時代の流れに取り残されないように、必死に背伸びしてやってるだけの “じぃじ” です。

連れ合いと共に、朝一番で役所へ行きました。

マスクを外しての本人確認をして、役所のパソコンに暗証番号を入力して、やっとマイナンバーカードが手に入りました。

ちょっと呆れた感じはありましたが、マイナポイント申請について尋ねると、別の階に受付窓口があるとのこと。

マイナポイントの申請も自力でやるつもりでしたが、そんな窓口があるなら訪ねてみようと言う事になり行ってみました。

すると何と言うことでしょう。手慣れた係の方が事務的、機械的に処理してくれました。

「あーでもない、こーでもない」と言いながら自分たちだけでやることを考えたら、ウソみたいに簡単に終わりました。

「ありがたやー、ありがたやー」と、手を合わせたいくらいでした。

                   <総務省ホームページより>



でも、「マイナポイントは来年の3月まで!」って、何か "煽られてる” ような、オレオレ詐欺の "早くしないと大変な事になりますよ” みたいな脅しみたいに感じるのは私だけでしょうか?











今年やりたかったこと… その2

2020-11-04 08:00:00 | やりたかったこと
旅は自分が行きたいところへ、自分で考えた交通機関を使い、泊まりたいところに泊まって楽しむものと信じ、自分好みの旅をつくり上げてきました。

家族旅行も、私の独りよがりの旅を企画し、自己満足していました。

ですから、飛行機の座席も泊まる所もレンタカーも全て私が手配し、どこを通るかも自分一人で考えることになっていました。

車の運転も私だけでやっていましたので、旅を終えた時の充実感と比例するように労力も相当に使うことになっていました。


ところが、2018年の夏に紀伊半島ぐるり一周のツアーに連れ合いと初めて参加し、ツアーのよさに気づいてしまったのです(このツアーの様子は『初ツアー「南紀ぐるっと1周」*2018夏*』で詳しく載せています)。

ツアーの場合、移動手段も宿泊場所も食事の手配も全て旅行会社がしてくれるので、申し込みさえすればあとは添乗員さんに全てお任せです。

それに、運転しなくていい分疲れることもありませんし、ゆっくりと車窓の景色を楽しむことができます。

ビールだって飲むことができるのです。

こんなに楽な旅は初めてでした。

紀伊半島ぐるり一周ツアーで味を占めた私たちは、2019年の12月に北海道ツアーにも参加し、冬の北海道を満喫したのでした(このツアーについても『ツアー第2弾「冬の北海道」*2019冬*』に載せています)。

そして北海道から帰ってすぐに『東北6県の桜の名所を巡るツアー』に申し込み、2020年4月の下旬には出発する予定でした。

しかし、2020年に入って間もなく日本国内でCOVID-19の感染者が確認され、徐々に日本人の感染者数も増加し始めたのです。

他県への移動もできなくなり、私たちは楽しみにしていた東北6県の桜🌸ツアーを諦めざるを得ませんでした。


秋田の角館にある武家屋敷通りのシダレザクラも、



青森の弘前城の2600本の桜も、


福島の三春の滝桜も、


岩手は北上川河畔の桜並木も、山形は烏帽子山千本桜も諦めざるを得ませんでした。


でも、こればかりはしかたありません。

今年の春に東北地方の桜を観たかったのですが、毎年、春になると桜🌸は花を咲かせます。

桜は逃げないですから。


またいつか、東北各県の桜を観ることを楽しみに待つことにします。











我が青春の山<中部山岳サイクリング> その⑥(最終回)

2020-11-03 07:18:00 | 山行
南アルプスでは、同級生のI手がリーダーを務めるパーティーと会うことができました。

互いに無事を喜び合うとともに、今後の合宿の成功を願いながら別れました。

南アルプスの白根三山を無事登り終えた私たちは、甲斐駒岳へも足を伸ばす予定でしたが、天候等を考慮し自転車を停めている広河原まで降りて富士五湖を目指すことにしました。

広河原からの下りは野呂川、早川沿いにひたすら南下します。

道路は舗装されておらず、照明のない真っ暗なトンネルが幾つも続く大変な悪路でした。

出口が見えないトンネルばかりで、トンネル内で自転車のライトを点灯しても光は闇に吸い込まれてしまうのです。

頭にヘッドランプを付けても同じことで、凸凹道を進む振動でヘッドランプが鼻までズレ落ち目を塞ぎ、仕舞いには首まで落ちて役に立たないのです。

漆黒の闇を、生まれて初めて経験しました。

真っ直ぐ進んでいるかどうかも分からず、岩壁にブチ当たる恐怖と大きな水溜りか溝に落ちる恐怖と闘いながら6人で励まし合いながらトンネルを抜けるのでした。

早川が富士川と合流するのが身延町まで降りてきました。

私たちは富士五湖の一つで、最も東に位置する本栖湖までの最後の坂道を登り返したのでした。

坂道を登り終えたところにあるトンネルを抜けると、正面に本栖湖の湖面が広がりその向こうに、薄っすらではありましたが大きな富士山が見えたのです。

そして、私たち6人を労うように湖の上に淡い虹がかかったのでした。

私たちは、思わず "バンザーイ” と両手を上げて叫びました。

その時、写してもらったのがコレです。


汗と埃にまみれながらの放浪の旅であったことが分かっていただけると思います。

ちょっと “危ない人たち” にも見えますが…

本栖湖の次は精進湖、そして西湖、さらに河口湖まで、見え隠れする富士山を従えて自転車を走らせました。



河口湖に架かる大きな橋の上から、しばらくの間、風を切って走り去る車や湖面を裂いて進むモーターボートを見ていました。

そこには、今まで私たち6人が汗と埃にまみれ、もがくように進んできた世界とは全く別の世界が存在しているように思えてなりませんでした。

ちょうどその頃に、富士山の砂走りで大規模な落石事故が起き富士山へ登ることはせず、静岡駅から九州への帰路に着いたのでした。




         < 完 >


PS. 私たちが静岡駅の地下街で食事をとり帰路に着いた日と前後して、駅ではガス爆破事故が起こり多くの方が犠牲になられたのでした。

私たちはその事故のことを帰宅後に知ることとなります。

富士山での落石事故といい、静岡駅での爆破事故といい、他人事とは捉えられないものを感じました。

1980年の夏のことでした…






我が青春の山<中部山岳サイクリング> その⑤

2020-11-02 08:58:00 | 山行
私たちは、高遠にあった町のプールに寄り地元の子どもたちに混じって泳ぎました。

本当は、お風呂代わりに利用させてもらったのですが…


体もキレイになり、着替えもしたので生き返った気分で南アルプススーパー林道に向かったのでした。

この林道は南アルプスを東西に貫く林道で、一般車両は通れませんでしたが、サイクリング雑誌には紹介されていたので、当然、通れるものと思ってここまで来ました。

しかし、現地の林道入口のゲートに着くと係りの人が、自転車は入れないと言うのです。

合宿計画では、自転車で林道の最高点である北沢峠を経て南アルプスの向こう側の広河原まで進み、そこから北岳・間ノ岳・農鳥岳への登山が始まるのです。

さらに、広河原から自転車で富士五湖を目指す計画なので林道を通れないと次の行程に繋がらないのです。


係員の方の話では、事故防止のために通さないとの説明でしたが、どうも、サイクリストのマナーが良くないようで、通したくないというのが本音のように感じられました。

私たちは係員の方に何度も説明とお願いを繰り返しました。

私たちは、安全第一でゲートから峠まで自転車を押して行くことを約束し、やっとゲートを通してもらったのです。

自転車を押しながら登っている時、あとから登ってきたサイクリストのグループが、

「もう誰もいないから、乗っても大丈夫ですよ!」
と言って、私たち6人を自転車に乗って追い越して行きました。

私たちは、係員の方との約束を反故にはできないと、長い長い登り坂を最後まで自転車を押し上げて行ったのでした。

     南アルプススーパー林道の最高地点の峠にて


やっと北沢峠を越えることができました。

広河原に自転車を停めて、私たちは北岳を目指したのです。



北岳は富士山に次ぎ2番目に高い山です。



さらに、間ノ岳、西農鳥岳、農鳥岳をピストン(往復)しました。






林道入口の係員の方が私たち若者の話に耳を傾け、私たちのことを信用してくれたからこそできた、忘れることのできない経験でした。

  

      <その⑥に続く>

我が青春の山<中部山岳サイクリング> その④

2020-11-01 06:39:00 | 山行
お世話になった「◯絵夢」にお礼を言って北八ヶ岳の麦草峠を目指しました。

途中、自転車を捨てて行こうかとも思ったくらいキツい登り坂でした。

峠に自転車を停め、北八ヶ岳の白駒池の畔でテントを張ります。




霧ヶ峰といい、北八ヶ岳といい素晴らしいロケーションです、まるで高原の避暑地のようでした。






神様は私たちにも過酷な試練を科されますが、ご褒美も忘れずにお与えになります。

次は南八ヶ岳です。

尾根伝いにも行けますが、麦草峠に自転車を停めているので、一旦、麓まで自転車で降りて南八ヶ岳の登山口である美濃戸口まで登り返します。

北八のなだらかで女性的な山容とは違い、南八は険しく男性的な峰がそびえていました。








北と南で違った2つの趣きをもつ八ヶ岳を堪能させてもらった私たちは、茅野から高遠を抜けて南アルプススーパー林道の入口ゲートを目指しました。


        <その⑤に続く>