訪問日 令和3年6月1日
小川山 千光寺
初めて訪れる寺で予備知識もない
調べてみると、創建は奈良時代の天平18年(746年)に行基菩薩により開かれたのが始まりと伝えられている
山門
切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門
由緒
往時は16坊を有したが、天文20年(1551年)長尾景虎(上杉謙信)が魚津城を攻めた際に魚津城城主が千光寺に逃げ込んだところを攻撃し13坊が焼失
存続しているのは観音堂のほか、心蓮坊、光学坊、蓮蔵坊の三坊
山門扁額には「大悲殿」
大悲殿とは聖観音や千手観音や如意輪観音などの観音菩薩が安置されている建物のこと
仁王像
いつものように隙間にレンズを突っ込み適当に撮る
考えて撮るより迫力ある写真になる(笑)
階段の奥に建物が見える
階段の左右には小さな祠がある
扉を開き、合掌した後に不動明王像を撮る
階段を上りきったお正面に仏様が置かれている
近くにこの案内板があったので、この仏様かとずっと勘違いしていた
観音堂に安置されている秘仏(33年毎の開帳)のことであった
千手観世音菩薩立像
石造りの魅力的な観音像だ
観音堂
木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入り
間口4間、奥行き5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り
堂内に入りたかったが地元のご婦人方が賑やかに歓談していたので臆してしまった
観音堂の彫刻
休憩中の龍なのか寝起きの龍なのか緩い感じが好きだ
白山社
千光寺に隣接している
本殿
摂社
白山社側から観音堂を見る
駐車場の前の石碑
光学坊
上杉謙信(当時長尾景虎)の越中侵攻による兵火により16坊中13坊が焼失
残った3坊のうちの一つ
撮影 令和3年6月1日
小川山 千光寺
初めて訪れる寺で予備知識もない
調べてみると、創建は奈良時代の天平18年(746年)に行基菩薩により開かれたのが始まりと伝えられている
山門
切妻、桟瓦葺き、三間一戸、八脚単層門
由緒
往時は16坊を有したが、天文20年(1551年)長尾景虎(上杉謙信)が魚津城を攻めた際に魚津城城主が千光寺に逃げ込んだところを攻撃し13坊が焼失
存続しているのは観音堂のほか、心蓮坊、光学坊、蓮蔵坊の三坊
山門扁額には「大悲殿」
大悲殿とは聖観音や千手観音や如意輪観音などの観音菩薩が安置されている建物のこと
仁王像
いつものように隙間にレンズを突っ込み適当に撮る
考えて撮るより迫力ある写真になる(笑)
階段の奥に建物が見える
階段の左右には小さな祠がある
扉を開き、合掌した後に不動明王像を撮る
階段を上りきったお正面に仏様が置かれている
近くにこの案内板があったので、この仏様かとずっと勘違いしていた
観音堂に安置されている秘仏(33年毎の開帳)のことであった
千手観世音菩薩立像
石造りの魅力的な観音像だ
観音堂
木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入り
間口4間、奥行き5間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造り板張り
堂内に入りたかったが地元のご婦人方が賑やかに歓談していたので臆してしまった
観音堂の彫刻
休憩中の龍なのか寝起きの龍なのか緩い感じが好きだ
白山社
千光寺に隣接している
本殿
摂社
白山社側から観音堂を見る
駐車場の前の石碑
光学坊
上杉謙信(当時長尾景虎)の越中侵攻による兵火により16坊中13坊が焼失
残った3坊のうちの一つ
撮影 令和3年6月1日
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