蔵のまち、喜多方から、
お天気は良いし、ぽかぽか陽気でとても素晴らしい一日でした。夕方からいくらか曇ってきました、これから明日にかけて雨がふるのでしょうか、すっかり春の兆しです。
市内の田付川が雪解け水で幾らが増水していました。お天気が良くて暖かいと川の水が見る間に増水します。
本日の画像は先日行って来た、福島市内の旧ノートルダム修道院・荘厳さが漂う聖堂です。
築70余年のゴシック建築です。観光名所とは全く違う場所へ案内していただきました。
昭和10年(1935年)にカナダから来日したノートルダム修道会によって建てられました。
これが現在の桜の聖母学院の母体です。
1941年(昭和16)第二次世界大戦が勃発すると修道院は閉鎖されて政府が強制的に借り上げてイギリス人を主とした敵国の民間人140人の抑留所とし、修道会の会員達は会津若松市に軟禁されました。戦後会員達は返還された修道院に19名の戦災孤児を受け入れて養育し、この子供達への教育が基となって、「桜の聖母学院」が誕生しました。
福島市民も、捕虜の抑留所であったことは当時も今も殆どの方が知らないようです。勿論当時は秘密事項であったそうで、建てられた当時は周囲一面田んぼだったそうです、現在の塀よりさらに高く囲いがしてあり、出入りは勿論内部の様子も見えないのですが、ごく一部の市民達は抑留所である事を知り食料事情を心配し秘密に塀越しで野菜や卵の差し入れをしていたそうです。 さらに修道院内の生活も抑留ではあるが、当時としては大変人道的な扱いであったと、戦後其々の国へ帰った人々から多くの人々に知られるようになり、実際に抑留された人もその家族もそして子孫の方々がお礼に訪れるそうです。シスターのお話を聴きながら胸が締め付けられる気持ちでした。皆さん全員元気で母国へ帰国できたそうです。
旧ノートルダム修道院は現在はビルの谷間に隠れています。建物は素晴らしい文化財だとおもうのですが、時代の波ですか、近い将来取り壊されるでしょうと、悲しそうに話していました。跡地には更に立派な高層ビルがいづれ近い内に建ちそうです。
ゴシック建築の素晴らしい文化財です、2~30年後には国の登録有形文化財になり更に?10年後には重要文化財になるかもしれません。
修道院にかかわる素晴らしいお話でした。
お天気は良いし、ぽかぽか陽気でとても素晴らしい一日でした。夕方からいくらか曇ってきました、これから明日にかけて雨がふるのでしょうか、すっかり春の兆しです。
市内の田付川が雪解け水で幾らが増水していました。お天気が良くて暖かいと川の水が見る間に増水します。
本日の画像は先日行って来た、福島市内の旧ノートルダム修道院・荘厳さが漂う聖堂です。
築70余年のゴシック建築です。観光名所とは全く違う場所へ案内していただきました。
昭和10年(1935年)にカナダから来日したノートルダム修道会によって建てられました。
これが現在の桜の聖母学院の母体です。
1941年(昭和16)第二次世界大戦が勃発すると修道院は閉鎖されて政府が強制的に借り上げてイギリス人を主とした敵国の民間人140人の抑留所とし、修道会の会員達は会津若松市に軟禁されました。戦後会員達は返還された修道院に19名の戦災孤児を受け入れて養育し、この子供達への教育が基となって、「桜の聖母学院」が誕生しました。
福島市民も、捕虜の抑留所であったことは当時も今も殆どの方が知らないようです。勿論当時は秘密事項であったそうで、建てられた当時は周囲一面田んぼだったそうです、現在の塀よりさらに高く囲いがしてあり、出入りは勿論内部の様子も見えないのですが、ごく一部の市民達は抑留所である事を知り食料事情を心配し秘密に塀越しで野菜や卵の差し入れをしていたそうです。 さらに修道院内の生活も抑留ではあるが、当時としては大変人道的な扱いであったと、戦後其々の国へ帰った人々から多くの人々に知られるようになり、実際に抑留された人もその家族もそして子孫の方々がお礼に訪れるそうです。シスターのお話を聴きながら胸が締め付けられる気持ちでした。皆さん全員元気で母国へ帰国できたそうです。
旧ノートルダム修道院は現在はビルの谷間に隠れています。建物は素晴らしい文化財だとおもうのですが、時代の波ですか、近い将来取り壊されるでしょうと、悲しそうに話していました。跡地には更に立派な高層ビルがいづれ近い内に建ちそうです。
ゴシック建築の素晴らしい文化財です、2~30年後には国の登録有形文化財になり更に?10年後には重要文化財になるかもしれません。
修道院にかかわる素晴らしいお話でした。
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