得さんのページ

喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・NHKテレビが蔵のまちを放送。

2010-11-30 17:49:49 | Weblog



蔵のまち、喜多方から、

11月30日・・今朝は晴天に恵まれてました。

NHKテレビ朝の番組・・あさイチ・・東京のスタジオからでした、全国放送で
福島喜多方・直売所より生中継です。なかなか傑作な素晴らしい番組でした。

久しぶりで東京放送からの蔵のまち、喜多方を見ました。私がいつも画像挿入している小田付き蔵通りからの放送でした。

番組を見過ごした皆さんの為に今朝放送された蔵のまちをご覧下さい。午後の画像なので西側は逆光になり暗くなっています。

主に味噌醤油の醸造元、金沢屋忠蔵 「金忠」さんからの放送でした。小田付、町衆会の皆さんがお揃いで参加しています。私達がいつもお世話になっている皆さん方です。

レポーターの篠山輝信さんと金忠の若旦那が味噌醤油について語り合っています。
そのなかで私が何時も言っている言葉がやはりありました。

味噌の醤油の味の決め手は蔵の内に永年住み着いている、酵母菌と乳酸菌により決まります。蔵にいる酵母は大切な菌なのです。

以下の画像はNHKテレビから借用します。
やはりトップ画像は喜多方ラーメンでした。皆さんで、たんぽぽ亭のラーメンを食しています醤油は勿論金忠の醤油です。

小原酒造のモーツアルトを聞かせて醸造する日本酒 蔵粋 です、金忠の丸大豆醤油。
そして、ソフトクリームに醤油をかけているいるところです、皆さんビックリしてました。 私は金忠の みそ味ソフトクリームがお勧めです。

飯豊山系の豊富な地下水が酒を育くみ、醤油を造り、ラーメンをつくります、市内には今でも10軒の造り酒屋があります。今これからが美味い新酒が揃います。
試飲をしながら酒蔵めぐり等をお楽しみください。

周りの山々がさらに白くなってきました。


喜多方発・初雪が降りました。

2010-11-29 17:36:06 | Weblog



蔵のまち、喜多方から、

冬将軍到来です。市内にも雪が降りました時折みぞれ交じりの雪が降る寒い一日でした。
この冬一番の冷え込みで日中の気温が6度cでした。
先ほど大きな音がして雷が鳴っていました。

蔵のまち案内所の当番でしたが、訪れるお客様も少なくなってきました。
散策しているお客様で傘を持っていないお客様に声を掛けて「おもてなしの傘」を使っていただきました。
蔵のまち案内所だけで5名のお客様がご利用です。帰りにワッペンの貼ってある店ならどこへ返してもらってもいいですよと言ったのですが、皆さん案内所へ持ってきて返していただきました。助かりましたとのお礼の言葉を頂きました。

何時も書いてますが市内には各所に・・案内所他各施設商店など・・数百本の傘を準備しています。
皆さんいつでもご利用下さい、


ふれあい通りは今各所で道路の工事中です、両側にある花壇も所によっては取り外されたり植木も花も無くなっています。
本日商店街の皆さんが小さな鉢ですが花の鉢次々とならべて花壇を飾っていました。
良く観ると・みぞれ・が降っているのがわかるでしょうか。

あすは天候回復しそうです。
そしていよいよ師走を迎えます。

明日11月30日のテレビ番組から、NHKテレビで喜多方が放送になります。

喜多方発・蔵ずまいを訪れて。

2010-11-28 17:44:01 | Weblog


蔵のまち、喜多方から、

小雨が降り続く寒い一日でした。今夜から明日にかけて、みぞれ・湿雪と予報もでています。 明日朝は街なかも白くなるのでしょうか、いよいよ冬の到来でしょうか、

昨日の「東北蔵サミット」参加者の皆さんが本日は市内の蔵を見学です。
普段は非公開の、蔵、座敷、屋敷ですが、本日は5ヶ所の蔵座敷を公開していただきました。

その内の一ヶ所で、私もお客さまをお迎えしました。

蔵座敷から見る、市内でも名園と言われる日本庭園はご覧のようにすっかり冬支度が整いました、それぞれの樹木は雪囲いが施されました。これも雪国の風情です。

1975年NHKの番組 「新日本紀行 蔵ずまいの町」で紹介された蔵の一つです。

市内の方をはじめ東北6県の皆さん、そして京浜地区の皆さんまで、職業もそれぞれ学生さんから建築の専門家の方まで訪れていただきました。



蔵座敷の入り口 黒漆喰の観音開きの扉です。昨夜のサミットでも・磨き黒漆喰・と表現している地区もありましたが、黒漆喰の扉の前に立つと鏡同様に姿が映ります。

お客様の中にはこの扉だけを隅から隅まで15分くらいかけて観ている方がいました。
厚さが30cm以上はあるでしょうか、段切りが4段あります。左側が内戸(雌戸)
内戸の方が広くて大きく出来ています。
画像に見えるのが右で外戸(雄戸)です。上下二ヶ所の蝶番で受けてあります。
重量が1トン以上はあるだろうと皆さん話してましたが、片手で軽く開閉できます、

旋回部の上下、接触面におそらく砲金が使われているだろうと山形県からお出での年配の男性が言ってました。
だんだん専門的になってきましたのでこのぐらいにしておきましょう。



明治30年建造の座敷蔵です。 門から入り手前に側面に窓が4ヶ所(4つ目)もある珍しい
倉庫蔵があります。

本日参加の皆さん、改めて喜多方の蔵の種類(用途)の多様性にびっくりしていました。

どうぞ蔵のまちを、ゆっくりと散策してみてください。

 




喜多方発・東北蔵サミット盛大に開催されました。

2010-11-27 21:26:17 | Weblog


蔵のまち、喜多方から、

上の画像は秀峰 飯豊連峰の雪です。

東北蔵サミットが盛大に開催されました。先ほど帰宅したばかりです。

大和川酒造、北方風土館 昭和蔵は東北は勿論全国からおいでになった参加者の皆さんで満席でした。
交流会で参加の皆さんと楽しんできたので遅くなりました、
東北蔵サミット・本日は本当に大盛況でしたが後日あらためて皆さんに報告いたします。

東北6県からそれぞれに蔵に寄せる熱い想いを語っていただき、今取り組んでいる利活用等について体験談を披露していただきました、それぞれの取り組みや活動について後日紹介します。

本日は先日紹介しました蔵のまちの三津谷の登り窯が間もなく修復が完了します、
そちらの方を簡単に報告します、先日の画像と比べてみてください。

先日画像では上部、屋根部分が無くて開放されていましたが、耐火煉瓦で屋根部分が修復完了しました、
やはり焼成炉室内に型枠を造りその上に煉瓦を積み重ねます、12月上旬には完成するそうです。

いよいよ年内には又火入れが行なわれて新しい煉瓦が焼成されると思います。



明日11月28日は東北蔵サミット参加の皆さんに「蔵ずまいを訪れて」ツアーを行います、
市内6ヶ所の普段は非公開の蔵・蔵座敷・蔵の屋敷を見学していただきます。
私もスタッフの一員として皆様をお迎えします。

本日は遅くなりましたので東北蔵サミットについては後日詳細を報告いたします、ご期待下さい。


喜多方発・東北蔵サミット開催されます。

2010-11-26 16:58:05 | Weblog


蔵のまち、喜多方から、

明日開催される東北蔵サミット・パンフレットから紹介いたします。

11月27日(土) 13:30~17:30 大和川酒造 北方風土館昭和蔵に於いて、

 「東北蔵サミット」が開催されます。
 ~蔵の魅力を、東北から全国、全世界へ伝えます~

 基調講演は ”蔵ずまい”への想い~新日本紀行より~
 講師    須磨 章 氏

 東北蔵サミット
 テーマ「蔵への想い~未来への継承」
 東北6県の各地域で、蔵再生・蔵の利活用・町並保存・街の賑わい創出に取り組んでいる蔵人が、蔵への想いを通じて、東北から全国、全世界へ”蔵の魅力”を伝えます。

主催は蔵再生による地域づくり推進協議会

私も参加、出席させて頂きます、そして皆さんに報告しますのでどうぞご期待下さい。

 本日の画像は何時も紹介している今年度、国登録有形文化財に指定されました、市内松山町の上野家の主家と店蔵です、重厚な蔵構えです。屋敷内には数棟の蔵と離れ座敷が在ります

 市内の街なかにある長島家同様立派な蔵が立ち並ぶ蔵屋敷です。見学については観光協会へ問い合わせください。



 東北蔵サミット参加者市は喜多方市・岩手県奥州市・宮城県登米市・青森県平川市・
 秋田県横手市・山形県鶴岡市・等です。

明日が楽しみです。

喜多方発・長床の黄色い絨毯。

2010-11-25 17:22:25 | Weblog


蔵のまち、喜多方から、

昨夜はこの冬一番の冷え込みです、真白に霜が降りました、氷点下3℃~・・
新宮熊野神社・「長床」の樹齢800年の大いちょうは一夜にして全て落葉しました。

境内一面の黄色い絨毯です。
本日のお客様方は黄色い絨毯を踏みしめていました。
お客様によっては黄色い絨毯を観に来る方もいます、先日の11月20日長床ウォークの日には落ち葉は殆んど有りませんでした、黄色い絨毯が見れなくて残念、がっかりしましたと言う人もいます、
すべて落葉したので境内一面の絨毯を暫くは楽しめますのでどうぞ再度訪れてください。

月末まで長床は全国から訪れるお客様で賑わいます。黄色い絨毯を観に来るお客様が多いようです。

本日のイチョウの樹と一週間前の樹を比べてみてください。
本年は紅葉の(黄葉)の樹勢もよく見事な紅葉でした。この樹がごらんの様になります、
同じ樹とは思えないほどです。


本日のお客様方には、いつも私が言ってる長床の上にある熊野神社三社まで登って参拝していただきました。長床はいつ行っても大勢のお客様で賑わっています。
どうぞ黄色い絨毯を踏みしめにお出で下さい。

喜多方発・紅葉5変化。

2010-11-24 17:30:12 | Weblog



蔵のまち、喜多方から、

寒い日が続きます、市内の紅葉も次々と落葉です。
何回も見ていただいた、県合同庁舎前のあの紅葉もすっかり葉が落ちてしまいました。
同じ樹とは思えないほどです、

何回も投稿しているのですが、もう一度順を追ってご覧下さい。見事な紅葉も最期にはこうなります。

街なかでは落ち葉を掃き清めている人が多く見受けられました。
家の前の小学校の生徒さん達も校庭の落ち葉を集めていました。

市内で殆んど落葉を迎えているのに、松山町のほまれ酒造・1300坪の大庭園・雲嶺庵は回りに大きな樹があるせいか、風を遮るせいか、まだまだ紅葉の見頃です。
ご覧下さい。



いくらかは枝葉が透けて見えるようになりましたが。まだ数日は見られるようです。
そして庭園内の樹木の雪囲いが進みました。
市内の庭園では雪囲いの為に殆んど樹木が見えない庭もあります、もうすぐ雪の季節を迎へます、雪国では庭園の管理も大切な仕事です。

本日も街なかには・とっておきの蔵めぐり・をしているお客様方が大勢散策しています。

私も来週の蔵めぐりのお願いに伺いました、すると「雪囲いが済んでる頃で隠れてみえないかもしれません」とのことです。
都会のお客様には雪囲いも素晴らしい風情だと思います。

明日はお客様と、樹齢800年「長床」の大いちょう(黄葉)と黄色の絨毯を案内して行ってきます。
境内一面に黄色の葉で埋まっているはずです。
真黄色のイチョウと黄色い絨毯、画像挿入します、ご期待下さい。

喜多方発・白虎隊ゆかりの地、塩川宿散策。

2010-11-23 17:43:31 | Weblog



蔵のまち、喜多方から、

11月23日、勤労感謝の日 寒い寒い一日でした。

本日は予告したように、白虎隊士飯沼貞吉の孫、飯沼一元氏の講演会と塩川宿ゆかりの地散策です。
ごらんの様に寒さにも負けず大勢の参加者です。

本日の街歩き案内、講師は喜多方文化協会塩川支部長 佐藤一男氏です。

飯沼貞吉ゆかりの地と塩川宿の散策をして、午後から塩川ふるさと会館で飯沼一元氏の講演会が開催されました、こちらも会場いっぱいの参加者で満席でした。

(主催)は喜多方市塩川公民館・白虎隊の会  (主管)喜多方文化協会塩川支部
塩川町観光協会の後援です。

白虎隊士が飯盛山で自刃したが飯沼貞吉はただ一人蘇生し荷車に乗せられて塩川宿の中島屋で医師三ツ本住庵の治療をうけます。さらに当時御本陣に居た医師の治療を受けて快方に向い、後に喜多方の沼尻、観音堂において療養をするそうです。

後に貞吉は長州藩の司令の一人である、楢崎頼三に連れられて萩に向かいます。

飯沼少年が生き残ったのを恥じて悶々の情を抱いている事を知り、心情を哀れみ熱心に進むべき道を説得し、小杉の家に伴い、一室を提供し生活の面倒と勉強の協力をします。

この話は楢崎家で奉公をしていた高見フサが口伝で代々に伝えるようにと言い残したそうです。それは高見家の誇りであるからです。飯沼少年の面倒を見たことは確かに楢崎家の誇りであり、高見フサの誇りです、そこには会津も長州も無く、「義」は会津に長州にもあります。 と言う話は午後の講演で飯沼一元氏の話の一説です。

今でも会津人の多くはそんな事はあり得ないと否定するそうです。
飯沼貞吉は後逓信官吏としての道へ進みます。
大変有意義な講演会でした、塩川町も歴史ある街です。会津地方の中心に在り舟運で栄えた町です。再度紹介します、ご期待下さい。

最初の画像は阿弥陀寺です。
塩川にも沢山の蔵が並びます。


塩川町の御清水です、今は水は出ていません。すぐ側の2~3m下に広い道路が出来てから水は枯れたそうです。

喜多方発・白虎隊士、飯沼貞吉とは?

2010-11-22 17:31:33 | Weblog


蔵のまち、喜多方から、

明日、11月23日(火)祝日です。

喜多方市塩川町ふるさと会館に於いて13:30~
白虎隊士 飯沼貞吉の孫 飯沼一元氏の講演会が開催されます。

白虎隊(びゃっこたい)戊辰戦争・・(会津戦争)飯盛山で自決した少年隊士の内
ただ一人蘇生して生き残った隊士が飯沼貞吉です。

 演題 飯沼貞吉と塩川町
 街なかの散策を駅前から10:30~
 塩川宿は戊辰戦争と関わりが深く、塩川に駐屯した米沢陣営に頼んで降伏の書を呈した。城外兵士1700余名が塩川代官所やその他に謹慎、駅前の阿弥陀寺から越後高田藩に護送された、飯沼貞吉が治療を受けたご本陣やゆかりの地を案内します。
パンフにこう載ってます。

明日、私の参加して街歩きと、講演を拝聴しようと思います。

飯沼貞吉については多くの研究者が調査をしてますが、貞吉は自分のことを語らなかったと言うのが定説です。生涯についても空白の時期があるそうです。明治2年~4年頃、
山口県美称市に滞在し、貞吉は逓信事業に長く勤めますが、最初の勤務地が下関電信局であったそうです。

会津の人々このような事実を信じがたい人が多いようです。今でも薩摩、長州にこだわりを持つ人が居るそうです。140年前の出来事ですが、

明日の講演会でどの様な話が出るでしょうか?楽しみです。

最初の画像は塩川街なかにある街道の標識です。南 若松日光江戸街道とあります。
この標識をよく観ると真四角ではなく上から見ると少し長方形になります、本街道に面した方が幅が広く脇街道の方が少し狭いそうです。言われてよく見ると確かに、南の方が幅が広かったのです。



明日も祝日のせいか平日にしては街なかを散策している観光客の多い一日でした、天候が良くなることを期待します。

喜多方発・霧の一の戸橋梁。

2010-11-21 17:32:54 | Weblog


蔵のまち、喜多方から、

昨日につづき雲一つない晴天に恵まれました。朝のうち濃い霧に包まれて視界が悪いなかを山都町へ行ってきました。霧が濃いほど日中は晴れ上がります。

干し柿用の柿を採りに行ってきたのですが、途中に柿の木が沢山ありたわわに実っていますが、採らずに木に残っている柿が多いようです。

今年100周年を迎えた一の戸橋梁です。(鉄道関連としての近代化産業遺産)霧もあったのですが逆光です。夜間になれば
今ライトアップ中ですので、橋げたの下に大きなライトが設置してありました。
ライトにそれぞれ、緑、青と書いてありました。近いうちにライトアップを観に行こうと思います。



新宮熊野神社の長床を神社側から見下ろした画像です。
上に祀られている熊野神社の三社です。新宮・本宮・那智殿・です。

応徳2年(1085)熊野堂村に草創の後、寛治3年(1089)新宮の地に遷したのが始まりです。
昨日のウォーク参加者の皆さん方は神社まで登って参拝していました。

長床ほどの規模はありませんが、歴史在る建造物です、本殿まであがって参拝してください。