蔵の街・北町の佐牟神社前の説明板に、瓜生岩子・日本のナイチンゲールと大きく書いてあります。境内には岩子の銅像もあります。瓜生岩子については私も数回ブログでも書いていまが、本日は画像を入れました。浅草の浅草寺・福島の長楽寺・熱塩温泉示現寺・そして喜多方市内北町の佐牟神社境内に晩年の岩子の銅像があります。私はまだ長楽寺の銅像を観ていませんがそれぞれに顔の形も表情も少し違うようです。北町には大きな看板で「瓜生岩子生誕の地」と書いてありますが、当時は母方の実家で出産をするのが一般的な習慣でしたので、岩子も母の実家である熱塩温泉の山形屋で生まれました。生家は北町の油商ですが、九歳の時父が急死、家も火災焼けるなど苦労して育ちます。御番医師の家に行儀見習いに行ったことで、後の岩子の活躍の原点が芽生えたと言われてます。幕末の会津戦争の時、敵見方なく負傷兵を看護、避難民の救援に尽くしたことこら日本にナイチンゲールと呼ばれるようになりました。生涯を慈善事業に捧げ、明治29年女性として初めて藍綬褒章を授けられましたが、翌30年に福島で69歳の生涯をとじました。
蔵の街、喜多方市内に出雲神社と諏方神社が鎮座してます。北宮諏訪神社は会津北部の総鎮守として街の人は、お諏訪さまとして親しみ敬われています。会津若松の諏訪神社を南宮、喜多方の・当時は北方の諏方神社を北宮と呼んだようです。本日カメラを持って神社の前を通りました。神社の方々が清掃をしてました。声を掛けて数枚写してきました。「来月郡山の開成山大神宮の関係者の方々が参拝に訪れるそうです。」「あ、そうですか決まり次第連絡下さい、私が対応、案内します。」と若い神官のご返事でした。今閉めたばかりの本殿へどうぞと言って案内して頂きました。私は初めて本殿へ上がりました。主祭神は「建御名方命」たけみなかたのみこと。・・「八坂刀売命」やさかとめのみこと。・・永和元年(1375)に信濃の国諏訪郡から勧請と言う歴史ある神社です。古くから農耕・生活・武家の神・そして市神・市場の神として商売繁盛の神として、正月の初市を司る神でもあるそうです。
蔵の街・久しぶりでガイドに行って来ました。お客様は厚木商工会議所様20数名夫々に商売や事業をしている方々です。女性の方も数名です。商店街を中心に蔵の街並をと言うご希望でしたので、限られた時間とゆうことでしたが早めの到着で本当に助かりました。小田付蔵通り(南町)の「蔵座敷あづまさ」到着です昼食を済ませてから西四ツ谷観光駐車場より街なか散策です。市役所前を若喜商店へ国登録有形文化財のレンガ蔵は産業遺産でもあります。中央通り・・ふれあい通りをゆっくりと歩きながら見てもらいました。アーケードの下を通りますので説明が無いと蔵に気がつきません、(画像が蔵の店です)でも次から次と蔵店です。「店も蔵造りなのね・・えー・・本当に多い・ここも次もアソコも蔵のお店だ」女性の方がビックリしてました。「蔵のお店の後ろに住まいの蔵座敷がありその後ろに家財蔵そして商品蔵と続きます、更に厠の蔵、そして塀蔵、」皆さん本当に蔵が多い事に納得されたようでした。酒蔵から市内でも一番大きな元・商品蔵まで見学していただきました。酒蔵では試飲を楽しんでもらいました。私が福寿草の話しをしましたら皆さん共に行って見たいと言ってましたが時間の都合で次回とゆうことに、天候が回復して本当に助かりました。でも本日も寒い一日でした。
蔵の街から、ほんの12~3キロ姥堂川筋を上ったところに関柴町楚々木地区があります。私が毎日観察している福寿草の群生地があると聞いたので行ってきました。なんと未だ画像のように残雪です。南面の斜面や田畑の土手の土がわづかに見えてきました。その場所には、早くも福寿草の蕾が顔をだしてわづかに黄色くなってきました。まだあと10日~20日過ぎないと花は見えないようです。町から登って行くとかなりの標高です。どんどん気温が下がっていくのがわかります。途中の道路の両脇に未だ雪が沢山残ってます。大仏清水が滾滾(コンコン)湧き出てました。それにしても本日は寒い寒い一日です週末は良い天気になることを願います。
蔵の町・喜多方は大自然からの恵みでいっぱいです。本日も引き続き福寿草です。高郷町荻野地区の福寿草これも今が見頃です。規模は山都町の沼ノ平ほどではありませんが、今度の週末までは充分楽しめます。集落のおじいちゃんやおばちゃん達が「どうぞ休んで、お茶飲んでいがんしょ、」と手作りの甘酒をご馳走してくれました、又いろんな漬物も並んでました、「どうぞ手出して食べていってくなんしょ、」と言われお茶を飲みながらご馳走になって来ました。自然の恵みも良いが田舎の人々の「おもてなし」がとても心温まる行為です。「又来てくなんしょ」。と言われ「ハイ必ず又来ます」と言って帰途につきました。高郷町の荻野には県営の荻野漕艇場があります。ボート・レガッタです、全国的な大会が毎年開かれるようです。福寿草は漕艇場の三叉路を少し山側へ行った所で、こちらも旗と案内板が出ています。喜多方にはまだまだ福寿草の群生地がありますが、市内から程近い関柴町の楚々木地区にもあるそうで行って見てきます。
蔵の町、喜多方は周囲を見渡せば山々です。そして四季を彩る花たちが雪解けを待って一斉に咲き始めます。今、福寿草が見頃を迎えました。今一番のお勧めは山都町の「沼ノ平」地区の福寿草です。5haの土地に約100万株の福寿草(キンポウゲ科)が自生しています。日本でも最大級の群生地と言われています。日当たりの良い南側に面した斜面を好むようです。遊歩道が完備していてゆっくり見て歩くと(3コースほどあるが)約40分程もかかる広さです。途中に水芭蕉が未だ小さな花を咲かせていました。池の縁にカエルのの卵が数万個密集してました。まだ全然動いていません。沼ノ平地区は昔は人家が在り集落だったのですが今は人は住んでません。その畑だった土地や棚田跡に福寿草が自生して増え続けています。実生(種)が頒布して増えるのですが、種を運ぶのは蟻(アリ)なそうです。蟻がせっせと種を運び増やし続けるのだ、と土地のお年寄りの方が面白い事を言ってました。山都町には・早稲谷・州谷・沢口・等にも群生地があります。
蔵の街から、本日も昨日に引き続き作文です。市内松山公民館の主催で行われました「私たちのふるさと喜多方を考える」作文の小学生の部の「特選」作品です。長谷川 千桂さん・・みなさんは”ふるさと”と聞いて何を思いうかべますか?目の前に広がる田んぼや畑、まっ白な雪。誰にとってもふるさとは温かいものだと思います。私の温かいふるさとは、喜多方です。大きなショッピングモールや映画館はないけど、地域の人が仲良くて、とても温かい町です。私がこの町で一番好きな季節は、冬です。喜多方の冬は寒さはとても厳しく、学校の登下校は、とても大変です。でも、冬の寒さが厳しい分、春は今まで寒さの中でがんばっていた花々が美しく咲いてとてもきれいです。春のすばらしさを教えてくれる冬が私は大好きです。私のふるさとで一番おいしい物は水です。私の家では、地下水をひいています。だからお米やお茶がとてもおいしいです。考えてみると、喜多方の名物は全部水につながっているなあと思います。大人の人がおいしいと言うお酒も、水がきれいだからおいしいし、とうふやお酒、ラーメンも、水がおいしいからおいしいんだなあと分かりました。私が大好きな喜多方は、ビルが立って、大きなショッピングモールがあって映画館がある町になることではなくて、私がこの町からはなれる事になっても、冬は寒くて、春は花がきれいで、田んぼや畑が広くて、水がきれいで、おいしくて、映画館もビルもなくて、喜多方のみんなが笑顔でいて、自然がいっぱいで、とっても温かい、今のままの喜多方であってほしいです。私のふるさとは、今までと変らない、平和で自然がいっぱいの温かいふるさとです。これからどんどん町の活性化が進んでも、このままの喜多方であってほしいと思います。そして働く人は、いつも「お客様のため」と考え、一日一善を心がけて、人に優しい町であってほしいと思います。私の提案はこれでおしまいです。・・・素晴しい作文だと私も思います。皆さん喜多方って良い所でしょう。・・その寒さを耐えて春を迎えた福寿草が今満開です。山都町の沼の平。そして高郷町の荻野です。本日の画像は高郷町の福寿草です。
先般、市内松山公民館の主催で募集されました、作文「私たちのふるさと喜多方を考える」の、入選作品を本日は館長さんのお許しをえて活用させていただきます。毎日私のブログを見にきて頂いてありがとうごさいます。作文ですので本日はちょっと長文になりますが、素晴しい作文ですので読んでください。小学校の部の特選です、「私たちのふる里、喜多方」・・渡部 美鈴さん・・私たちのふる里、喜多方には、良い所がたくさんあります。その中でも私が一番気に入っている所は、「緑に囲まれていて、きれいな空気」ということ、「おししい水にめぐまれている」、そして、「いつも笑顔がある」ところです。「緑に囲まれている、きれいな空気」という所は、喜多方には木が多く植えてある公園があったり、森林公園があったりして、とても緑に囲まれていると思います。私のおじいちょんとおばあちゃんは、木がたくさん植えてある、御殿場公園に木を植えたりしていました。緑に囲まれていると、空気もきれいになると思います。「おいしい水にめぐまれている」という所は、昔からの喜多方市の自慢できることだと思います。「いつも笑顔がある」という所は、登校中など、近所の人と会うと、相手の方から笑顔で、「おはよう。行ってらっしゃい。」と言ってくれます。私も、倍くらいの笑顔で、あいさつを返します。そして、「今日も一日、がんばろう。」と思います。他にも、蔵のこと、温泉のこと、米作りや酒、ラーメンのことなど、喜多方の自慢できるところは、たくさんあると思います。そして、毎年喜多方には、たくさんの観光客が来て、喜多方の良い所、自慢できるところを見たり、感じたりしていきます。でも、こんなに良い所がたくさんある喜多方でも、ごみのことを直したいと思います。今は、今までの喜多方と熱塩加納町と山都町と高郷町と塩川町が合併して、新喜多方市になり、人口もぐんと増えました。前までは、「喜多方市内、全部きれいにしたい。」と思い、ごみが落ちていたら「拾おう。」と思い、ごみを少しでも拾っていました。でも、今度は喜多方が大きくなったので、「全部をきれいにするのは無理」あきらめたり、すっきりしませんでした。でも、そんなふうに考えたら、喜多方はどんどん汚れしまうから、喜多方市内の人、一人一人が今の喜多方のことを考えて、道ばたなどにごみを捨てないように、気をつけてほしいです。それに、ごみが落ちていたら、自分ではなくても拾ってあげられるような、思いやりの心を持って生活できるよう、私も心がけていきたいです。私は、喜多方の良いところを、もっと盛んにし、笑顔であいさつをかわしあえる町に、そして、ごみのない、きれいな喜多方市になってほしいです。私は、そんな喜多方に住みたいと思います。新喜多方市を、より良くするため、喜多方に住んでいる一人一人が、喜多方市についてよく考えてほしいです。そして、喜多方市に来た観光客に、「喜多方に来てよかった、喜多方はいいなあ。」と思ってほしいし、喜多方市内を、楽しく歩いてほしいと思います。・・・以上渡部さんの作文です。本日の画像は昨日の続きで彼岸獅子です。明日ももう一編作文をご期待下さい。
蔵の街・喜多方は晴天に恵まれました、彼岸獅子も本日で舞い納めです。本日は彼岸明けでお花を持って墓参に行く人を多く見受けました。・・朝9時ごろに「獅子舞いこれからはじまるよー」と電話が入りました。中村の獅子舞いです、本日で終わりですので直ぐに行って観てきました。最初の舞から終わりまでかなりの時間がかかります。弓くぐりと言って踊り手が獅子の面を被ったままで踊りながら糸を張った弓の間を潜り抜ける妙技があります。画像ではそこまではありませんが見物してきました。これはなかなか観ることはできせん。三人の踊り手には夫々に名称が付いているのですが、太夫と雄、雌の三匹の獅子でしたか?・今度獅子舞の伝承を聞いて調べておきます。・・・関柴町の下柴彼岸獅子舞は昭和62年に県の重要無形民族文化財に指定されてます。獅子舞の団員の皆さんは踊り手の他に笛に太鼓にいろいろな役目がありかなりの人数になります。これからも伝統の舞を守り続けて行って下さい、大変ご苦労様でした。
蔵の街・ポカポカ陽気に誘われて本日も街なかへ、午後から駅前で彼岸獅子に遇いました、大勢の市民や観光客の皆さんが、まだか・まだか・と待ちかねていました、夫々にカメラを持って、私も数枚写して来ましたが相手が動体なのでなかなか旨くいきません。明日が最後です。小田付の蔵通りです。もう一度写してきます。街なかは観光客の皆さんが大勢散策してました、私は車でなく自転車か徒歩ですのでよく声を掛けられます、駅前大通でマップを見ながら歩いている若い男女の方に声を掛けられました。「街の人ですか?」「ハイそうです」・・「元祖喜多方ラーメンと書いてありますけど何処でしょうか?」「すぐ先の信号の手前右側です」「二時間ぐらいで見て歩くと何処がいいでしょうか?」と聞かれましたので、マップに印を付けて歴道を勧め酒蔵から歩くコースを説明して上げました。JRを利用して来るお客さんが大勢います。駅の案内所へ寄って来ましたが数組のお客様が見えてました、本日の当番のSさん笑顔で親切にそして丁寧に大変手際よく案内をしてました。これからいよいよ観光シーズン到来です。皆さんも蔵の街喜多方へ是非お出で下さいお待ちしてます。