蔵の街・喜多方から、市内北町の満福寺墓地の大けやきの下にひっそりと立つ旧会津藩士の墓がある、部下を置きざりにしたとして非難をうけた白虎隊二番隊長、日向内記の墓石である、喜多方でもこれを知る人は少ないが、四年程前まで仙台の小学校の修学旅行コースに入っていて、子供達が墓参りをしていたという。・・・これは市内の富田国衛氏の戊辰のゆかりを訪ねて、碑を偲ぶよりの引用ですが、確かに仙台の小学生が墓参りに訪れていました。
本日私は新宮熊野神社の「長床」までお客様を案内して行ってきました。帰りに満福寺へ寄って住職様にお話を伺ってきました。でも仙台の?T様にお応えできるような詳しい事は分かりませんでした。お寺には記録は残っていないそうです。
でもその小学校が複数年度にわたり数回訪れているそうです。 目的が日向家墓地ではなく、コースの中に組み入れてあったと考えた方が良いとのことです。ではなぜ?・・と考えるのですが当事者に聞くのが一番ですが、これも憶測です、
校長先生か、又は担当の先生が会津藩ゆかりの方であった、喜多方の人であった。と考えるしかないようです。
私も二年前まで、日向家のお墓が満福寺に在ることを全く知りませんでした。JRさんの駅からウォーキングで京浜地区や仙台そして県内各地から、100名余りの方が集い真夏に6キロほどのウォーキングをしながら市内の史跡巡りをします。そのコースに日向家の墓石があり事前の研修で覚えました。このウォーキングは毎年行われますから是非次年度に参加してください。
本日私は新宮熊野神社の「長床」までお客様を案内して行ってきました。帰りに満福寺へ寄って住職様にお話を伺ってきました。でも仙台の?T様にお応えできるような詳しい事は分かりませんでした。お寺には記録は残っていないそうです。
でもその小学校が複数年度にわたり数回訪れているそうです。 目的が日向家墓地ではなく、コースの中に組み入れてあったと考えた方が良いとのことです。ではなぜ?・・と考えるのですが当事者に聞くのが一番ですが、これも憶測です、
校長先生か、又は担当の先生が会津藩ゆかりの方であった、喜多方の人であった。と考えるしかないようです。
私も二年前まで、日向家のお墓が満福寺に在ることを全く知りませんでした。JRさんの駅からウォーキングで京浜地区や仙台そして県内各地から、100名余りの方が集い真夏に6キロほどのウォーキングをしながら市内の史跡巡りをします。そのコースに日向家の墓石があり事前の研修で覚えました。このウォーキングは毎年行われますから是非次年度に参加してください。