
蔵の街・喜多方から、素晴らしい晴天に恵まれて桜ウォークが盛大に行われました。参加人員は明日の新聞に写真と共に掲載されると思いますのでご覧下さい。
今までの最高人員を記録したはずです。しだれ桜の並木道も満開の桜でした。
私は午前と午後の二回にわたり、中ほどをお客様と共に歩きました。朝はJTB名古屋のお客様「エッ、このしだれ桜が3KMもつづくの!!」とビックリしてました。
午後からは福島市のお客様「もっと先まで行きたい!」と言ってましたが、それぞれ時間で切り上げました。
久しぶりに、お客様のご希望で市内関柴町の中善寺(ちゅうぜんじ)へ行ってきました。本日の画像の「木造薬師如来坐像」が安置してあります。「国の重要文化財」に指定されています。これぞ喜多方を代表する仏像の一つです。
中善寺は真言宗の寺で山号は関堂山といいます。開基、開山については不詳ですが、延命地蔵菩薩を本尊としますが、境内に薬師堂があります、現在は更に新しい薬師堂が建立され、画像の薬師如来坐像をはじめ日光・月光両菩薩や12神将が安置されています。
薬師如来の像内に修理の墨書銘があり、これによって過去の修理がわかります。
延慶3年(1310)忍阿上人創業也とあります。薬師如来坐像はヒノキ材で・割り矧ぎ造り・彫眼・漆箔・内刳(ないこく、内側をえぐる)像根幹部の構造も各部で割り矧ぎしてありますが、表面は麻布貼りとして錆漆で固め、漆箔を施す本格的な仕上げで、平安時代後期の典型的な、仏師 定朝 の創始した定朝様の作例で、穏和で優美な造形で、螺髪は粒が小さく整えられ、円満な顔貌は優しさに溢れています。体躯は極力量感を抑制し、両肩から、胸、腹部の肉付けは穏やかであり、衣の襞も彫りだしも浅く、細かく、流れるように体躯をめぐっている、平安貴族が好んだ仏像の作風なそうです。このような優雅で、洗練された造形は、この地方のもではなく、この像は京都でつくられ、当地にもたらされたものと考えられるそうです。
いつ頃、当地にもたらされたかが問題になるが、修理銘にある延慶3年は薬師如来像の再興の年であり、このことはこの年に京都よりこの像がもたらされ、中善寺、あるいは薬師堂が創建されたと解したものとかんがえられる。おそらくこの年に、この像が京都より当地に到着し、修復がくわえられたか、修復が完了して当地にもたらされたものであろうと言うことです。いづれにしても700年前のことです。
中善寺も中興・再興・頽廃をくりかえします。寛永4年(1707)にも薬師如来・日光・月光両菩薩および十二神将の修理を行ってます。
中善寺薬師如来の拝顔には前もっての連絡申し込みが必要です。喜多方観光協会へお尋ねください。℡ 0241-24-5200です。
今までの最高人員を記録したはずです。しだれ桜の並木道も満開の桜でした。
私は午前と午後の二回にわたり、中ほどをお客様と共に歩きました。朝はJTB名古屋のお客様「エッ、このしだれ桜が3KMもつづくの!!」とビックリしてました。
午後からは福島市のお客様「もっと先まで行きたい!」と言ってましたが、それぞれ時間で切り上げました。
久しぶりに、お客様のご希望で市内関柴町の中善寺(ちゅうぜんじ)へ行ってきました。本日の画像の「木造薬師如来坐像」が安置してあります。「国の重要文化財」に指定されています。これぞ喜多方を代表する仏像の一つです。
中善寺は真言宗の寺で山号は関堂山といいます。開基、開山については不詳ですが、延命地蔵菩薩を本尊としますが、境内に薬師堂があります、現在は更に新しい薬師堂が建立され、画像の薬師如来坐像をはじめ日光・月光両菩薩や12神将が安置されています。
薬師如来の像内に修理の墨書銘があり、これによって過去の修理がわかります。
延慶3年(1310)忍阿上人創業也とあります。薬師如来坐像はヒノキ材で・割り矧ぎ造り・彫眼・漆箔・内刳(ないこく、内側をえぐる)像根幹部の構造も各部で割り矧ぎしてありますが、表面は麻布貼りとして錆漆で固め、漆箔を施す本格的な仕上げで、平安時代後期の典型的な、仏師 定朝 の創始した定朝様の作例で、穏和で優美な造形で、螺髪は粒が小さく整えられ、円満な顔貌は優しさに溢れています。体躯は極力量感を抑制し、両肩から、胸、腹部の肉付けは穏やかであり、衣の襞も彫りだしも浅く、細かく、流れるように体躯をめぐっている、平安貴族が好んだ仏像の作風なそうです。このような優雅で、洗練された造形は、この地方のもではなく、この像は京都でつくられ、当地にもたらされたものと考えられるそうです。
いつ頃、当地にもたらされたかが問題になるが、修理銘にある延慶3年は薬師如来像の再興の年であり、このことはこの年に京都よりこの像がもたらされ、中善寺、あるいは薬師堂が創建されたと解したものとかんがえられる。おそらくこの年に、この像が京都より当地に到着し、修復がくわえられたか、修復が完了して当地にもたらされたものであろうと言うことです。いづれにしても700年前のことです。
中善寺も中興・再興・頽廃をくりかえします。寛永4年(1707)にも薬師如来・日光・月光両菩薩および十二神将の修理を行ってます。
中善寺薬師如来の拝顔には前もっての連絡申し込みが必要です。喜多方観光協会へお尋ねください。℡ 0241-24-5200です。
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