日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

私も、緊張しました。

2006-09-06 18:20:10 | Weblog
  紀子さんに、無事、待望の男児が生まれた。出生時体重2.558g、身長48.8cm。今日は、テレビは、朝から、それ一色って感じで、日本全国、お祝いムードだ。
 女女男なので、一層、嬉しいだろう。天皇陛下も、北海道にいて、車の中で、心底から嬉しそうな顔をされていた。
 秋篠宮、生まれる前の顔、緊張していた。皆、父親たるもの、同じなのだ。その時の心境を思い出した。
 第一子は、大学勤務時代、都農町立病院に出張していた時に、生まれた。早朝、医局長から、言葉少なく、「田原君、女の子だよ。元気だよ」と電話連絡があった。宮医大の産婦人科に帰ってみると、8人ほどの新生児がそこにいたが、一人だけ、保育器に入っている子がいて、それが、我が子であった。口をポカンと開けていて、色の黒い、2360gの女の子であった。
 第二子は、骨盤位で、帝王切開で生まれるはずであったが、院長が手洗いをしている時に、手術室で、生まれた。生まれた時、逆子の為、E.T.みたいな顔で、これでまともな女の娘の顔になるのだろうかと、ひどく心配したものである。
 第三子は、家内が、22時過ぎに、「まだだと思うけど、ひょっとしたら、生まれるかも知れないから」と言いだし、西田病院に電話すると、直ぐに来て下さいと言われ、行った後、全く連絡がなく、0時過ぎに、助産師さんから、「坊ちゃんですよ、先生、見に来て!」と言われたが、子どもが家に二人もいて、身動きが出来ない。この日に限って、両親のいる家に電話するも、深夜、ずっと通じず(6時過ぎにやっと通じて)、しばらくして、病院に行くと、手足の細い、二重まぶたの、口元の引き締まった、ほっそりした感じの、ハンサムな、色の白い、3.270gの男児であった。
 生まれる前、秋篠宮と同じ感じで、緊張していた。いや、家内が3番目を妊娠してから、ずっと緊張していたと思う。一人目が、小さく、二人目が骨盤位であったので、三番目に、何があっても不思議でない感じがしていた。沢山の奇形児を見てきている関係で、その心配が、日毎に、大きくなっていた。もしも、ハンディを負った子であっても、自分の子であるからして、しっかりと育て様と思って、待っていたのだ。男女の区別など、どうでも良かった。そして、生まれて来た子が、元気で、立派な姿だった為に、思わず、笑顔が出た。

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男か女か

2006-09-06 05:41:35 | Weblog
 秋篠宮家第3子が、今日の午前中に、愛育病院で生まれる。秋篠宮家では、3番目の子。多くの人が、男児と期待している。
 皇室の場合、男児が生まれるとしたら、41年振りだ。女系にするか、男系ににするか、小泉さんも、皇室典範の改正に意気込んでいたが、紀子さんが懐妊したとたん、嘘の様に、トーンが落ちてしまった。
 紀子さん、妊娠37週目に入り、部分前置胎盤な為、安全をとって帝王切開をされるさそうだが、さぞかし、男児だと、将来の天皇陛下になるだけに、スタッフも、緊張するだろうなあ。
 今まで、男女、どちからとのことで、いろんなケースを見てきている。
 一人目男、二人目男、次も男となると、父親、礼の言葉も少なく、笑顔も少ない。しかし、一人目女、二人目女、最後が、男となると、「バンザーイ」何て言って、その喜び様は、想像以上である。
 一人目女、二人目女で、三人目も女と、超音波で判断が付いていると、父親、仕事で来ていない(一人目と二人目は、しっかりと、仕事を休んで来ていたのに)。
 一人目女、二人目女で、次は、双胎で、初めに、女児が出て来た。まだ、一人いるのに、お母さん、りきむ元気がなくなってしまった。やっと、気を取り戻して、産んだ双胎のも一人は、男であった。母親、涙を流して喜んでいた。
 こんなに、生まれる時から、差があっていいのかなと思う。その気持ちを、生まれてくる子ども達は、言わないだけで、しっかりと感じ取っていると思う。
 私の子どもの場合、一人目は、女児、次も女児、で、三人目、自分としては、どちらでも良かったのだが、周りは、どうしても男児が欲しいって感じになっていた。で、その為の知恵を、母が、家内に授けていたみたいだが、・・・結果的に、男であり、周りの反応は、大きかった。と言うのも、私の両親の孫10人の内、一番初めが男で、次から、皇室みたいな感じで、ずっと9人目まで、女が続いていたから。
 私の息子は、母の住んでいる家に行くと、まず、線香をあげる。で、母は、「この子は、神様が授けてくれた子、何も言わなくても、真っ先に線香をあげる孫は、この子だけ」何て言って(他の孫も、同じことをしていると思うのだが)、喜んでいる。で、息子も、母が作った料理を食べて、「おばあちゃんの作ったのは、世界一おいしい」何て言って、母を喜ばせている。
 中医学では、妊娠初期に、脈診で、滑脈(子どもでは、頻回にある)となり、それに左右差があって、それで、男女の区別が、ある程度わかるとも言われている。超音波が発達して、高い確率で、男か女かが、わかる。ある国では、女であれば、妊娠初期で、命を絶たれるケースもあると聞く。
 しかし、ここの産科の先生、生まれるまでは、どちらか、自分から言うことは、決してしないし、積極的に教えない。それが、正解だと思う。子どもは、神聖なものであるからして、男女で、親の寵愛に差があってはいけないと思う。
 私の場合、両親は、男男女で、次は、女であって欲しかった様だ。経済的なことで、余り欲しくなく、妊娠中も、どうするか悩んでいた様だが、父親の一言「せっかくだから、産んだら」とのことで、私が生まれた様だ。父は、正に、私の命の恩人で、父が亡くなった時は、何度も、涙した。
 母は、次の子は、もう、生まれない様にと、卵管を結んでしまった。又、母の母乳が沢山出る為に、隣の家の子(その母親の母乳がでなかったので)と一緒に、私は、飲んでいたとのこと。
 私が医学部に合格した時、長兄は、母に言った(今でも、私は、はっきりと覚えている)、「お母さん、産んでて良かったなあ」と。

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