紀子さんに、無事、待望の男児が生まれた。出生時体重2.558g、身長48.8cm。今日は、テレビは、朝から、それ一色って感じで、日本全国、お祝いムードだ。
女女男なので、一層、嬉しいだろう。天皇陛下も、北海道にいて、車の中で、心底から嬉しそうな顔をされていた。
秋篠宮、生まれる前の顔、緊張していた。皆、父親たるもの、同じなのだ。その時の心境を思い出した。
第一子は、大学勤務時代、都農町立病院に出張していた時に、生まれた。早朝、医局長から、言葉少なく、「田原君、女の子だよ。元気だよ」と電話連絡があった。宮医大の産婦人科に帰ってみると、8人ほどの新生児がそこにいたが、一人だけ、保育器に入っている子がいて、それが、我が子であった。口をポカンと開けていて、色の黒い、2360gの女の子であった。
第二子は、骨盤位で、帝王切開で生まれるはずであったが、院長が手洗いをしている時に、手術室で、生まれた。生まれた時、逆子の為、E.T.みたいな顔で、これでまともな女の娘の顔になるのだろうかと、ひどく心配したものである。
第三子は、家内が、22時過ぎに、「まだだと思うけど、ひょっとしたら、生まれるかも知れないから」と言いだし、西田病院に電話すると、直ぐに来て下さいと言われ、行った後、全く連絡がなく、0時過ぎに、助産師さんから、「坊ちゃんですよ、先生、見に来て!」と言われたが、子どもが家に二人もいて、身動きが出来ない。この日に限って、両親のいる家に電話するも、深夜、ずっと通じず(6時過ぎにやっと通じて)、しばらくして、病院に行くと、手足の細い、二重まぶたの、口元の引き締まった、ほっそりした感じの、ハンサムな、色の白い、3.270gの男児であった。
生まれる前、秋篠宮と同じ感じで、緊張していた。いや、家内が3番目を妊娠してから、ずっと緊張していたと思う。一人目が、小さく、二人目が骨盤位であったので、三番目に、何があっても不思議でない感じがしていた。沢山の奇形児を見てきている関係で、その心配が、日毎に、大きくなっていた。もしも、ハンディを負った子であっても、自分の子であるからして、しっかりと育て様と思って、待っていたのだ。男女の区別など、どうでも良かった。そして、生まれて来た子が、元気で、立派な姿だった為に、思わず、笑顔が出た。
女女男なので、一層、嬉しいだろう。天皇陛下も、北海道にいて、車の中で、心底から嬉しそうな顔をされていた。
秋篠宮、生まれる前の顔、緊張していた。皆、父親たるもの、同じなのだ。その時の心境を思い出した。
第一子は、大学勤務時代、都農町立病院に出張していた時に、生まれた。早朝、医局長から、言葉少なく、「田原君、女の子だよ。元気だよ」と電話連絡があった。宮医大の産婦人科に帰ってみると、8人ほどの新生児がそこにいたが、一人だけ、保育器に入っている子がいて、それが、我が子であった。口をポカンと開けていて、色の黒い、2360gの女の子であった。
第二子は、骨盤位で、帝王切開で生まれるはずであったが、院長が手洗いをしている時に、手術室で、生まれた。生まれた時、逆子の為、E.T.みたいな顔で、これでまともな女の娘の顔になるのだろうかと、ひどく心配したものである。
第三子は、家内が、22時過ぎに、「まだだと思うけど、ひょっとしたら、生まれるかも知れないから」と言いだし、西田病院に電話すると、直ぐに来て下さいと言われ、行った後、全く連絡がなく、0時過ぎに、助産師さんから、「坊ちゃんですよ、先生、見に来て!」と言われたが、子どもが家に二人もいて、身動きが出来ない。この日に限って、両親のいる家に電話するも、深夜、ずっと通じず(6時過ぎにやっと通じて)、しばらくして、病院に行くと、手足の細い、二重まぶたの、口元の引き締まった、ほっそりした感じの、ハンサムな、色の白い、3.270gの男児であった。
生まれる前、秋篠宮と同じ感じで、緊張していた。いや、家内が3番目を妊娠してから、ずっと緊張していたと思う。一人目が、小さく、二人目が骨盤位であったので、三番目に、何があっても不思議でない感じがしていた。沢山の奇形児を見てきている関係で、その心配が、日毎に、大きくなっていた。もしも、ハンディを負った子であっても、自分の子であるからして、しっかりと育て様と思って、待っていたのだ。男女の区別など、どうでも良かった。そして、生まれて来た子が、元気で、立派な姿だった為に、思わず、笑顔が出た。