日本の心・さいき

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ある出来事

2006-09-12 07:23:37 | Weblog
 飲みに、S先生と行った。何故、今、大学を出ようと思う様になったのかを言った。・・・人を本当に説得する手段としては、行動しかない。永くいれば、腕が落ちそうにあるし(専門馬鹿になる)、大学人になり切れば、人間的に駄目になりそうな気がする。自分の信じる道に進みたい。
 以上は、自分が大学を去ることを決意し、その事で、S先生と飲みに出た時に書いた内容の一部(昭和54年6月27日)である。
 S先生は、その時、医局長だった。

 「一人で、そんな救急病院に行っても、苦労する。出なけりゃ良かったと後で後悔する。国内留学には、もうすぐ行けるし、出るにしても、論文を書いて、ティーテル(博士号)を取って、そして出れば、いい所があるし、・・・」
 「もう、決めましたので、佐伯に帰ることを」と、私は言った。
 ・・・・・
「もう、決めてしまったのか、・・・、そしたら、仕方ないなあ・・・」
 ・・・・・

 この時、「トムの樹」というスナックで飲んで、二人とも、グデングデンに酔って、翌朝、すごく頭が痛かったことを覚えている。

 それから、がむしゃらに西田病院で働き、数年経って、S先生(小児循環器の専門医で、宮医大がオープンする前に、東京女子医大に1年半いて、心エコーを得意とし、宮医大では、先生と一緒に心カテをし、循環器に関しては、私は、非常によく教えて頂いた)は、大学を去り、ある公的な病院の医長となられた(現在は、開業しておられる)。
 宮崎での学会に行くと、いつも、何か自分に言いたそうな素振りを見せていた。大学を去ったS先生には、医局長時代の威圧さはなく、何となく、柔らかくなった感じに思えていた。機会があって、学会の懇親会の後に二次会に行くことになり、S先生の隣に座った(S先生が、意図的に自分の隣に来たが)。
 「田原先生、先生にいつか言おう言おうと思ってきた。あの時、二人で、グデングデンに飲んで酔った時のこと、あんな言い方をしなければ良かったとずっと思ってきた。・・・田原先生が、大人だったよ。あれから自分も大学を去り、やっとよく分かるようになった。医者なんて、臨床が一番大事。患者さんを大切にしてこそ、医者。臨床が出来なくて、何で、医者か。臨床がちゃんと出来て、そして、余力のある人が研究をすればいい。それも、臨床に直接役に立つ研究を。・・・あの時、もっといい言い方をすればよかった。そのことで、ずっと気にしてきた。すまんかった」と、頭を下げて言われた。
 その時、私は、S先生が、とても素晴らしい、人間味溢れる先生に思えてならなかった。
 「いいえ、僕は、何も気にしていませんでした。気になさらないで下さい」と、私は言った。
 学会で会うと、「田原君、まだ頑張ってるなあ。体こわさんように」と、いつも言ってくれる。

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