平成18年9月16日(土)、「NHKの課外授業」の番組(再放送?)で、プロの有名な太鼓ドラマー「ヒダノ修一」(太鼓の講習会で、彼の演奏を直に聞いたことがあり、私の演奏でも、ヒダノ修一のバチを使って打っている)演奏者が、横浜市立矢沢小学校6年1組の生徒に、太鼓を教えていた。
「悲しい」、「楽しい」、「怒っている」、その3つの感情を、太鼓演奏で表現させ、又、俳句(575)を各自に作らせて、その気持ちも、太鼓演奏で表現させていた。
この学校、27年間の歴史を今年の3月4日に、閉じることになった(閉校式)。その前日に、全校生徒の前で、クラスの皆が、ヒダノ修一指導の下で、太鼓の演奏を披露した。
演奏後の子ども達の感想は、「初めは、つらかったが、楽しかった」、「自分の気持ちを太鼓で伝えることが出来た」「又、したい」などであった。
それと同じ様なことを、私も、経験させてもらっている。
今から5年前、大川市の教育委員会から、特別非常勤講師に任命されて、1年間、大川市立道海島小学校の小学4年生~6年生に、「篠笛と和太鼓(盆踊りを含む)」を教えた。
そこで、私は、多くのことを学んだ。又、そこの学校の先生方も、多くのことを学び、そのことで、研究発表までしている。つまり、太鼓で、学校全体の雰囲気が、明るくなり、はっきりと変わったのである。
具体的には、一人一人が、まず、積極的になり、授業中、よく発表する様になった。よく挨拶する様になり、礼儀正しくなり、又、チームワークを大切にし、お互いに思いやる気持ちが生まれた。そして、何よりも各児童が、自信を持ち、アチコチで演奏したくて仕方ない状態にまでなった。
その学校は、大川市のはずれにあり、大川市の小学校の中でも、生徒数が一番少なく、6年生が、12名(その後、新興住宅地な為に、学年が下がるに従って、児童数が増えて行ったが)。
校長先生は、それ等の子どもをまとめるには、児童全てに「太鼓」をと思い付いたのである。そして、ある市会議員を通じて、私に依頼が来た。
矢沢小学校とは逆に、道海島小学校では、立派なの体育館の落成式があり(そこで、太鼓の練習をした)、国会議員さんや市長さんや議員さんが沢山来られていた。その祝賀会で、演奏を依頼され、てっきり、他にもいろんな人の演奏があるのだろうと思っていたが、自分だけで、それも、酒の入る前での演奏だった。シーンとした中、何故か、全く上がることなく、自分で満足出来る程に演奏が出来、その時、この子ども達の為に、頑張ろうとの強い意思を持った。
まず、太鼓の購入に関しては、篤志家の援助があり、又、あるルートで、安く購入できた。プラスチックの横笛は、全員に買ってもらった。そして、市報で、一般の人も募集して、「道海太鼓」なる大人と子どもが一緒になったチームを、学校と関係ない時間帯で練習することで、立ち上げた。
平成13年4月から始めた。6月頃、生徒にアンケートを取った。それによれば、「楽しくて続けたい」と、「きついから、出来たら止めたい」の意見が、ほぼ半々であった。学校での総合学習の一環では、生徒は、好き嫌いに関係なく、全て、受けざるを得ないことになっていた。しかし、時間外の道海太鼓チームとしての練習は、自由参加であった。兎に角、夏の大川市民総盆踊り大会に間に合わせる為に、頻回に練習を重ねた。
そして、その市民総盆踊り大会の時、夏に一生懸命に練習してきた子ども達が、自分と一緒にカッコ良く、打てたのである。大人から絶賛された。練習を余りして来なかった子どもの前で。
それからである、太鼓がいやで、余り乗り気に打って来なくて、市民総盆踊り太鼓に参加できなかった子ども達が、目の色を変えて、練習に励む様になったのは(校長先生の談話)。二学期からは、太鼓演奏で、誰一人、嫌がる子はいなくなった。
市民総盆踊り大会だけでなく、老人施設への慰問や、秋の体育際や、10月初めにあった大川市最大の祭りである「大川木工祭り」、卒業式など、子ども達は、大いに活躍し、大拍手をどこでも受けた。お年寄りが、涙を流して喜んでくれたことで、子ども達は、大いに燃えた。
夏の市民総盆踊り大会だけでなく、秋の体育際や木工祭りでは、子ども達と一緒になって、私も楽しく演奏した。
今でも、まだ、私の創った「個性と調和」の太鼓の曲を、道海島小学校の子ども達は、そのまま演奏し、又、市民総盆踊り大会の時にも、毎年、盆踊り太鼓を打っている。
学校までの送り迎えを、そこの学校の先生方からよくして頂いたが、その時、担当の男の先生が、深刻そうな顔をして、次に様に言ったことがあった。
「田原先生、一つだけ、心配なことがあるんですが」と言う。「何ですか?」と聞くと、「生徒から、馬鹿にされてないかと、ヒヤヒヤしています。生徒の方が、覚えがいいので・・・」と言われた。私は、「子どもが覚えがいいのは、当たり前です。子どもは、天才ですから」と私は言った。
又、別の担当の女の先生から、次の様に言われた、「私達が注意しても、なかなか、聞かない。しかし、田原先生が話す時、皆、真剣に聞いている。どうししてですかネ」。私は、言った、「小学校4年生になると、自分よりも出来る人を尊敬する傾向にあるんですヨ。それまでは、一緒に遊んでいれば、それだけで、充分なんですが。小学校4年生になると、生徒以上にはっきり出来ることをしばしば見せる事が必要と思います」と言った。
私は、生徒の前で、決して叱らなかった。「素晴らしい、覚えがいい」、そして、訂正すべき時は、「それでもいいけど、こうした方が、もっといいかな」。何度しても出来ない時は、「簡単に出来そうで、出来ないのが太鼓。練習すれば、必ず、出来る様になる」。そして、時々言った、「練習は、本番、本番は、練習」。「上手になる人と下手な人の違いは、一つしかない、それは、出来る人は、皆の見てない所で、一生懸命に努力している。そこの差。ここの練習時間は、限られているから、大したことない」と。
教師たる者は、その楽しさと、努力すれば、どんな人も、必ず、上手になることを出来るだけ早めに気付かせることが大切だと思う。
長女(アメリカの高校・大学を卒業して、現在、カイロプラクターになる為に、大学院に通っている)が、次に様に言ったことがあった、「あんなに(高校の)先生から誉められれば、生徒、頑張るよな。アメリカの先生って、誉めるのが上手、噂に聞いてはいたが、これ程とは。どの先生も」と。
又、アメリカから来た人が言っていた、「中学の部活を見て、先生が厳しく叱っているのを見て、初め、ここは、軍隊かと思った」とのこと。
子どもは、天才である。横笛も、とても上手になった子が何人かいた。子どもは、直ぐに、覚える。大人よりも、遥かに、覚えがいい。その集中力は、凄い。子どもって、集中力のない子何か、いないのではと思う。集中力が出ないのは、興味が沸かないからだ。今からの時代、子どもに、人から喜んでもらえることを沢山経験させるべきだと思う(実体験が大切)。大脳生理学的に、10歳~12歳の間に、しておくべきだと思う。
「悲しい」、「楽しい」、「怒っている」、その3つの感情を、太鼓演奏で表現させ、又、俳句(575)を各自に作らせて、その気持ちも、太鼓演奏で表現させていた。
この学校、27年間の歴史を今年の3月4日に、閉じることになった(閉校式)。その前日に、全校生徒の前で、クラスの皆が、ヒダノ修一指導の下で、太鼓の演奏を披露した。
演奏後の子ども達の感想は、「初めは、つらかったが、楽しかった」、「自分の気持ちを太鼓で伝えることが出来た」「又、したい」などであった。
それと同じ様なことを、私も、経験させてもらっている。
今から5年前、大川市の教育委員会から、特別非常勤講師に任命されて、1年間、大川市立道海島小学校の小学4年生~6年生に、「篠笛と和太鼓(盆踊りを含む)」を教えた。
そこで、私は、多くのことを学んだ。又、そこの学校の先生方も、多くのことを学び、そのことで、研究発表までしている。つまり、太鼓で、学校全体の雰囲気が、明るくなり、はっきりと変わったのである。
具体的には、一人一人が、まず、積極的になり、授業中、よく発表する様になった。よく挨拶する様になり、礼儀正しくなり、又、チームワークを大切にし、お互いに思いやる気持ちが生まれた。そして、何よりも各児童が、自信を持ち、アチコチで演奏したくて仕方ない状態にまでなった。
その学校は、大川市のはずれにあり、大川市の小学校の中でも、生徒数が一番少なく、6年生が、12名(その後、新興住宅地な為に、学年が下がるに従って、児童数が増えて行ったが)。
校長先生は、それ等の子どもをまとめるには、児童全てに「太鼓」をと思い付いたのである。そして、ある市会議員を通じて、私に依頼が来た。
矢沢小学校とは逆に、道海島小学校では、立派なの体育館の落成式があり(そこで、太鼓の練習をした)、国会議員さんや市長さんや議員さんが沢山来られていた。その祝賀会で、演奏を依頼され、てっきり、他にもいろんな人の演奏があるのだろうと思っていたが、自分だけで、それも、酒の入る前での演奏だった。シーンとした中、何故か、全く上がることなく、自分で満足出来る程に演奏が出来、その時、この子ども達の為に、頑張ろうとの強い意思を持った。
まず、太鼓の購入に関しては、篤志家の援助があり、又、あるルートで、安く購入できた。プラスチックの横笛は、全員に買ってもらった。そして、市報で、一般の人も募集して、「道海太鼓」なる大人と子どもが一緒になったチームを、学校と関係ない時間帯で練習することで、立ち上げた。
平成13年4月から始めた。6月頃、生徒にアンケートを取った。それによれば、「楽しくて続けたい」と、「きついから、出来たら止めたい」の意見が、ほぼ半々であった。学校での総合学習の一環では、生徒は、好き嫌いに関係なく、全て、受けざるを得ないことになっていた。しかし、時間外の道海太鼓チームとしての練習は、自由参加であった。兎に角、夏の大川市民総盆踊り大会に間に合わせる為に、頻回に練習を重ねた。
そして、その市民総盆踊り大会の時、夏に一生懸命に練習してきた子ども達が、自分と一緒にカッコ良く、打てたのである。大人から絶賛された。練習を余りして来なかった子どもの前で。
それからである、太鼓がいやで、余り乗り気に打って来なくて、市民総盆踊り太鼓に参加できなかった子ども達が、目の色を変えて、練習に励む様になったのは(校長先生の談話)。二学期からは、太鼓演奏で、誰一人、嫌がる子はいなくなった。
市民総盆踊り大会だけでなく、老人施設への慰問や、秋の体育際や、10月初めにあった大川市最大の祭りである「大川木工祭り」、卒業式など、子ども達は、大いに活躍し、大拍手をどこでも受けた。お年寄りが、涙を流して喜んでくれたことで、子ども達は、大いに燃えた。
夏の市民総盆踊り大会だけでなく、秋の体育際や木工祭りでは、子ども達と一緒になって、私も楽しく演奏した。
今でも、まだ、私の創った「個性と調和」の太鼓の曲を、道海島小学校の子ども達は、そのまま演奏し、又、市民総盆踊り大会の時にも、毎年、盆踊り太鼓を打っている。
学校までの送り迎えを、そこの学校の先生方からよくして頂いたが、その時、担当の男の先生が、深刻そうな顔をして、次に様に言ったことがあった。
「田原先生、一つだけ、心配なことがあるんですが」と言う。「何ですか?」と聞くと、「生徒から、馬鹿にされてないかと、ヒヤヒヤしています。生徒の方が、覚えがいいので・・・」と言われた。私は、「子どもが覚えがいいのは、当たり前です。子どもは、天才ですから」と私は言った。
又、別の担当の女の先生から、次の様に言われた、「私達が注意しても、なかなか、聞かない。しかし、田原先生が話す時、皆、真剣に聞いている。どうししてですかネ」。私は、言った、「小学校4年生になると、自分よりも出来る人を尊敬する傾向にあるんですヨ。それまでは、一緒に遊んでいれば、それだけで、充分なんですが。小学校4年生になると、生徒以上にはっきり出来ることをしばしば見せる事が必要と思います」と言った。
私は、生徒の前で、決して叱らなかった。「素晴らしい、覚えがいい」、そして、訂正すべき時は、「それでもいいけど、こうした方が、もっといいかな」。何度しても出来ない時は、「簡単に出来そうで、出来ないのが太鼓。練習すれば、必ず、出来る様になる」。そして、時々言った、「練習は、本番、本番は、練習」。「上手になる人と下手な人の違いは、一つしかない、それは、出来る人は、皆の見てない所で、一生懸命に努力している。そこの差。ここの練習時間は、限られているから、大したことない」と。
教師たる者は、その楽しさと、努力すれば、どんな人も、必ず、上手になることを出来るだけ早めに気付かせることが大切だと思う。
長女(アメリカの高校・大学を卒業して、現在、カイロプラクターになる為に、大学院に通っている)が、次に様に言ったことがあった、「あんなに(高校の)先生から誉められれば、生徒、頑張るよな。アメリカの先生って、誉めるのが上手、噂に聞いてはいたが、これ程とは。どの先生も」と。
又、アメリカから来た人が言っていた、「中学の部活を見て、先生が厳しく叱っているのを見て、初め、ここは、軍隊かと思った」とのこと。
子どもは、天才である。横笛も、とても上手になった子が何人かいた。子どもは、直ぐに、覚える。大人よりも、遥かに、覚えがいい。その集中力は、凄い。子どもって、集中力のない子何か、いないのではと思う。集中力が出ないのは、興味が沸かないからだ。今からの時代、子どもに、人から喜んでもらえることを沢山経験させるべきだと思う(実体験が大切)。大脳生理学的に、10歳~12歳の間に、しておくべきだと思う。