日本の心・さいき

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大切な小児の救急医療

2006-09-09 14:45:11 | Weblog
昭和55年(1980年)11月4日(火)の大分合同新聞に記載された内容(原文のまま)。

 大分県医師会による第43回大分県医学会が、このほど大分市の県医師会館で開かれました。そのなかでは佐伯市、西田病院小児科の田原正英医師が、ことし4月から9月末までに扱った小児の救急患者の例をまとめ「小児の救急医療について」を発表しました。診療時間外のいわゆる救急患者のなかでは小児が一番多いといわれ、県下でも公的な”小児救急センター”の設置が望まれていますが、まだ実現していません。この点、田原医師は「ともかく県南地域の小児の死亡を一人でも減らしたいという考えから、この六カ月間”24時間診療”でがんばってきた」と発表しました。田原医師の発表要旨水を紹介してみましょう。

乳児が全体の24%、・・・・(省略)


少なくない新生児
 ところで田原医師は、こうした一般の小児救急患者のほかに、新生児・未熟児の救急も手がけています。妊娠中に異常に気がついて、紹介患者として西田病院で出産した例や、産後すぐに搬送された例が多いそうですが、ときには、田原医師が携帯用の保育器をかかえて救急車で産院まで駆けつけたりもしています。これらによって、この六カ月間に扱った新生児・未熟児の救急入院患者は51人、決して少なくない数字です。
 病名は2500g未満の低出生体重児15人をトップに、特発性嘔吐症、重症仮死各4人、先天性肺炎、頭蓋内出血、脱水症、尿路感染症各3人などですが、なかには800g程度の超極小未熟児で呼吸障害のウィルソン・ミキッティー症候群を伴った例(2人)、1500g未満の極小未熟児で特発性呼吸窮迫症候群を伴った例(2人)なども含まれています。
 これら新生児・未熟児の救急はかなり難しく、数日間医師、看護婦がつきっきりになることがしばしばですが、その努力があって、死亡はこれまでわずか2例だけ。800g程度の未熟児も助かっています。
 これらの経験から田原医師は「新生児・未熟児の救命は一刻を争うわけで、これこそ”真の小児の救急”といえるのではないか」といいます。また、「この6カ月間の小児科の入院患者は194人だったが、そのなかでは診療時間外と、この新生児・未熟児の入院が合計で128人となり、入院の66%と、半数以上を占めている状況からすると、小児科の救急がいかに大切であるかがわかるのではなかろうか」とも発表しました。
 他県では、すでに小児の救急医療センター、あるいは新生児・未熟児の救急医療施設が設置されていますが、大分県はまだであり、立ち遅れています。この点を田原医師は、次のようにも訴えています。

本来なら行政で
 「私の場合、県南地域の小児、特に新生児の死亡を少しでも減らしたいと思ってがんばっているわけだが、本来ならこうした小児救急医療は行政レベルでやらなければいけないことだと思う。その際、行政側はスタッフの確保と採算を問題にするのだが、たとえば治療が遅れて障害が残った場合、国や県はその後、この子供に1億円近い費用をかけて面倒をみていかなければならないわけで、それだけのカネがあれば、新生児・未熟児を含む小児の救急医療センターをつくった方がより望ましく、大きくとらえると”十分に採算が合う”といえるのではないか。大分県でも、行政の責任で一刻も早くこうしたセンターを実現させてほしいと思う」。


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教育は、いつから始まる?

2006-09-09 12:03:22 | Weblog
ある人が、マカレンコ(教育者)に質問したことがある。
「子どもの教育は、いつ頃から始めたらいいのでしょうか?」と。
 この質問を読まれた各位は、どんなお考えで、いつ頃から始められているのでしょうか?」。
 A:小学校1年生から。
 B:幼稚園から。
 C:保育所から。
 D:乳児から。
 E:ゆりかごから。
 F:胎児から(胎教)。
 人によって、それぞれ異なったお考えで始められ、努められていると思います。
 マカレンコの答えは、予想以上にさかのぼっていた。
 「教育は、生まれる20年前から始めなければならない」と。
 これは、親から育てられ、成人して、新家庭を営むようになるまでの20年間が、やがて生まれてくるであろう子どもの教育を決定する、という意味を含んでいると思われる。(おおよそ、人間は、親から育てられた様に、その子を育てるものである)
 20年が、40年、60年、80年の教育ともなれば、子どもを教育するということは、孫を教育し、更に、ひ孫の教育へ作用して行くことにもなる。
 温かいきれいな心を持った両親からは、温かいきれいな子どもが育ち、その血は、次に流れて、世代の続く限り、きれいに流れて行くのと同じ様に、濁った心の両親からは、濁った血が渦を巻いて流れて行く。
 きれいな血と濁った血が交われば、濁った血の方が勢力を増すもので、これが現世の姿である。濁りが澄んできれいになるまでには、長い年月の苦労がいる。(白を黒に塗り変えるのは、易しいが、黒を白に塗り変えるのは、難しい)
 戦争時代、子どもまで戦争にかり込み、終戦後は、衣食住と知識偏重に全精力を消耗し、右往左往し、子どもの教育に自信と努力を怠った天罰が、60年後の今日に至って猛威をふるい、毎日、日本中のどこかで、世人を痛めつけている。因果の理で、この事実を誰も否定することは出来ないであろう。
 明治時代の先覚者福沢諭吉の精神は、明治の子である大正を経て、昭和の孫、平成のひ孫に引き継がれ、21世紀を迎えている現代っ児の乳となって、補給されている。
 これ等21世紀の我らのひ孫、更には、ひ々孫の世代を開発する為に、自分たちにのみ都合のいい人作りでなく、世界に誇り得る真の人作りを、お互いの力によって推し薦めて行きたいものである。

 ドイツの諺:「母親の全てのものが、その乳と共に、子どもの口に注ぎ込まれる」

*父(明治45年生)の遺稿を少し変えて、以上の記載の内容にしました。

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