歴史を紐解いて見れば、日本の大先生が、中国であることが、よく理解出来ます。弥生時代の中国と日本では、とても比較にならない位、全ての面で大きな差がありました。中国語、韓国語、日本語の漢字を実際に調べて見て下さい。その類似点から、漢字だけに注目すれば、親は中国で、韓国と日本は、兄弟に当たることが理解出来ます。
日本は、北から南まで、亜寒帯から亜熱帯まで、延々と3000Kmも続く、細長い国です。細長く続き、島から出来ている日本は、強い中央集権的な国家を昔から望んできてなく、日本全体が世界で、それぞれの地方がそれなりの国として、日本人に意識されて来たのではないでしょうか。
外国から攻められる心配をさほどしなくいいし、気候に恵まれて、四季折々の変化が富んでいます。そんな日本ですが、中国に対して、大きな劣等感を持っていたはずです。そういった条件が揃えば、長い年月の間には、自然と日本独特のものが生まれてきて当然だと思います。
狭い土地の面積で、資源の少ない農業国日本は、自然と人とが、上手に共生して生きて行かなければいけませんでした。米に対しての日本人の感覚は、独特です。米の出来高が、その地方の力を示していました。米は、水を利用し、水田の利用は、自然の生態系を実に上手に利用しています。農耕民族では、多くの人の手が要ります。
長が滅んだ時、その国が滅ぶ形となり、大規模な皆殺しは、国内では、行なわれませんでした。それがよく表現されているのが、日本の将棋だと思います。日本の将棋では、取った相手の駒が、直ぐに自分の駒として利用出来ます。この考えは、西洋のチェスなどにはなく、日本独特のル-ルと言われています。
日本人には、国際的な感覚がないとよく言われています。しかし、私は、必ずしもそうだとは、思いません。むしろ、逆に、日本ほど他の文化を容易に受け入れる国も珍しいのではないかとも思っています。そうは言いながらも、自分のアイデンティティとしてのものも、いつまで経っても失っていない国、それが日本だと思っています。
漢字から、日本独特の文字、平仮名と片仮名が生まれました。仏教が入って来ると、中国に負けまいとして、世界一大きな大仏様を奈良に作りました。東大寺にしても、当時は、東アジアでは最大の建物だったはずです。
日本の場合、正月には神道を、盆には仏教を、クリスマスにはキリスト教を、さほど不思議がることなく利用しています。それ以外にも、いろんな宗教があります。葬式の形式にしてもいろいろです。神棚と仏壇を両方持っている家は、今でも沢山あります。神様を信じていないと言っても、漁師さんの奥さんは、御主人さんが漁に出掛けた後に、海の神様に祈っていますし、大工さんにしても、風呂に入って、神様に祈って仕事に出掛けています。山の神様、試験の神様、商売の神様、日本には、神道とは言ってもいろんな神様がいます。「困った時の神頼み」って言葉があることを考えますと、都合によりいろんな神様をそれなりに奉っている感じがしないでもありません。
食事にしても、和食だけでなく、イタリア料理、フランス料理、中華料理と何でも可です。しかし、お米を食べないと、何か落ち着かないと言う日本人が多いのです。着る服は、洋服が多いと言っても、正月には日本の着物を着ようしますし、どの日本人も、日本の着物に対して高い評価をしています。
今、日本では、倫理の問題が深刻化しています。政治界にしても、その地域を良くする人しか、当選出来ません。政治が悪いと言う前に、それを選んだ選挙民の責任はどうなっているのでしょうか。医療界にしても、問題が山積しています。日本程、国民一人一人が、高いレベルで平等に医療を受けられる国は、世界でみると極めて数少ないはずなのですが、世間でのその評価は余り高くありません。急いで使用されるべきなのに、手続きの関係で保険がまだ使えなかったり、先進国で既に殆ど行われいてるインフルエンザ柑菌のワクチン接種が、まだ日本でされていなかったりもしています。
商売をする人にしても、抗生物質が大量に使用されていたり、農薬がふんだんに使用されていたり、見栄えのいい野菜や果物だけが高く売れたりしている場合も、あるのではないでしょうか。教育界にしても、真面目な先生ほど、悩んでいるケースが多いのではないでしょうか。
それ等の問題の台頭の原因の一つに、日本人の倫理観の欠如があると思います。シャンソン歌手の美輪宏明氏は、言っています、「その人が偉いかどうかは、国籍、肌の色、性別、年齢、学歴、職歴、体が不自由かどうか、そんなこと、一切関係ない。たった一つ、心がきれいかどうかの問題だけで決まる。心がきれいな人は、偉いんです」と。
作家の藤沢周平氏は、言っています、「日本人が人間として世界に通じるのは、江戸時代まで」と。江戸時代までは、どの家にも仏教の教えがありました。上杉謙信や徳川家康や徳川家光などの人には、必ずと言っていい程、偉いお坊さんが付いていました。偉い武将には、お坊さんが親友にいました。今の日本、国会議員、事務次官、知事、市長、大学教授の人に、親友として、立派な宗教家は、まず、いませんね。
明治維新以来、日本には、確固たる宗教がなくなってしまいました。それに代わるものとして、天皇陛下が、神様に奉り挙げられてしまいました。天皇譲夷の考え方が、政治家によって、天皇を利用する方向に転換されてしまいました。天皇の命令と言って、15~16歳の明治天皇が利用されて、大久保利通や伊藤博文や山縣有明などの政治家が、何でも自分たちの都合のいい様に、動かしてしまいました。軍部が台頭し、「勝てば官軍、負ければ賊軍」式の思想になってしまいました。上に立って指導するべき立場のある人に、宗教観だけでなく、確固たる世界観、歴史観、人生観、そして、倫理観がなくなってしまいました。そして、戦後、教育勅語がなくなり、天皇陛下が人間宣言をし、日本人の心の支えが無くなってしまいました。
戦前は、多くの日本人が、最後は(神風でも吹いて)、最後は絶対に勝つと信じていました。マスコミは、嘘の情報を流し、上からは、「物は有限、しかし、精神は無限」なんて言われながら、敗戦になってしまいました。世の父親は、メンツを失い、若者は、不信に陥ってしまいました。その後、アメリカに追い着け追い越せの競争競争で、戦後の経済復興には、目を見張るものがありました。しかし、何かを得れば、何かを失うのは、当然の報い、お金中心で来たツケが、今、起きるべきして起きていると思います。
外国の人が、日本の道に驚いています。日本の武術が、ただ、強くなればいいだけかのことと思っていたら、精神が伴わなければ意味がないことを知って感嘆しています。相撲にしても、物言いの時、取り組んだ相撲取りは審判員に従うだけですし、勝った力士は、負けた力士に、「ごっつあんです」とお礼まで言っています。将棋でも、囲碁でも、礼儀が重んじられ、負けた方がにこにこしていて、勝った方が渋いかをしている場面がブラウン管によく出ます。茶道では、点てる人が上手だと、「先生は、どなたですか」と尋ねられ、無礼な作法をすると、「先生に恥をかかせてはいけませんヨ」と、周りから注意を受けます。どんなに上手な字で掛け軸に書かれても、修行を積んでいない人の書かれたものでなければ、正式なお茶会には使えません。
そんな、精神を大切にしている日本の伝統文化を媒介にして、日本人が本来持つべき「日本人の心」が、この「さいき」から、はっきりとした形で、表現出来ればと思っています。
いいリ-ダ-の条件には、次の3つが必要と思います。まず、激しい「情熱」です。次に、その情熱を「持続」する為の粘り強い力です。最後に、それを、多くの人に理解してもらう為の「説得」する力です。
多くの人に納得してもらう為には、実践・実績しかありません。昨年は、総数50名前後で、城南公民館で、それなりに、国際交流をしました。今回、自分の不手際が余りにも多くて、多くの人に迷惑をお掛けしましたが、多くの人の暖かい支援の元で、150人前後の外国の人に集まって頂き、反省点も多くありましたが、それなりに、実りある国際交流会になったと思って、感謝しております。
又、「アジア太平洋大学」の留学生やインドネシアの研修生などを中心として、この様な会を開けたらいいなと思っています。
場所は、佐伯に留まらなくても、日本に留まらなくても、いいと思っています。
多くの人の理解と協力がなければ、出来ません。又、私利私欲があっても、出来ません。皆さん、何卒、末永く、宜しくお願い申し上げます。
(たはら まさひで)
*今回、三田井筑翠先生と佐脇計志先生には、書道と水墨画でのチャリティをして頂きまして、誠に、有難うございました。
*佐伯在住のインドネシア共和国の研修生の方々、準備と演舞と後片づけ、不手際なく、立派にして頂きまして、有難うございました。
*日曜日の場合、三余館では、閉館時間は、午後5時と決められていますが、今回、佐藤市長、三余館の御配慮により、特別に延長させて頂き、感謝しております。
「日本の心・さいき」のメンバ-及び、協力者
会長:田原正英(たはら小児科医院・院長)
顧問:貴田喜典(会社員)
会計:田原正英(会長)
監査:田中利明(佐伯市議会議員)
協力者
鎌田百代(裏千家茶道教授)
三田井筑翠(東九美術書道会長・国際書芸展副会長)
赤松裕文(自営業・太鼓)
広瀬文久(市役所職員・太鼓)
秋元昭一(佐伯市教育委員会・タガログ語通訳可)
下川 健(市役所職員・英語通訳可)
矢野倫康(市役所職員・中国語通訳可)
内田 正(郵便局員)
その他、佐伯市在住の日本文化に理解のある有志の方々
*フォスタ-・プラン協会に、春の茶会と今回の会と寄付金、合計10万円を、平成10年7月初めに寄付させて頂きました(インドネシアの子どもの教育に利用して下さる様に、お願い致しました)。
(平成10年6月2日、西日本新聞掲載)
「日本の心・さいき」(上・中・下)の内容の記載責任者:田原正英(会長)(今から8年前の、平成10年での記載文です)
日本は、北から南まで、亜寒帯から亜熱帯まで、延々と3000Kmも続く、細長い国です。細長く続き、島から出来ている日本は、強い中央集権的な国家を昔から望んできてなく、日本全体が世界で、それぞれの地方がそれなりの国として、日本人に意識されて来たのではないでしょうか。
外国から攻められる心配をさほどしなくいいし、気候に恵まれて、四季折々の変化が富んでいます。そんな日本ですが、中国に対して、大きな劣等感を持っていたはずです。そういった条件が揃えば、長い年月の間には、自然と日本独特のものが生まれてきて当然だと思います。
狭い土地の面積で、資源の少ない農業国日本は、自然と人とが、上手に共生して生きて行かなければいけませんでした。米に対しての日本人の感覚は、独特です。米の出来高が、その地方の力を示していました。米は、水を利用し、水田の利用は、自然の生態系を実に上手に利用しています。農耕民族では、多くの人の手が要ります。
長が滅んだ時、その国が滅ぶ形となり、大規模な皆殺しは、国内では、行なわれませんでした。それがよく表現されているのが、日本の将棋だと思います。日本の将棋では、取った相手の駒が、直ぐに自分の駒として利用出来ます。この考えは、西洋のチェスなどにはなく、日本独特のル-ルと言われています。
日本人には、国際的な感覚がないとよく言われています。しかし、私は、必ずしもそうだとは、思いません。むしろ、逆に、日本ほど他の文化を容易に受け入れる国も珍しいのではないかとも思っています。そうは言いながらも、自分のアイデンティティとしてのものも、いつまで経っても失っていない国、それが日本だと思っています。
漢字から、日本独特の文字、平仮名と片仮名が生まれました。仏教が入って来ると、中国に負けまいとして、世界一大きな大仏様を奈良に作りました。東大寺にしても、当時は、東アジアでは最大の建物だったはずです。
日本の場合、正月には神道を、盆には仏教を、クリスマスにはキリスト教を、さほど不思議がることなく利用しています。それ以外にも、いろんな宗教があります。葬式の形式にしてもいろいろです。神棚と仏壇を両方持っている家は、今でも沢山あります。神様を信じていないと言っても、漁師さんの奥さんは、御主人さんが漁に出掛けた後に、海の神様に祈っていますし、大工さんにしても、風呂に入って、神様に祈って仕事に出掛けています。山の神様、試験の神様、商売の神様、日本には、神道とは言ってもいろんな神様がいます。「困った時の神頼み」って言葉があることを考えますと、都合によりいろんな神様をそれなりに奉っている感じがしないでもありません。
食事にしても、和食だけでなく、イタリア料理、フランス料理、中華料理と何でも可です。しかし、お米を食べないと、何か落ち着かないと言う日本人が多いのです。着る服は、洋服が多いと言っても、正月には日本の着物を着ようしますし、どの日本人も、日本の着物に対して高い評価をしています。
今、日本では、倫理の問題が深刻化しています。政治界にしても、その地域を良くする人しか、当選出来ません。政治が悪いと言う前に、それを選んだ選挙民の責任はどうなっているのでしょうか。医療界にしても、問題が山積しています。日本程、国民一人一人が、高いレベルで平等に医療を受けられる国は、世界でみると極めて数少ないはずなのですが、世間でのその評価は余り高くありません。急いで使用されるべきなのに、手続きの関係で保険がまだ使えなかったり、先進国で既に殆ど行われいてるインフルエンザ柑菌のワクチン接種が、まだ日本でされていなかったりもしています。
商売をする人にしても、抗生物質が大量に使用されていたり、農薬がふんだんに使用されていたり、見栄えのいい野菜や果物だけが高く売れたりしている場合も、あるのではないでしょうか。教育界にしても、真面目な先生ほど、悩んでいるケースが多いのではないでしょうか。
それ等の問題の台頭の原因の一つに、日本人の倫理観の欠如があると思います。シャンソン歌手の美輪宏明氏は、言っています、「その人が偉いかどうかは、国籍、肌の色、性別、年齢、学歴、職歴、体が不自由かどうか、そんなこと、一切関係ない。たった一つ、心がきれいかどうかの問題だけで決まる。心がきれいな人は、偉いんです」と。
作家の藤沢周平氏は、言っています、「日本人が人間として世界に通じるのは、江戸時代まで」と。江戸時代までは、どの家にも仏教の教えがありました。上杉謙信や徳川家康や徳川家光などの人には、必ずと言っていい程、偉いお坊さんが付いていました。偉い武将には、お坊さんが親友にいました。今の日本、国会議員、事務次官、知事、市長、大学教授の人に、親友として、立派な宗教家は、まず、いませんね。
明治維新以来、日本には、確固たる宗教がなくなってしまいました。それに代わるものとして、天皇陛下が、神様に奉り挙げられてしまいました。天皇譲夷の考え方が、政治家によって、天皇を利用する方向に転換されてしまいました。天皇の命令と言って、15~16歳の明治天皇が利用されて、大久保利通や伊藤博文や山縣有明などの政治家が、何でも自分たちの都合のいい様に、動かしてしまいました。軍部が台頭し、「勝てば官軍、負ければ賊軍」式の思想になってしまいました。上に立って指導するべき立場のある人に、宗教観だけでなく、確固たる世界観、歴史観、人生観、そして、倫理観がなくなってしまいました。そして、戦後、教育勅語がなくなり、天皇陛下が人間宣言をし、日本人の心の支えが無くなってしまいました。
戦前は、多くの日本人が、最後は(神風でも吹いて)、最後は絶対に勝つと信じていました。マスコミは、嘘の情報を流し、上からは、「物は有限、しかし、精神は無限」なんて言われながら、敗戦になってしまいました。世の父親は、メンツを失い、若者は、不信に陥ってしまいました。その後、アメリカに追い着け追い越せの競争競争で、戦後の経済復興には、目を見張るものがありました。しかし、何かを得れば、何かを失うのは、当然の報い、お金中心で来たツケが、今、起きるべきして起きていると思います。
外国の人が、日本の道に驚いています。日本の武術が、ただ、強くなればいいだけかのことと思っていたら、精神が伴わなければ意味がないことを知って感嘆しています。相撲にしても、物言いの時、取り組んだ相撲取りは審判員に従うだけですし、勝った力士は、負けた力士に、「ごっつあんです」とお礼まで言っています。将棋でも、囲碁でも、礼儀が重んじられ、負けた方がにこにこしていて、勝った方が渋いかをしている場面がブラウン管によく出ます。茶道では、点てる人が上手だと、「先生は、どなたですか」と尋ねられ、無礼な作法をすると、「先生に恥をかかせてはいけませんヨ」と、周りから注意を受けます。どんなに上手な字で掛け軸に書かれても、修行を積んでいない人の書かれたものでなければ、正式なお茶会には使えません。
そんな、精神を大切にしている日本の伝統文化を媒介にして、日本人が本来持つべき「日本人の心」が、この「さいき」から、はっきりとした形で、表現出来ればと思っています。
いいリ-ダ-の条件には、次の3つが必要と思います。まず、激しい「情熱」です。次に、その情熱を「持続」する為の粘り強い力です。最後に、それを、多くの人に理解してもらう為の「説得」する力です。
多くの人に納得してもらう為には、実践・実績しかありません。昨年は、総数50名前後で、城南公民館で、それなりに、国際交流をしました。今回、自分の不手際が余りにも多くて、多くの人に迷惑をお掛けしましたが、多くの人の暖かい支援の元で、150人前後の外国の人に集まって頂き、反省点も多くありましたが、それなりに、実りある国際交流会になったと思って、感謝しております。
又、「アジア太平洋大学」の留学生やインドネシアの研修生などを中心として、この様な会を開けたらいいなと思っています。
場所は、佐伯に留まらなくても、日本に留まらなくても、いいと思っています。
多くの人の理解と協力がなければ、出来ません。又、私利私欲があっても、出来ません。皆さん、何卒、末永く、宜しくお願い申し上げます。
(たはら まさひで)
*今回、三田井筑翠先生と佐脇計志先生には、書道と水墨画でのチャリティをして頂きまして、誠に、有難うございました。
*佐伯在住のインドネシア共和国の研修生の方々、準備と演舞と後片づけ、不手際なく、立派にして頂きまして、有難うございました。
*日曜日の場合、三余館では、閉館時間は、午後5時と決められていますが、今回、佐藤市長、三余館の御配慮により、特別に延長させて頂き、感謝しております。
「日本の心・さいき」のメンバ-及び、協力者
会長:田原正英(たはら小児科医院・院長)
顧問:貴田喜典(会社員)
会計:田原正英(会長)
監査:田中利明(佐伯市議会議員)
協力者
鎌田百代(裏千家茶道教授)
三田井筑翠(東九美術書道会長・国際書芸展副会長)
赤松裕文(自営業・太鼓)
広瀬文久(市役所職員・太鼓)
秋元昭一(佐伯市教育委員会・タガログ語通訳可)
下川 健(市役所職員・英語通訳可)
矢野倫康(市役所職員・中国語通訳可)
内田 正(郵便局員)
その他、佐伯市在住の日本文化に理解のある有志の方々
*フォスタ-・プラン協会に、春の茶会と今回の会と寄付金、合計10万円を、平成10年7月初めに寄付させて頂きました(インドネシアの子どもの教育に利用して下さる様に、お願い致しました)。
(平成10年6月2日、西日本新聞掲載)
「日本の心・さいき」(上・中・下)の内容の記載責任者:田原正英(会長)(今から8年前の、平成10年での記載文です)