日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

五高記念館

2008-02-12 15:08:27 | Weblog
 平成20年2月10日に、熊大の中にある「五高記念館」に行った。当時のことが少なからず理解できた。
 昔は、中学を卒業して(中学が5学年まであり、小学校1クラスから2~3人程しか、進学しなかった)高校に進むわけだが、全国共通試験で、合格数は、今の東大生の1学年の数よりも少なかった(高校とは、今の大学の教養部にあたるのか?)。全寮制で、五番目の校区という意味で、九州で初めて熊本に高校が出来た(その後、九州では、七高や福岡高校や佐賀高校が出来ている)。
 中学に進学できない人は、出来る人に、自分の代わりに頑張って進学して日本の為に役に立つ人間になってくれと声援していた。
 高校生の数が少ないだけに、ホントのエリートであり、高校に入学しても落第することも多く、厳しかった様である。
 五高の数学の問題があったが、英語以外も全て問題が英語でなされている。世界に通用する人間を養成する為に、如何に語学に力を入れていたかが分かる。
 佐藤栄作氏も池田勇人氏も、五高出身で、池田勇人氏が太鼓を寄贈していたが、それを見ることなく亡くなられている。
 夏目漱石が、五高の10周年記念式典の祝辞で、教育総代として述べた内容に、「・・・夫レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ師弟ノ和熟ハ育英ノ大本ナリ・・・」とある。(そうですよね、教育は、教師と生徒の和があってこと、成り立ちます)
 第3代目の嘉納治五郎先生が書かれた言葉が、写真にある様に、「順道制勝行不害人 みちにしたがえば かちをせいし ゆいてひとを そこなわず」とある。
 Following the natural course leads to good results.
(そうですよね、道に外れるから、摩擦を起こすことになるのです)
 又、ハーン教授が(明治27年1月27日に職員を前に)言った次の言葉も、とても含蓄のある内容と思います。
 「・・・日本の将来が・・・質素で善良、簡素を愛し無用な贅沢、浪費を憎む心如何にかかっている・・・」。(今も、充分に通じる立派なお言葉だと思います)

http://blog.m3.com/syumi-syounikai/20080212/3

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寒い中を・・・

2008-02-12 08:34:19 | Weblog
 2月10日(日)の19:00過ぎ、熊本の繁華街の「下通り」の一角で、寒い中、又、騒音の中で、力強くかつ早いテンポで「津軽三味線」を弾いている青年がいた。若い人は、無視して通り過ぎる感じに思えた。年配の人になると、ちょっと青年の方を向いて通り過ぎる感じだ。立ち止まる人が、年配の人の中に時々いる。しかし、大半は、傍若無人って感じだ。
 目の前で津軽三味線のばち捌きを見たこと、これが初めてだった。素晴らしかった。
 その青年に尋ねると、既に13年間のキャリアがあるとのことで、時々ここで弾いているとのこと。自分の師匠はもちろんいるし、自分にも弟子がいると言われた。
 カナダやイタリアに行くと、路上で、アチコチで演奏している。この人がもしもそんな所ですれば、すごい人だかりとなるだろう。
 冬の寒い中、息子がギターを持って演奏していた。見に来ないでと言われ、私は息子が路上で演奏しているのを見たことは一度もない。
 高校の時にバンドを組んでいて、大分のライブハウスでよく演奏していた。そんな息子が言っていた、「佐伯の人は優しくて、足を止めて聞いてくれる人が多いし、励ましてくれたり、予想以外のお金をくれたり、楽しい・・・」と。その息子の姿と何かダブって見えてしまった。


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為になるかも知れない本(その268)

2008-02-12 08:15:48 | Weblog
・・・本校は、進学校と称しておりますが、青白い秀才は必要ない。まず、頑強な身体を作れ、次に他人の痛みがわかる健全な心を養え、勉強は生徒として当然のこと、という目標のもとに、文武一道を合い言葉に、全人的教育を目指している所であります。鹿児島の様子を拝読いたし、まだまだ甘いと反省いたす反面、十年、二十年の生徒達のことを考えますと、現在の私どものとっています教育方針は、崩すべきではないと確信もいたした次第です・・・
          (宮城県立仙台第二高等学校長  仁科 博之)

・・・今の高校は楽しくありません。唯、学校に行って家へ帰って勉強するという繰り返しです。友達は早く大学生になって遊びたいと言っています・・・
               (鹿児島県鹿児島市  ある高校生)

・・・現在の医学生、特に鹿児島という陸の孤島で学ぶ者として、今考えていることを少し書いてみたいと思います。
(1)学生が勉強しない。
 人に言えたことかと陰口を叩かれそうですが、時々「こんな人たちが医者になって大丈夫だろうか」という人に会います。でも臨床のドクターからは、「とにかく国試に通れば同じよ」という話をよく聞きます。そんな時、必死になって「ハリソン内科学」や「クルストファー外科学」などに立ち向かう私は一体何をしているんだと思いむなしくなります。結局「チャート式」なる国試用のまとめの本を読んで安心してしまいます。
 でも、そんな時に私の尊敬する第三内科の丸山征郎先生(47年度鹿大卒)の言葉を思い出すことにしています。それは「教科書は、厚いものを読みなさい。薄い本は君達の頭を扁平上皮化させる」というもので、私はこれを紙に書いて、丸山先生にサインを頂いて机の前に張っています。やはり時間を掛けて厚い本を読むことが大切なのでしょうか。少なくとも今、私は丸山先生の言葉が正しいと信じています。試験前の対策プリントのみに頼る勉強を勉強と考えている人が残念ながら多いように思います。
(2)自分の事なのに無関心。
 私自身、現在肩書きが沢山あります。カリキュラム研究委員、国試対策委員、柔道部主将、体育総務など。これらの役員もやる人は決まっていて、大部分の人は役員など他人事と考えています。中でも特に、医学祭の時にそれがよくわかりました。私も前回の医学祭では備品局と模擬店の係をして何日も学校に泊まり込みましたが、中には学祭の休みを利用して旅行に行く人もいて、はっきり言ってあきれました。
 また現在の教養1年より大幅にカリキュラムが変わり、教養部へ180時間の専門の乗り入れ、ポリクリの全日化などを主軸とした新カリキュラムが始まることになります。が、学生はこのような事(カリキュラム、講義の改善)にはほとんど関心はなく(一部の人はありますが)、これも他人事のように考えています。試験の日程の交渉には目の色を変えて参加していますが・・・。最近の若い人の世相をよく反映しているとも言えます。先日、国試対策委員の九州ブロック会に参加しましたが、何と鹿大の学生はのんびりしているのだろうかと思いました。それでいてお山の大将的な人が結構いてこちらが恥ずかしくなります。
 いろいろ自分のことを棚に上げて好き勝手なことを喋ってきましたが、私の友人の1人は、「出席の厳しい科目だけ、しかも出席を取る為にだけに出て来て、何時間も掛けて作った人のノートを、さも当たり前のように借りに来るあいつらは、人間の屑だ」と飲んだ時にこぼしていました。実際専門2年生の数151名に対し、座席は140人分しかなく、後ろに長机を持ち込んでいますが、前はガラガラ空いています。おかげでゆったりと使っていますが、いま1つ困るのは、講義が始まっても15分経っても、次々と学生が入室してくることです。中には半分過ぎて入っている女性もいらっしゃいます。座っている所がドアの近くで、しかも今、工事中で前しかドアがないので、うるさくて皆困っています(閉めずに入ってくる人もいます)。尚困るのは、先生がその為にいやーな顔になって講義も何だかつまらなくなってしまうことです。やはり出席なんか取らなくてもいいと思うのですが・・・。勉強したい人が来ればいいと私は思います。今年も1人ほど出席日数が足りなくて卒業できなかった人がいます。でもある内科の有名な先生は、「そんなばからしいことがあるか!自分で勉強していれば、それでいいじゃないか。国試合格率アップの為だけの出席などナンセンスだ!」と言いました。はっきり言って、講義の出欠は、国試合格率アップの為だけに行われているようです。・・・
             (鹿児島大学医学部専門3年 ○○○○)

(その269に続く)

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