

朝4:00起床。4:30に家を出て、病院で本を読み、英会話の勉強もした。朝2時間半程、自分のしたいことが出来ている。静かだ。やっぱり二人体制って、心強いなあ。21:00には寝ることだ。水はゴルフ、木は茶道、金は英会話、土は食事会って感じで過ごせる様になるのかなあ?
○昭和63年6月2日(木)晴。
今日の夜ホントに病院に行かなくていいんだなあ。信じられないって感じだ。正に第2の人生が自分に始まったって感じだ。今週はないけど、来週からお茶がある。するべき事は多い。先になっても充分に間に合って出来ることは今しなくてもいいが、今しておかないといけないことは今しておくべきだ。
○昭和63年6月3日(金)晴。
金曜日はまる1日休ませないといけないということで、自分が金曜日をすることにした。どうせ金曜日は、英会話があるし。週1回泊まって、今までのことを考えれば、何てことない。他の先生達もしていることだし。二人になって、夜も安心して眠れるかと思うと嬉しい。今までホントによくやってきたと思う。若い時に体を使い切ってしまうべきでない。周りを見ても、働き過ぎで若死にしているではないか。
○昭和63年6月6日(月)晴。
○代先生、何事にも一途って感じだ。○代先生の奥さんにも会った。とても感じのいい人だった。母も気に入った感じだ。若くして子どもが出来てそれなりに苦労されてきている様だ。(何とその後直ぐに、再びお目出度になったが・・・)
○昭和63年6月8日(水)雨。
朝4:00過ぎに病院に来て、中尾先生の講演のビデオを2時間じっくりと見た。月報の原稿も何回も見た。月報の原稿がポンポンと頭に浮かんでくる。
○昭和63年6月9日(木)晴。
睾丸(精巣)腫瘍の子を医大が空いていなくて県病に送ったが、手こずった。午後は、15:00までに帰って(朝4:00~14:00っまで私、も一人の先生は、14:00~4:00までの勤務態勢を取って、小児救急を全く断わることなく、全て二人で診た。深夜にひどいのが来たりして、4:00に顔を合わせることも、しばしばあった)、18:00からお茶に行った。お点前に関しては、スゴク細かいことまで言う先生で(現在、86歳で、裏千家名誉師範)、昭和61年に教授の免許を取られていた。
○昭和63年6月12日(日)雨。
お茶の勉強をした。自分だけでも結構出来るって感じだ。それにしても、お茶って奥がとても深い感じだ。正に日本人の心だなあ。これをしっかり覚えて外国の人に紹介できるといいなあ。
○昭和63年6月13日(月)曇。
朝4:30から、植田先生の熱についての講演を(ビデオで)バッチリと聴いた。二人になると、正に、1+1=3だなあ。
○昭和63年6月14日(火)晴。
ミーちゃんと二人で16:15のフェリーで、大入島に行った。この日の午後は、○代先生にしてもらった。院内乳児健診を他の小児科医にさせたのは、これが初めてだった。自分には、ゴルフよりもサイクリングの方が合っているのかなあ。