日本の心・さいき

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厚生労働省の問題を斬る!

2008-02-25 11:14:24 | Weblog
 (平成20年2月24日の看護師国家試験問題)新生児にチアノーゼがあった場合、一番考えられる疾患はどれか?PDA(動脈管開存)、ASD(心房中隔欠損)、VSD(心室中隔欠損)、TOF(ファロー四徴)で、受験した学生がとても迷ったとのこと。それもそうで、新生児期にはピンクファローと言って、チアノーゼが出ないことがあると言うのを何度も講義中に強調していたから。ある業者の解答は、TOFになっているが、消去法では、そうならざるを得ない訳だが、いい問題とは言えないだろう。新生児と言う言葉がなければいいと思うのだが。そんな感じで、問題が良くないものが他にも多くて、今年が一番低俗な問題って感じに思っているのは私だけだろうか?!

厚生労働省の問題は、国家試験の問題だけでない(医師国家試験も看護師国家試験も、落とす為の問題って感じになっている)。
 医師のスーパーローテートの問題にしても、医療費の締め付けの問題にしても、医師不足の問題にしても、地域医療の崩壊の問題にしても、聞く耳がないと言うか、現場を余りにも知らなさ過ぎる。
 この看護師の国家試験の問題にしても、かなり前から現場からヤリ玉に上がっているのに、ちっとも改め様としないのだ。その体質が大きな問題かな?!

 追加:私が思うに、国家試験の合格率を前もって厚生労働省の方で決めていて、受験生で競争させているに過ぎないのです。それが証拠に、前もって6割取れれば合格とか言わないし、(問題が良くないので)解答を直ぐに公表しないし、それに、合格点のラインが全くはっきりしていないのです。
 昨年の例だと、一昨年よりもグッと易しくて、(厚生労働省が作成すると難しく、文部科学省が作成すると易しくなる?)7割でも不合格になっていました。
 昔の話ですが、私が医師国家試験を受けた時には(春)、同級生の大半が6割取っていなくて、落ちたって感じで落ち込んでいる人が多かったのですが、6割ちょっと足りない人でも、殆ど合格していましたね。しかし、秋の国試は、かなり厳しかった様です(資格試験なのに、年に何で1回にしたのでしょうかねえ)。
 学校の受験と同じで、勝手に厚生労働省の方が合格率を決めていると思われます。6割又は7割とれば合格できると前もって断言して頂ければ、不信はぬぐえるのですが。


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開業って・・・

2008-02-25 09:14:54 | Weblog
 私の場合は、開業生活は、8年半余であった。もう、採算が合わなくなると思って、赤字になる前にやむなく閉院してしまった。
 入院設備19床を持って、小児救急中心の365日24時間拘束されての生活だったが、その前の病院生活が(お産が年に500件前後もあった)それ以上に過酷だったので、さほど苦にならなかったが、その8年半、代診としての他の小児科医の援助を全く得られずに、どこにも行けない事への苛立ちは確かにあったと思う。
 又、経営の能力は、医療が出来るのと別にあるとも痛感した。
 現在、勤務医が激務な為に開業する傾向にある。それに反して病院が減少している。開業にしても、自分が開業した時と今とでは、かなり違ってきていると思う。
 まず、資金だが、開業する時に銀行から「いくらでも貸します」と言われた。金利は、普通の場合よりも医師の場合は少し優遇されていたが、それでもプレッシャーが掛かる。で、自分の貯めてきたお金を使い、それでも足りずに2.000万借りて、賃貸形式で開業できたが、毎月の払いが多くて、勤務医の時の方が手取りが多くなっていた。しかし、それでも、今考えると、やはり開業経験が出来て良かったと本心から思っている。
 今、再び勤務医をしているが、全く開業した経験がなくて勤務医をしているのと、過去に開業をした経験があって勤務医をしているのとでは、全く違うと思っている。
 いろんなことを学んだ。開業する時よりも、閉院する時の方が大変だった。これって、結婚の場合と少し似ているかなとも思っていた。離婚するエネルギーがあれば、結婚を維持できると言う人がいたが、いつでも閉院する覚悟でやっていれば、トントンでも医療も出来るだろうと思っていたが、違っていた。やってみないと学べない。特に、経営が傾きかけると自分のしている医療もおかしくなり(算術傾向になり)、又、人の管理も難しくなる。
 ある市では、大学の先生が50歳を過ぎて開業し、数年で亡くなられている。そんな例は昔もあったが、今の方が圧倒的に多い。巷の噂では、その多くが働き過ぎが原因とのこと。自分の様に、開業して閉院するパターンも前もあったが、今はちっとも珍しくない。
 億を越えて開業すると、閉院するのは大変だと思う。しかし、どんどん赤字が増えていけば、そうも言っておれなくなる。自分の場合は、幸いに医院が赤字倒産でも、借金がなかったのが幸いだった。又、職員もそれなりに就職先があって、助かった。
 借金を抱えてやむなく倒産したり、肝心の医者が病気で亡くなったりすると、残された家族は大変だ。多くの場合は、まだ、子どもさんが学校に行っている時だけに、尚更だ。
 それでも、今年の医学部の競争率、高いなあ。医者の裏の姿は、何故か、マスコミの前に出てこない。私の所に聞きにくれば、しっかりと教えてあげるのに。

 私の子ども達3人、医者になりたいとはっきり言ったこと、ない。私の生活を見ていて、医者になりたいと思う方がおかしい。子ども達が私を見る姿は、殆ど疲れて横になった所。
 電話は、(宿舎が病院のすぐ傍にあったので)家に帰ってもしばしばあり、当初は、深夜はもちろん、食事中でも入浴中でも、ひっきりなしに掛かっていた。
 初めは、病院からの電話は、家内が全て取っていた。私はきつくていつも家で横になっていたのである。深夜は、家内からいつも起こされていた。深夜電話があると、長女が起きて泣いていた。これでは家庭が崩壊すると思って、家を建て、起こされそうな時は、自分が病院に泊まることにした。
 新築の我が家と病院とは、自転車でゆっくり行っても、10分も掛からなかったが、我が家に泊まることが多くなると、幸いにも、病院からの電話も少なくなっていった。
 で、しばらくすると、家に掛かった電話を取るのは、自分だけとなっていて、家族に迷惑を掛けない様にと、コッソリと深夜に病院に自転車で行っていた。

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為になるかも知れない本(その285)

2008-02-25 09:10:19 | Weblog
○昭和63年4月1日(金)雨。
 英会話まあまあ。さ来週には、コスタリカの山本さんの紹介で、オーストラリアからナースの人が来ることになった。どうなることやら。ボブさんのお姉さんの場合は、何とかなったが。自分の副鼻腔炎、少しは前よりはいいみたいだ。運動不足で体がなまっている。6月からは、2人体制になるのは確実みたいだが。
○昭和63年4月2日(土)雨。
 小児科の先生も、○代先生(現在、開業されている)と決まった。今まで自分独りでよくやって来れたと思う。どういう体制を取ればいいのか、具体的にしていかないといけないなあ。
○昭和63年4月6日(水)晴。
 6月からは、本来の朝型人間になろう。20:00~21:00までに寝て、4:00に起きて、5:00までには病院に行って、朝音楽を聴いたり本を読んだり、ビデオを何度も見たり(テコムのビデオの教材で、小児科シリーズをしばしば見ていた)、今までと全く違った感じで過ごしたい。夏の暑い時だったら、4:30までに、冬は5:00までに必ず病院内にいる様にすれば、(常に24時間小児科医が診ることになって、今までの様にトラブルも少なくなって)何かにつけていいいと思う。嬉しいことは、勉強がバッチリ出来ることだ。このままだとヤブ医になってしまうなあ。
○昭和63年4月7日(木)晴。
 人間なんて、周りを見ていると、この先どうなるのかサッパリ分からない。何が起きても平静であるべきだ。出来事は偶然ではなく、それは必然なのだ。決められた運命なのだ。それが人生そのものなのだ。自分に納得の出来る生き方をしたい。自分がこの世にしっかりと生きていると実感したい。その為には、やはり努力しないとけいないと思う。遊んでばかりでは、怠けてばかりでは、後で後悔するだろう。人生わずか80年間。自分は既に半分を使ってしまった。後半分しかない。時間は元に戻らない。今が全てなのだ。1日1日を如何に充実して生きるかにかかっている。自分をもっともっと磨けば、もっと他人の為に尽くすことができるはずだ。苦しいことも人生。本当の楽しさを味わう為には、苦しまなければいけない。
○昭和63年4月17日(日)晴。
 大分の県医師会で学会があった。始まってから直ぐに寝ている人がいる。いびきをかいている人が3人もいた。威張った感じで知ったかぶりに言う人もいるし、いちいちいちゃもん付ける感じの人もいる。目上の人に対しての言葉使いも知らない感じで言う人もいる。皆が困って問題にしているはずの救急の話が全く出てこない。何か変な集団って感じに思えた。
○昭和63年4月18日(月)晴。
 17:00過ぎに急患が来て、送ろう送ろうと思いながらも、病名もはっきりしないままで処置に追われて送れなかった。頻拍で、多呼吸で喘鳴があり、気管支喘息と思いその治療をした。肝臓も少し大きかった。来てから息抜く暇もなく汗だくだくになってした。この日が結婚記念日ということを完全に忘れていた。ふと気が付くと、20:00を過ぎていた。どうしても良くなって行かず、(小児外科専門にしていた)○○先生の力も借りたが、どんどん悪くなって行った。(泊まり込む)
○昭和63年4月19日(火)晴。
 午後の乳児健診中に心臓が止まって死んでしまった。後で(同級生の)循環器の○○から、心臓(PAT?)ではなかったのかと言われて、そうかとも思った。ネオフィリンを使ったのがいけなかったのかも知れない。急に肺水腫になった感じがした。救急では、やはり心臓が怖い。心臓疾患と思って、その薬を積極的に初めから使っていたら助かっていたかも知れない。悔いが残る。(ガックリ落ち込む)
○昭和63年4月28日(木)晴。
 来年の今頃は、1週間程、遠くの所に行きたいなあ。外国でもいいし。シンガポール辺りがいいかも知れないなあ。オーストラリアもいいかも知れないなあ。時差ぼけがあると困るなあ。
○昭和63年4月29日(金)晴。
 天皇誕生日、87歳。長寿だ。病気なのに、長生きしている。今年一杯、大丈夫そうだ。亡くなると昭和でなくなるのだなあ。次は何になるかなあ。昭和になれると、これが一番いいって感じになれるから不思議だ。も一人小児科医が来ても、採算合うのかなあ。心配。
○昭和63年4月30日(土)晴。
 150人ちょっと来た。例年よりも少ない。ゴルフをしなくなった。月火水は少し元気だが、木金土に落ち込む感じだ。来年の今頃は、ずっと元気でいられるかなあ。

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